【本人に必要なことは何か?ー外側(親・支援者)からニーズを考えるとき】
① 親から見る子どものニーズ
この記事を読むには9分ほどのお時間がかかります
山越 ゆり(やまこし ゆり)
今年の夏、私は断捨離(だんしゃり)を思いついた。もう子どもたちも自立するというのに、モノが捨てられない私は、子どもが小さかったころの書類などを放置したままだ。今年こそ整理しようと思い立ち、埃(ほこり)を被っていた書類を手に取った。しかし昔の記録を手にした私は、子育てもひと段落してすっかり忘れていた、子どもたちの幼少期に思いを馳せる(はせる)ことになってしまった。(断捨離は後回し……)
長男は就学前に自閉スペクトラム(=当時は自閉症アスペルガー症候群)の診断を受けた。私はいくつも病院や療育機関を訪ね歩いたり、書籍やネットでさまざまな知識を得て、息子の子育てに奮闘してきた。
当時は「アスペルガー」という名が社会的に偏見の対象になっていた時代だった。なるべく公言しないほうがいいと先輩ママさんからアドバイスを受けたことさえある。ある凶悪事件の犯人がアスペルガーと診断されたと報道されたことによって、今まで自閉症すら聞いたことのなかった人が、アスペルガー=犯罪傾向のある人という誤解をしてしまったからだ。息子の奇異な行動に日々悩んでいた私は、そんな『うわさ』も真に受けてしまい、この子の将来に希望は無いのかもしれないと思い詰めたこともあった。
診断を受ける前……幼少期の息子は、道端で知らない人に突然話かけてしまったり、興味のあるもの(車のタイヤなど)を見つけると、突然走り出して寄って行き、何分もそこから動かないなどといったことがあり、彼を連れて外に出るときはいつもハラハラしていた。しかしまさかそれが自閉症だとは思ってもいなかった。「元気が良くて少し変わった性格だから多少子育てに苦労するな。でも男の子はこんなものだろう」というくらいの認識だった。
当時、地域の精神保健センターは成人の精神病がメインで、もともと精神的弱さを抱えていた私は子どもを抱えて相談を受けていた。そこで保健師さんに、「今度、子どもの発達支援センターを併設することになったので、児童精神科医にお子さんも見てもらっては?」とアドバイスを受けたことが息子の療育の始まりだった。自分の精神状態が子どもと関係しているということにも思い至らなかったし、保健所でときどき息子の育児相談はしていたものの、子どものことに関しては自分の状態を圧(お)して頑張っているつもりだったから、少なからずショックを受けたことを覚えている。さらに、就学時健診で就学前に通級指導教室を勧められたときも「うちの子はどこが悪いんだろう?」という不安のほうが大きかった。
息子の主治医になった女医さんは、かなり優秀な方だった。就学後、小学校に出向いて、校長や担任に発達障がいの子の感覚を丁寧に説明してくださり、教室でできる支援の工夫を教えてくださった。今ならそれが非常に的確な指導だったと分かるが、当時私に知識が無く、輪をかけて学校側にも知識がない状態では、「へえ、そういう方法もあるんですか」くらいの受け止めかただったと思う。息子の「問題行動」への対処を聞きたい学校や親と、息子の生活のしやすさを第一に考える医師との間に、大きな温度差があった。
見つけた書類のひとつは、そのころの息子の知能検査(WISC-Ⅲ)の結果票である。発達障がいに関して無知だった私は、当然その結果票がどういうことを意味しているのか、読み解くこともできず、説明されても分からないことばかりだった。私の関心は、「どうやったら学校でみんなから外れずに生活できるようになるのか?」ということしか無かった。WISCの折れ線が項目によって大きく差が出ることが発達障がいの特徴だということも、後になって知ったことだ(説明されていたのかもしれないが、理解できないために覚えていなかったのだと思う)。
想像力のたくましい息子は、段ボールの切れ端や木片を使って、いろいろなものを作るのが得意だった。小学2年生のころなど、お腹からビー玉を発射することができるロボットを、単純な構造で、段ボールで作ったことがある。
