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【当事者が語るパパとママ】注射の想い出(相川裕子)

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相川 裕子(あいかわ ゆうこ)

子どものころを思い出すと、その感情のうねりの激しさに胸が塞(ふさ)がるような気持ちになるときがあります。よくひとりで耐えていたな…、と両親揃(そろ)った身の上でありながらも感じずにはいられません。今日はそんな思い出の数々のうちから、ひとつのエピソードをご紹介いたします。

  • ある冬の日のことでした。5歳の私は風邪をひいて小児科で注射を打つことになりました。神経質で怖がりだった私は、注射と聞いたとたんウッとひるみました。そのあとに続く沈黙が3秒ぐらいだったか、1分ぐらいだったかはもう忘れましたが、その沈黙の間に、私なりの葛藤がありました。

    注射は痛いから、泣きたいほどいやです。でも私には、5歳児としてのプライドがあります。ここは泣かずに頑張ろうと決心したそのときのことです。

    「平気、平気、注射は(予防接種で)慣れてるもんね」

    と、母親が先回りして看護師さんたちに笑顔を向けて言いました。

    私はその言葉にショックを受けました。大人になった今顧(かえり)みると、それは自分が大切にされていない、蔑(ないがし)ろにされているという屈辱の感情だったかもしれません。
    「何でお母さんが勝手に決めるの?それ、いま、私が言おうとしたことなのに…。」

    そうです。私は自分で「平気、平気、慣れてるモン!」と言って志気を上げて、ついでにみんなに「お、偉いな!」とか褒められて、いい気分になってから、注射に挑みたかったのです。

    本当は怖いし痛いのは大っ嫌いなんだけど、そうやって、気持ちを盛り立てて、試練に打ち勝とうと思っていたときだったのです。

    ちょうどそのタイミングに、母は私の気持ちをまったく無視して、私の顔も見ずに、他人の大人たちに「平気、平気」だなんて勝手に決めつけている。

  • 抑え込んでいた涙がどっと溢(あふ)れてきました。もう止まりません。私は手足をバタつかせて抵抗しました。声を嗄(か)らして泣き叫びます。そのうちに体中がヒクヒクと痙攣(けいれん)をおこし始めました。いったんこうなってしまうと、自分の力ではもうどうすることもできません。

    私はふたりの看護師さんに両肩を押さえつけられ、クリニック中に泣き声を轟(とどろ)かせながら、痛い注射を打たれることになりました。


  • すべては母の、本当に間の悪い母のひと言が、多忙な看護師さんをふたりも動員して院長先生を憤慨させながらの注射にまで発展してしまいました。

    それから数十年の時を経て、今ではすっかり笑い話となってしまったエピソードですが、それでも私はあの日の自分を思い浮かべると、飛んで行って幼かった私を抱きしめてあげたい気持ちでいっぱいになります。

    子どもが幼いなりに不安を乗り越えて、注射を受けようとするまでの心の動き、克己心は、その気になって気持ちに寄り添わないと分からないものです。そこに気が付いて待ってあげられる大人のどれほど少ないことでしょう。

    母が看護師さんたちに「平気、平気」と言った瞬間、私は、母が私の気持ちをまったく無視して、私の顔も見ずに、他人の大人たちに「平気、平気」と勝手に決めつけてしまったことに対し、深い屈辱感を持ちました。もしかしたらそのとき、言いようのない寂しさを感じていたのかも知れません。

    母はきっと、娘の心(内側)に気を使うよりも、周囲の看護師さんやドクター(外側)に気を使い続けていたのだと思います。

    大人社会ではよくよくある話ですよね。

    「弱い存在の人たちには、ちょっとかわいそうかもしれないけど、まずはとにかく大きな歯車が滞りなく回っていけるように気を配る。弱い人たちも、そういう中で強く鍛えられていく。それができなきゃ一人前とは言えない」

    そんなことを言われながら子どもは大人になっていくのでしょう。いつまでたってもそれができない私は、社会の中で「半人前」と言われ続けるのでしょうか。それでもいい、あの日泣き叫んでいた幼い私の悲しみに、誰よりも近く寄り添えるような、そんな「半人前」な私でいよう。久しぶりに思い出す幼い日のエピソードを綴りながら、私は改めて決意するのでした。

    (個人ベーシック閲覧期間:2019年9月3日まで)

  • 【執筆者紹介】相川 裕子(あいかわ ゆうこ)
    1964年生まれ。音楽講師。
    2011年より、障がいを持った人と持たない人が対等な立場で芸術的活動を楽しむ市民団体を立ち上げ、その代表を務めている。
    2012年秋に、ADHDをあわせ持つアスペルガー障害(当時)の診断を受ける。夫と3人の子どもの5人家族。

    (「相川 裕子」執筆記事一覧)

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