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【アメリカの発達障がい事情】⑥ 臨床から見たTEACCH

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下川 政洋(しもかわ まさひろ)

前回は、自閉のお子さんの親御さんについて書きました。とくにL君のお父さんから多くを学んだと書きましたが、まだ、書き足りないことがありますのでそのことを書きます。唐突なことを言い出すようですが、臨床心理における、「無条件の肯定」を学んだ気がしたからです。

  • 前回L君のお父さんは、お子さんのことをとてもよく分かっていると書きました。そして、TEACCHについても、おそらく私より深い理解を持っていました。それは、このお父さんと話しているときに感じました。息子に何が必要なのかを明確に説明ができるからです。それでいて、その明確に必要なものを、ミシガン州の公立小学校にいるときは得られなかったわけです。息子に必要なものが明確に分かるだけに、そのジレンマはいかほどかと想像しました。これを病院やカウンセリングに置き換えたらどうだろうとも、想像しました。医者やカウンセラーが患者の言うことに耳を傾けなければ、患者は援助してくれる相手に疑念を持たなければなりません。疑念を持ちつつも、その人の援助に頼らなければならない。そのストレスは、本来の問題が持つ苦しみをよりいっそう苦しくするだろうと思いました。L君のお父さんとの会話から、経験をしていない人が経験をした人の話を聞くときの、あるべき姿勢のようなものを学んだ気がしました。

    ところで、TEACCHにおける親と本人の位置づけですが、これは明確に示されています。まず、親の位置は、専門家と並ぶくらいに高いです。これには、研究による裏付けがあります。ある研究で、親が持つ自閉症スペクトラムのお子さんに対する理解と、専門家による発達の査定を比べたところ、両者の評価はほとんど一致したそうです。つまり、例外があるにしても、親の持つ子どもへの評価は、専門家と同じくらい精度が高いとされています。そうなると、TEACCHにおいて親から話を聞くことは、専門的な心理査定と同等に重んじられます。

    加えて、自閉症本人の位置づけについてですが、これも明確に表現されていました。「先生」です。われわれはトレーニング期間中に、さまざまな仮説をたてて教育方法を実施しましたが、自閉のお子さんがその判定者でした。学習が進んだらその学習法はOK、学習が進まなかったらその教育法はダメ。ここがとてもシンプルで、「TEACCHの理論によると〜」なんて議論をしません。インストラクターの先生は、「自閉のお子さんが先生です」と何度も繰り返しおっしゃっていました。

    ここで、このプログラムに参加していたほかのメンバーについて説明します。このメンバーに参加した人のほとんどは、修士を持つ学校の先生です。アメリカで学校の先生になるのに修士は必要ありませんが、管理職に出世するには有利なので、みな修士を持っていました。そして、ほとんどの人が特別支援教育のベテランで、20年以上の経験を持っている女性が多かったです。彼らとのグループワークは、カウンセラーと教師の視点の違いが感じられてとても興味深かったです。

    まず、教師は、手を出すのが早い。ちょっと考えて、すぐに判断をして、次々に問題を解決していきます。トラブルシューターと言いますか、オフロードを走るタフな重戦車って感じです。たとえば、30分アセスメントをしてアセスメントシートに記入する作業で、一気に全部書いてしまうんですね。30分見ただけでそんなに分かるはずはないと思いますが、相手は重戦車ですから私は黙っていました。おそらくは、経験を使って書いていました。彼らの話を聞いていると、「こういう場合ってこうだよね〜。」「そう、そう。」という感じでした。ベテラン刑事のカンのようなものが重んじられる世界を感じました。

    これに比べると臨床の世界は、ゆっくりであいまいだと感じます。あいまいをあいまいのまま保留したり、解釈に対して慎重であったり、微妙な変化が大好きだったりします。ここで、彼らとの違いを感じた2つのエピソードを紹介します。

    あるときに、自閉の子どものコミュニケーション能力を査定することになりました。そこで、質問をしました。「非意図的なコミュニケーションをデータとして採用しますか?貧乏揺すりをしたり、あくびをしたりすることは、非意図的に何かを表現している場合があると思うのですが。」それに対して、ほかの訓練生の反応は言外に「そんなこと気にしていたら、きりがないのではないか。」というものでした。ここでは、けっして嫌な気持ちはしませんでしたが、持っている常識がちがうなと感じました。

    もうひとつのエピソードは、臨床のバックグラウンドを持つインストラクターが、ある自閉のお子さんの指導をするところをデモンストレーションし、訓練生が気づいたところを議論する課題をしたときのことでした。

    私が発言したのは、インストラクターの態度についてでした。われわれにレクチャーするときは、表情豊かでとても親切な印象の方でした。しかし、自閉のSさんを相手にすると、鉄仮面のように表情がなくなり声のトーンが平板になりました。この態度の変化にどんな意味があるのか質問しました。

    インストラクターの答えは、担当をしているSさんは、こちらがある感情を出すと、それに対して反応してくれるそうです。たとえば、10喜びを出すと15返してくれる。それにこちらが反応すると、さらに大きな感情が返ってきて、やりとりする感情の量が大きくなり過ぎ、コントロールできなくなってしまう傾向がある。そのために、余計な刺激を与えないようにしているとのことでした。

    私にとって、このお話は大変興味深いものでした。この先生も気づいてもらってうれしそうでした。しかし、ほかの訓練生には関心の持てないことだったようで、TEACCHが力を入れて教えていることがらではないように思えました。その証拠に、このような、自分の態度を意識して配慮するインストラクターは、臨床がバックグランドのこの先生だけで、ほかの先生はそれほどでもありませんでした。

    同じTEACCHを学習するにしても、教育か臨床かのバックグランドが違うと、随分と関心を向けるところが違うので面白かったです。そして、彼らの仕事場の様子の説明を聞くと、臨床が関心を向けるところに、興味が持てない理由が分る気がしました。

    ニューヨークから来た教師の場合は、全校生徒500人の学校で、特別支援教育を担当しているのは、4人の教師だけだそうです。テネシーから来たおばちゃん先生の教室では、8才の子どもが1年中おむつだけで走り回っているそうです。それは、母親の方針で洋服を汚すからだそうです。あるいは、鼻水や便などが処理できない子どもは普通で、いろいろな種類のいろいろな水準の障がい者がひとつのクラスにいる、凄まじく混乱した現場の現実を説明してくれました。これでは、あいまいや微妙よりも、重戦車だなあと感じました。

    ここまで何回かに分けて、TEACCH体験記を書かせていただきました。お読みくださったみなさまありがとうございます。この体験記は、ここでひと区切りしようと考えております。そして続編を考えています。少し時間を空けて、この夏に自閉症キャンプにボランティアで参加する予定があります。もしご縁がありましたら、そちらもご紹介したいと希望しております。

  • 【執筆者紹介】下川 政洋(しもかわ まさひろ)

    (発達支援研究所 客員研究員)

    51才です。臨床心理学の勉強は、20年の社会人経験の後に始めました。肩書きとしては公認心理師で、国際医療福祉大学で主に家族療法を学びました(研修員)。偶然ですが、今年は家族の事情で、ノースカロライナ州のチャペルヒル市に滞在することが多いです。そして、ここで、自閉症スペクトラムの援助方法であるティーチ・プログラムに出会いました。こちらで感じるのは、発達障がいの人を援助する現場の「空気」が違うということです。「これってなんなんだろう?」と不思議に感じています。言語化がとても難しいです。この辺りの感覚を、攫んで帰りたいと思っています。家族療法もティーチ・プログラムも初学者でございますが、よろしくお願いします。

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