物の構造を観察し、それを再現する能力に秀でていて、幼いながらもその片鱗を覗かせていた。教室でじっとしていられないのは、息子にとってただ先生の話を聞いているよりも、興味のある対象物を観察、研究したいという意思のほうが強く働いていたからかもしれなかったのだ。見返したWISC-Ⅲには、その能力の高さがはっきりと示されていた。一方で処理速度が基準値以下のために、何事も完成させる前にタイムリミットが来てしまい、未完成のものばかりで、成績や実績に反映されないというデメリット(短所)も示されていた。
WISC-Ⅲに表れていた彼のデメリットは、彼自身の苦しみであって、他人に迷惑を掛けるから直さなければいけないというものでは、本来無いはずだ。しかし当時、息子の検査結果を見た私は、「だから、みんなと同じようにできないのか。素早く器用にできるようになるにはどうしたらいいのか?」と見当違いのことを考えていた。学校の話し合いで主治医が、本人の過ごしやすいように工夫してください。と言ったのに、私や教師の関心は、学校でどうやったらみんなと同じようにできるようになるのかということだった、あのズレと似ている。
今、発達障がいの子どもたちの療育をめぐって起きている問題は、こうした「本人の状態像の見かたのズレ」ではないかと思う。親としては、「社会でうまくやっていってほしい」、「教室では、集団の中で問題を起こさないようにしないと、社会に出て困る」といったことが、教育の主体と考えやすい。そこには「個」の独自性や素晴らしさは、想定されていない。どんなに効果的な療育や、精度の高い検査や、効能のある薬を使っても、その「目的」が「集団から抜け出ないため、目立たないため」であれば、その人個人の身になるものはほとんど無い。なぜなら「集団」はその構成員や時代によってつねに変化するものだから。「社会」も同じ。
私は、息子が高学年になるにつれ、「ものづくり」に非常に興味があり、それをしているときの息子が楽しそうなことを感じ、将来その興味を活かして仕事を選んでほしいと考えかたを変えた。息子は専門的な勉強をするうちに、自分のスキルには絶対的自信を持ち、それを活かすために、集団では自分を抑えてそれなりに流れに乗ることが必要だということも自覚した。社会性とは本来、自分のスキルを活かすためのツールのひとつにすぎないということを、私は息子によって気付かされたのだ。
社会にはまだまだ、「集団から外れることは悪」と思い込んでいる人が多い。せっかくのいい療育や支援も、集団にうまく合わせるための方法と思っている人がたくさんいる。ようやく自分の道を見つけた息子だけど、幼少期から自分が「悪いこと」ばかりして叱られてきたというトラウマも抱えている。自分がやりたいことを優先すると人を困らせるということを、嫌でも見せつけられてきたから。発達障がい児の支援で最も必要なのは、本人が何を必要としているかを本人の言葉で聞くこと。本人に言葉が無かったり理解できなければ、療育に精通した人の意見や、同じ特性を持っている大人の話から推察するなど、いろいろな方法で理解しようと努力すること。そして聴く側は自分の主観を入れずにそのまま受け取り、そこから考えていくことだと思う。私も知らずに息子を苦しめてきた親のひとりとして、反省も込めてそう思う。
【執筆者紹介】山越 ゆり(やまこし ゆり)
三人の子を持つ母。長男と次女が発達障がい。
まだ世間に発達障がいという言葉が浸透し始めたばかりのころ、リアルでもネットでも、さまざまな人たちと繋がり、情報を得ながら試行錯誤で育ててきた。
子どもたちも自立し、自身は放課後等デイサービスの指導員として、今度はおばあちゃん目線で悩める親子のサポートを行いたいと思っている。
自身にもADHD傾向があると自覚。
「社会性は自分のスキルを活かすためのツールのひとつ」という言葉が印象に残りました。学校や社会では社会性というものが非常に重要視されていて、その中にいると社会性がまるで人間のすべて、あるいは必要不可欠のもののように感じるのかもしれません。自分が不得意とするものを見つめるより自分が得意とするものを見つめるほうが絶対に自分の成長につながります。また、不得意なものを見つめすぎて、得意なものをダメにさせてしまう可能性もあります。私も自分のできないところを見つめるのではなくできるところ、さらに言えば楽しいと思えることを率先してやっていきたいと感じました。