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【当事者が語るパパとママ】保護者と当事者の認識の違い(口喧嘩編)をめぐる対話(櫻庭愛子・鈴木領人)

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先月公開された、鈴木領人さんの「保護者と当事者の認識の違い(口喧嘩編)」について、特集「自分らしく生きる」にも記事を投稿いただいた櫻庭愛子さんから、鈴木さんに質問と感想を書いていただきました。下にその櫻庭さんからの質問への鈴木さんからのお返事も掲載します。

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    保護者と当事者の認識の違い(口喧嘩編)への質問

    櫻庭 愛子(さくらば あいこ)

    鈴木領人さん、こんにちは。「保護者と当事者の認識の違い(口喧嘩編)」を拝見しました。その中で、いくつか疑問に思ったことを質問させていただきます。

    まず、「口論するときには私はつねに冷静に相手と話をしないといけないという気持ちが強く、できる限り冷静に話をすることに努めていました。」とありますが、なぜ冷静にする必要があるのかというところです。冷静にならなければ、自分の言いたいことが言えない、まとまらないということでしょうか。私は気持ちが高ぶったときは、感情を表に出してしまいます。親しいと思える人であればあるほど、相手に自分は怒っているのだと分かってほしいという思いもあり、言動に出てしまいます。怒りの感情を内に秘め、冷静に努めることはすごいなと思いました。また、できる限り冷静に努めるための工夫などありましたら、教えていただきたいです。

    次に、「考えかたを変える作業を口論中に行っています。」のところで質問です。この作業は、今までの経験したことをずっと頭の中で考えているということでしょうか。たとえば、クッキーを食べて怒られたとします。以前は怒られなかった…ではどうして今回は怒られたのか。前々回は母に「食べていいよ。」と言われてから食べた。前回は兄弟がいなかったから、全部自分のものだった。など、そういう記憶を思い起こしているということでしょうか。

    これは疑問ではないのですが、共感できたところを話します。「親も自分と同じ人間であり、自分と同じで過ちを犯すものだ。」のところで、私もそう思うことがありました。領人さんと一緒で、親は神のような存在で、親のいうことは絶対だと思っていました。自分が納得していなくても気持ちの片隅で、親が言うことに間違いはないのだから、謝らなければいけないと思っていたのだと思います。

    「幼いころから先生の言うことを聞きなさい、親の言うことを聞きなさい、と言われていた結果、それが自分で考えて行動し、責任を取ることに対してのある種の逃げ道になっているように思います。」のところで、あらためて考えるとそうかもしれないと思いました。ただ、その反面、責任をとるということがまだ難しいと考えた親など周りの大人が、自分を守っていたのだなと思い、感謝するところでもあります。

    最後に、「そういうときもあると許容できるようになることが大切」とありますが、私もそうだと思います。でも、実際にはとても難しいことだと思います。「そういうときもある。」と思うためにしていることはありますか?私の場合は、時間が解決してくれるのですが、領人さんが何か工夫していることなどありましたら、教えていただきたいです。

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    櫻庭さんへのお返事

    鈴木 領人(すずき りょうと)

    まずひとつ目の質問ですが、「口論するときには私はつねに冷静に相手と話をしないといけないという気持ちが強く、できる限り冷静に話をすることに努めていました。」とありますが、なぜ冷静にする必要があるのかというところです。

    についてですが、

    口論するときの大半の状態は言葉では表しにくいのですが、自分の心を切り離しているような感覚に近いように感じます。少々矛盾を含んだ言いかたになりますが、冷静に話すということを主体にしているわけではなく、結果として、そうなってしまっているという感じです。逆に感情的になるときのこと考えてみると、相手に自分の話が正確に伝わっていないとき、暴力的な行為をされたとき、自分の有利不利が分かるときになります。そこから考えると、冷静でいるときは本人が想定していない突発的なときに限られているように感じます。なので結果的に、話を聞いて情報収集をしている=冷静な態度につながっていると思います。

    またそれを口論とは認識していないことがあるので、口論っぽいものが終わったあとに何ごとも無かったかのようにふるまえること、それを第一に考えているように思います。喧嘩をすると気まずくなってしまうので喧嘩をしたくない≒喧嘩は無かったと変換するためです。そのため、普段と変わらないように努めるという形が冷静さ(心を切り離す)に繋がっているように思います。

    なので、結果として、何が起こったのか分からないということから、言葉に怒気が混じっていても相手が怒っているとは認識できず固まる、もしくはいつも以上に冷静になるという形になるように思います。

    アスペルガー的な結論になってしまいますが、相手が怒っていることに気づけないため、温度差が生じてしまっており、それにより、さらに相手が怒ってしまうが、当人はさらにわけが分からないため、冷静さが際立ってしまったという形です。「何をしているんだ。」と言われたとして、「何もしてないよ。」と冷静に言ってしまうような感じですね。たとえば、「○○は駄目なことだよね」と口論が始まる前に明確な前振りがあれば、気が付くことができるかもしれません。ただそういった感じで冷静に諭せる人がなかなかいないため、口論では冷静でいる状況が多いということになってしまいます。なので、褒められる感じの状況ではないですね。

