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「自分らしく生きる」 ー自分を好きになるー(櫻庭愛子)

  • 櫻庭 愛子(さくらば あいこ)

    あなたは、自分のことが好きですか?

    「自分らしく生きる」というテーマをいただいたときに、「自分を受け入れる」という言葉が私の頭に真っ先に浮かびました。それが「自分らしく生きる」ことにつながると思います。

    私は小学校五年生から六年生までの1年間、急に思うように学校に通えなくなりました。学校に行く、休むということを繰り返しました。学校に行けたとしても、遅刻か早退をしていました。「学校は行かなければ行けないもの」、「授業は出て当たり前」、「みんなと一緒でなければいけない」などという思いが強かったため、私は学校へ行かなければいけないという思いと、そう思っても喉に何か突っ掛かっている気がする恐怖でどうしようもなく、泣いて過ごす毎日を送っていました。頭で思うことと気持ちと身体が全部バラバラでした。

    いきなりこうなってしまった私を母はとても心配してくれました。内科で喉を見てもらったこともありました。しかし、目に見えるところは異常がありませんでした。ただご飯をあまり食べられないことから、点滴をしてもらいました。「学校に行きたい!でも行けない!怖い!」と泣いて訴える私に母は「行けなければ行かなければいい!」と言ってくれました。当時の私は、「でも行きたいんだもん!」と口にしていましたが、内心は「行かなくてもいい」と言ってくれる母の言葉に救われていました。そして学校へ行けない私を無理させない程度に、外に連れ出してくれました。また、担任の先生にも私は救われました。給食を食べられないと訴える私に、別室を用意してくれたり量を減らしてくれたり、なおかつ食べられる分だけ食べるよう言ってくれたりもしました。その間、面倒そうな顔をいっさいせず、みんなと同じように接してくれました。そのことが私にとってはとても嬉しいことでした。

    このような日々を送っていっているうちに、家庭では夜ご飯から少しずつ食べられるようになりました。六年生になってすぐの修学旅行へは行きましたが、途中で具合が悪くなり、旅行先で休むということもありました。それでも徐々に食事ができるようになっていき、学校へも行けるようになりました。

    当時は自分がなぜこうなったのかわかりませんでした。ただ「食べたら吐くのではないか…。」という思いはありました。今思うと、私はそのとき、嘔吐恐怖症(パニック障がいの一種と考えられています)になったのです。外食先でトイレを探し、袋を持つようにすると落ち着きました。公共機関を利用するときはとても緊張し、降りるまで気が休まりませんでした。

    ここまで私の嘔吐恐怖症について話してきましたが、じつは診断を受けたわけではありません。しかし、調べた限りでは嘔吐恐怖症の症状がとてもよく当てはまります。そして今も、完全に治ったわけではありません。吐きそうな人を見ると鼓動が速くなり、その場から逃げることで落ち着きますが、しばらくは恐怖との戦いです。また、親しい人の具合が悪くなっても看病してあげるということが難しいです。できないわけではないですが、できればしたくないと思ってしまう自分と、そう思う自分へ腹が立つのとで気持ちが不安定になります。ほかにも、ドラマや漫画などで嘔吐シーンを見てしまうと、鼓動が速くなって具合が悪くなります。自分が嘔吐することも恐怖のため、具合が悪くなると怖くて仕方なくなります。

    このように、私にはできないことがあります。ほかにもいっぱいあります。しかし、このような私を好いてくれ、大事にしてくれる人がたくさんいます。できないことはありますが、反対にできること、得意なことも同じくらいあります。私は学校に行けなくなったときに周りの人が支えてくれたことを今もとても感謝しています。周りがありのままの私を認めてくれたことが「自己肯定感」を育ててくれました。

    私は絵本、小説、漫画本、雑誌…どれも大好きです。昔読んだ本の中に、自分のことを好きではないのに、その自分を人に好いてもらおうと思うのは間違いだという内容のものがありました。私はそのとおりだと思っています。自分を好きになり、その自分を周りに好きになってもらえたらと思います。しかし自分を好きになるには、自分を肯定する必要があります。その自分を肯定するという気持ちは、ひとりではなかなかできるものではないと思います。子どものうちから周りの大人が「あなたはあなたのままでいい」ということを伝えていく必要があると思います。できないことに目を向けるのではなく、頑張っていることに目を向け、またできることを伸ばす。これは障がいを持っている、持っていないに関わらず、必要なことだと思います。

    障がいを持っている子たちは、認められるという経験が少ないような気がします。「みんなと違う」という目で見られるのは、当事者もですが保護者も傷つくことが多いと思います。私の母も私のことで傷ついていました。「育てかたが悪い!」とも言われていたようです。それでも子ども一人ひとりが、「ひとりの人」として、たくさんの人に認めてもらえたらと思います。苦手なことも得意なことも認めてもらい、自分でも自分を認め、全部ひっくるめて私だと受け入れたときに、「自分らしさ」が生まれるのではないでしょうか。

    私は、ありのままの子どもを受け入れ、認められる人になりたいと思っています。とくに今は障がいを持っている子たちと多く接していることから、療育は何かをできるようにするというより、その子を認めることだと思うようになりました。子どもひとりに対し、保護者・周りの先生・そして療育機関の人たち…など、たくさんの大人がその子を認めることができたなら、その子は「自己肯定感」が育つのではないでしょうか。

    ここまで、子どもについて多く話してきましたが、子どもだけに言えることではなく、子どもも大人もみんなに自分を好きになってもらいたいと願っています。そして好きになった自分を周りに好きになってもらえたら、自分らしく生きていけるのではないでしょうか。

  • 【執筆者紹介】櫻庭愛子(さくらば あいこ)
    青森県で以前は保育士をしていて、現在は主に発達障がいのあるお子さんやそのご家族の支援に携わらせていただいています。毎日、みなさんから元気と笑顔をもらっています。私にできることは、みなさんの気持ちに寄り添うことだと思っています。趣味はインターネットやショップで、服を見ることです。


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