【アメリカの発達障がい事情】自閉症サマーキャンプ篇②
信頼するのは誰ですか?
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下川 政洋(しもかわ まさひろ)
前回は、アメリカの自閉症キャンプで感じるスタッフに対する「違和感」について、書かせていただきました。今回も、その続きを書かせていただこうと思います。
もしからしたら、読者の中には、Despacitoのミュージックビデオを見て、不快感を覚えた方もいらっしゃるかもしれません。ラテンの若者向けのポップソングですから、たしかに性的なものが全面に出ています。それが不思議なのですが、このキャンプ場の雰囲気のせいか、アメリカだからか、若者が多いからか、けっして不謹慎な感じがせず、場になじんでいます。
現場では音楽だけで、画像が流れるわけではありませんので、性的なイメージを引き算して想像して欲しいのですが、心がウキウキするラテンのノリはそのままです。理屈じゃなくて楽しい、そういう雰囲気をこのキャンプ場で何回か味わうことができました。そして、このウキウキの楽しさに、私は関心を持ちました。いくつか例をご紹介します。
あるとき、ファッションショーが開かれました。キャンパーが自分を担当するインストラクターを、自由に仮装させます。まずは、ネイルから。私も生まれて初めてネイルをされましたが、どぎつい青色でした。それから、フェイスペイント。キャンパーはインストラクターの顔を、思い思いの色で塗りたくります。加えて、カツラ。金髪だったり、アフロヘアーだったり、タモリが被りそうなものばかりです。衣装になると、お姫様ドレスとかロックンローラー風とかで、大概男性は女装をさせられます。それから、いつの間にかステージが用意されていて、音楽もかかってファッションショーです。仮装をさせられるインストラクターは40人ぐらいいますから、結構豪華なショーになります。ベストドレッサー賞も選ばれます。自分のインストラクターがベストドレッサー賞に選ばれると、キャンパーは少し得意げです。会場の雰囲気は、キャンパーもインストラクターもなく、キャッキャ、キャッキャという感じになります。
(インストラクターは、ヘアースプレーでいろんな髪の色に染められます)
また、あるときは、シェービングクリームで遊びました。ちょうど、プールが終わった後でした。キャンパーもインストラクターも水着です。スプレー式のシェービングクリームがたくさん用意されていて、キャンパーがインストラクターの身体に塗りたくることが許されます。その内、インストラクターはひげ剃りクリームだらけになりますが、その後ホースが登場して水を掛けられます。キャンパーが、インストラクターに水を掛けます。水は冷たいですから、また、キャッキャ、キャッキャとなります。
さらに、あるときは、体育館でダンスパーティーが開かれました。この日、私は、C君という10才の男の子を担当していました。C君は、不安を感じることが多いようで、いつも爪を噛(か)んでいます。それから、家から持って来た象さんの人形を肌身離さず持っています。名前は、ジャージャです。彼といろいろなアトラクションに参加するのですが、いつも、あまり乗り気ではありません。このキャンプ場には池があって魚釣りができるのですが、そのときも参加せず、ベンチに座って爪を噛(か)みじっと池を眺めていました。
(美人と船遊びをしているわけではありません。釣り糸が引っかかったための救出活動です)
ところが、体育館に入ってダンスの時間になると様子が違います。C君はダンスが好きそうなんですね。「いっしょに踊ろうよ」と言うと、簡単に乗ってくれます。
(体育館)
しかし、ここで日本の中年おじさんの悲しさが出ます。私も一緒に踊るのですが、踊ってもどこか無理矢理で、心の中はすぐにシラケてしまいます。楽しもうと、自分の心を励ましても、どこか心から楽しめないんです。でも、そこには別の若いインストラクターが居て、とてもノリノリで踊っています。そうして、すぐにC君と踊りはじめてくれて、相互作用だからでしょうか、ふたりの楽しげな様子がヒートアップして行きます。この若者には、私にはできないことができます。
やがて、C君が象のジャージャを空に向かって投げはじめます。私が驚いて見ていると、しばらくして、ジャージャは床に置きっぱなしで忘れ去られています。C君は、夢中で踊っています。表情が少ないから分り難いのですが、動きが活発になり、明らかに楽しそうです。若いインストラクターも楽しそうで、自然にウキウキです。
これは、後で話す機会があったのですが、このインストラクターにはASDの弟さんがいるそうです。インストラクターをする動機についても「This is what I like to do(これが好きなことだから)」と独り言のように言っていました。
日本の療育場面では、どうでしょうか?援助者が心から楽しむ機会が、どのくらいあるでしょうか?不必要な用心深さが、インストラクターの楽しさを殺してしまうことはないでしょうか?皆が空気を読み合って萎縮してしまう場面を、このキャンプ場で感じたことは一度もありませんでした。日本でも楽しむ場面はあるでしょうが、健常者と障がい者が一緒に楽しむことが奨励されたりするのではないでしょうか?あるいは、援助者が楽しさを提供する姿勢が、ありありと見えてしまうのではないでしょうか?
この文章は、自閉症キャンプで「違和感」を伝えたくて書きはじめました。今、振り返ってこの「違和感」を考えてみると、インストラクターが、隙あらば自分自身も楽しもうとしているところだろうと思います。
このキャンプでは、週の頭になると、キャンパーの入れ替えが行われます。みんながみんなそうではありませんが、自分の担当が誰になるのかなと、ウキウキしているインストラクターがいます。この人たちは、ASDの人が好きなんですね。理屈じゃなく、ASDの人と接するのが好きなのだと思います。
(キャンパーは、一週間のお泊まりを経験する)
昔NHKで「明るい農村」という番組がありました。そして、このタイトルは、農村が暗いことを前提としているという批判を受けました。ASDの人と定型の人は平等であるという主張には、ASDの人と定型の人が平等ではない現実があるからなのでしょう。しかし、このウキウキしているインストラクターたちに、この前提はないように思われます。
私は、アメリカが良くて日本が悪いという単純なことを書きたいのではありません。現に、シェービングクリームのときも、ネイルもフェイスペイントのときも、ASDの人がこれを覚えたら、日常生活で同じことをやってトラブルになるのではないか、というような用心深さが頭をよぎりました。また、私は、どちらがいいというような判断をするのは、つまらないことだと思っています。
それよりも、私が関心を持つのは、ASDの人と自然に楽しめる人たちです。もし、私の子どもがASDであるならば、こういう人に面倒を見てもらいたいと思いました。自分の子どものことを好きでいてくれるからです。ASDの子どもを持つ親ならば、これほどの喜びはないのではないでしょうか。
少し、偉そうなことを書いております。ダンスの踊れない中年おじさんが、聞いた風なことを書いております。これは、今の私にはできないことです。でも、こういうインストラクターに接すると「いいな〜、羨ましい(うらやましい)な」と思いました。信頼を感じました。
【執筆者紹介】下川 政洋(しもかわ まさひろ)
51才です。国際医療福祉大学で主に家族療法を学びました(研修員)。偶然ですが、今年は個人的な事情で、ノースカロライナ州のチャペルヒル市に滞在することが多いです。そして、ここで、自閉症スペクトラムの援助方法であるティーチ・プログラムに出会いました。こちらで感じるのは、発達障がいの人を援助する現場の「空気」が違うということです。「これってなんなんだろう?」と不思議に感じています。言語化がとても難しいです。この辺りの感覚を、攫んで帰りたいと思っています。家族療法もティーチ・プログラムも初学者でございますが、よろしくお願いします。
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