    ・次に、「考えかたを変える作業を口論中に行っています。」のところで質問です。この作業は、今までの経験したことをずっと頭の中で考えているということでしょうか。たとえば、クッキーを食べて怒られたとします。以前は怒られなかった…ではどうして今回は怒られたのか。前々回は母に「食べていいよ。」と言われてから食べた。前回は兄弟がいなかったから、全部自分のものだった。など、そういう記憶を思い起こしているということでしょうか。

    についてですが、

    そういった思考で間違いはないのですが、若干ズレがあるように感じます。

    僕の場合はクッキーを食べていいのか、悪いのか、その二択になります。「この場合は、、、」というのは、なかなかできません。できないというよりかは、考えるのが面倒くさいという感じです。今回も含めて、前回、前々回などのことを思い出し、食べた場合怒られる確率が多いか少ないかしか考えないですね。怒っている人に対しての回答は、「前は食べてもよかったのに、、、」ということにしか行かず、状況が考慮されていないことが多いです。なので「状況が違う」と伝えたとしても、「今回はなんでダメなのか」ということを言葉では繰り返しますが、食べていいのか、ダメなのかが回答の鍵になっており、なんでの部分は「状況が違う」という回答では理解できません。ここがいちばん理解できないところだと思いますので、例を挙げると、自分を含めて3人いて3枚のクッキーがあり、2枚を私が食べてしまいました。「みんなに分けられないからダメでしょ。」と叱ったとすると、「一枚を割ってわければいい」と言ったり、「○○君は欲しくないと言っていた」、「それじゃあ誰も食べられないように僕が食べてあげる」などの回答になります。実際、最後の回答は、私が過去に行った行動で、目の前にあるおやつをすべて食べてからその言葉を言いました。その結果もっと怒られたので、「それじゃあ、自分のお小遣いでおやつを買ってきてあげるよ」というとさらに怒られました。

    状況に関しては、変えることが可能と考えているのでなんでの部分には含まれないのです。
    このことから、私はこういった状況を考えることが面倒くさくなりました。

    定型発達者と同じように当事者が求めている回答でないと話は平行線をたどります。このなんで部分は人により異なると思われるため、当事者一人ひとりの当てはまる回答があると思います。

    話を戻しますが、怒られない状況でも食べたときのことを確率的に考えるため、怒られたくない場合は食べない、という形で結論付けをします。それを今後すべてに適合させてしまうので、下手をすると一生クッキーを食べないこともありえます。人それぞれだと思いますが、人前で何かを食べているときに怒られてしまった場合、人前で食べるときに怒られる可能性もあると考えてしまい、今後一生人前で食べることができなくなることもあると思います。

    ちなみに私の場合は、こういう状況には関わらない、が今のところの自己防衛策になっています。

    ・最後に、「そういうときもあると許容できるようになることが大切」とありますが、私もそうだと思います。でも、実際にはとても難しいことだと思います。「そういうときもある。」と思うためにしていることはありますか?私の場合は、時間が解決してくれるのですが、領人さんが何か工夫していることなどありましたら、教えていただきたいです。

    についてですが、

    親が正しくないと思うことができた後に、自分もそれはもうまったく正しい人ではないと認識しました。正しくはありたいと思って行動していましたが、グループでの恋愛では、どう頑張っても利益以外に不利益を被るかたがかならずいます。そのときに立場が変われば正義そして悪にもなると認識できました。たまたま趣味で好きだった小説や漫画やアニメ、ドラマ、映画、音楽でもそういったことがよく書かれていました。そういった疑似体験を通じて成長してきたように感じます。その結果、どんな人でもその行動には何かしら理由があるといまでは考えられるようになりました。理由がない行動にもそうなったきっかけはあるはずです。それをなんでだろう、と考えることで、許容できるようになったのかなと思います。それを療育という中だけではなく、人の成長を見る上で、とくに大切にしたい、と考えています。たぶんそのほうが楽しいですし、自分も周りも幸せになれるかもと思っています。

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    【執筆者紹介】櫻庭 愛子(さくらば あいこ)
    青森県で以前は保育士をしていて、現在は主に発達障がいのあるお子さんやそのご家族の支援に携わらせていただいています。毎日、みなさんから元気と笑顔をもらっています。私にできることは、みなさんの気持ちに寄り添うことだと思っています。趣味はインターネットやショップで、服を見ることです。

    「櫻庭 愛子」執筆記事一覧


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    【執筆者紹介】鈴木 領人(すずき りょうと)
    精神障害者手帳3級所持(ADHD)
    経歴:児童指導員、地方公務員、プロ家庭教師、学習塾講師、学習塾教室長
    ひと言:児童指導員として、3年程働いておりました。現在は札幌にある学習塾の教室長として働いております。定型発達者と発達障がい者との橋渡し的な役割が出来ればと思い、療育現場で身につけたことや当事者としての目線を大切に日々の指導をしています

    「鈴木 領人」執筆記事一覧


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  1. じんべい じんべい

    クッキーを食べていいのか、悪いのか、状況によって判断するのが面倒だから、もう一生クッキーは食べないかもしれない。
    もし、どんなにクッキーをすすめられても食べない人がいたら、わたしはこのお話を思い出すだろうと思います。

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