【アメリカの発達障がい事情】自閉症サマーキャンプ篇①
「デスパシート、デスパシート」ゆっくりするのはどうですか?
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下川 政洋(しもかわ まさひろ)
今年の夏、6月半ばから11週間にわたって、ノースカロライナのチャペルヒル市でボランティアの自閉症サマーキャンプに参加してきました。
私がこのサマーキャンプに参加して、ほかのインストラクター(通常はキャンプカウンセラーと呼ばれますがここではインストラクターで統一)に持った第一印象は、「違和感」でした。サマーキャンプでは通常よりもキャンパー(キャンプに参加する人で基本的にASDの診断を受けた人)の数が増えますので、期間限定のインストラクターが募集されます。彼らのほとんどが20代前半の青年で、女性が8割ぐらいで男性が2割ぐらいでした。私が彼らに持った「違和感」は、「日本だったら、この人たちは全員クビだな」というものです。少なくとも上司に目を付けられるだろう危なさを感じました。
この感覚をどう表現したらよいでしょうか?それは、とてもnon verbal(非言語的)な感覚で、日本人の中年おじさんが直観的に感じてしまうものなのかもしれません。
これは、もっと後の話になりますが、ここに参加しているインストラクターの中で、日本に滞在した経験のある人と出会いました。よい機会だと思い、この日米の療育場面が持つ違いについて話したことがあります。彼女が感じた、日本の療育場面の印象は「援助者が真面目で用心深い」というものでした。そうかもしれません。ここでキャンプのインストラクターをしている人たちから「真面目で用心深い」を感じないのです。とくに、この時点でいう用心深さとは、よそ者が、あるコミュニティーに加わるときの用心深さみたいなものです。
たとえば、イスに座っても一方の足をもう一方の膝の上で組んでいたり、だらしなく背もたれにもたれたりしています。あるいは、何となく歩きかたがダラダラしていたり、質問の仕かたが偉そうだったりします。
私にもサラリーマン経験がありますが、これをたとえるならば、新入社員の「ペコペコ感」がありません。新しく組織に加わるならば、しばらくは態度をもって「私は用心深いです。真面目です。先輩のお話をよく聞きます」と恐れいった感じを表現し続ける暗黙の了解が、日本の療育現場にはあるのではないでしょうか?
ここで少し、違うお話をしようと思います。昔に読んだ本のお話です。アメリカで書かれた「母」という本です。各業界の著名人が自分の母について語っています。その中で今でも印象に残っているのが、母のことを「急げの人」と語っている人の文章でした。「早く着替えなさい」「早く食べなさい」「早く歩きなさい」と、とにかく急がされた思い出が残っているそうです。
そういう意味では、この自閉症キャンプでは、インストラクターがキャンパーを急がせることがありません。このキャンプでは、時間の流れが少しゆるやかなのを感じます。みな、それぞれのペースでいいのです。「ゆっくり、着替えなさい」「ゆっくり、食べなさい」「ゆっくり、歩きなさい」といった感じです。
またまたここで、別のお話をさせてください。プエルトルコのお話です。私も知らなかったのですが、プエルトルコは、アメリカの領土なんですね。正式には、プエルトリコ自治連邦区と言うそうです。将来アメリカに編入されることが予定されているが、とりあえず保留状態にある自治的未編入地域だそうです。驚きですね。アメリカは、スペイン語を母語としている地域を自国領として持っているんですね。以前、アメリカは、母国語を何語にするか法律上決められないと聞いたことがありますが、こういう事情もあるのでしょうか。
そういったわけで、プエルトルコの人がアメリカに来るのにパスポートは必用でなく、アメリカ人としての市民権を持っています。そんな事情があるからか、このキャンプ場には、プエルトルコから来たインストラクターが何人かいました。
(プエルトルコから来たLさんと筆者)
そして、このキャンプにあるプールでは、プエルトルコの音楽がBGMとして人気があります。その中でもベストヒットは、Despacito(デスパシート)(→YouTubeへのリンク)という曲でした。
(自閉症キャンプにあるプール)
(筆者の長男もライフガードとしてアルバイトで参加)
ある日私は、B君という青年のキャンパーを担当しました。彼は、ASDの診断を受けていましたが、知的障がいも持っている人でした。彼は、このDespacitoが大好きでした。プールに来てDespacitoがかかっていないと「う〜、う〜」と言って不満そうにします。TEACCHのやりかたでは、ASDの人の要求する能力を大切にしますので、インストラクターはこれを援助します。誰が音楽の担当をするスタッフなのか、どうやって話を切り出すか、そして、音楽をリクエストする方法を認知特性に合わせて援助します。B君の場合、会話をするのは難しいので、音響の機械を指差すことから始めました。
ところで、このDespacitoという曲は、スペイン語で「ゆっくり」という意味です。男女関係は急いではダメで、ゆっくり近づきなさいというラヴソングです。歌詞の中で「ゆっくり、ゆっくり」という言葉が繰り返されます。」この意味を教えて貰(もら)ったときに、頭の中で発達障がいと「急げの人」と「ゆっくり、ゆっくり」が勝手につながってしまって、少し感激してしまいました。
この経験以来、私にとっての自閉症キャンプのテーマソングは、Despacitoです。今、この文章を書きながらもDespacitoを聞いています。また、この曲を聞くと自閉症キャンプのことを思い出します。
読者のみなさまにも、もしご興味をお持ちになられましたら、このミューッジクビデオを見て頂ければと思います。このDespacitoの曲は、YueTubeで簡単に聞くことができます。
そして、もし可能であるならば、療育の場面を想像しながらご覧になってください。どうでしょうか?もしかしたら、「違和感」をお感じになるのではないでしょうか?不謹慎、セクシーすぎると思われたかもしれません。
この文章は、「違和感」のことから書きはじめましたが、じつは今みなさまがお感じになっているかもしれない「違和感」こそは、私が伝えたかったことなのです。先ほど書かせていただいた「違和感」は、新しい組織に新入りが入る態度についてですが、療育場面についても似たような「違和感」を感じました。この「違和感」について、もう少し援助場面に重心をおいた上でお伝えしたいと考えています。
しかし、残念ですが、ここで稿が尽きてしまいました。この続きは次号に譲らせていただきます。
【執筆者紹介】下川 政洋(しもかわ まさひろ)
51才です。国際医療福祉大学で主に家族療法を学びました(研修員)。偶然ですが、今年は個人的な事情で、ノースカロライナ州のチャペルヒル市に滞在することが多いです。そして、ここで、自閉症スペクトラムの援助方法であるティーチ・プログラムに出会いました。こちらで感じるのは、発達障がいの人を援助する現場の「空気」が違うということです。「これってなんなんだろう?」と不思議に感じています。言語化がとても難しいです。この辺りの感覚を、攫んで帰りたいと思っています。家族療法もティーチ・プログラムも初学者でございますが、よろしくお願いします。
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