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【福祉の基礎を考える】②「people first」って?

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金光 建二(かねみつ けんじ)

こんにちは。金光です。前回「『障がい』って?」という内容で書かせていただきました。

  • 「障がい」に対して特別ではない、という意識を持ってほしかったので、あくまで「障がい」を「障がい」と捉えているのは障がいがある本人ではなく、周りの受け止めかたが大きいということを感じてもらいたかったのですが、うまく伝わりましたでしょうか?

    今回はもっと根本的な話の「people first」=「人ありき」について、自分がなぜその想いを強く持つようになったかを、エピソードを交えてお伝えしていきたいと思います。

    私の兄は、障がい認定はなかったものの何かと理解が難しかったり、周りとのトラブルがあったりという状況でした。兄・弟でありながら、弟の立ち位置ではなく、並列に、どこか兄のことを下に見ていたところもあったのかもしれません。それでも、周りには暖かく見守ってくれる人たちがいて、自分もその人たちにかわいがられたりもしたので、あまり違和感を感じてなかったと思います。

    中高生のときは「障がい」に対して関心を持ちながらも、どうしていいかわからずにどこか遠ざけていたような状況でした。

    それが自分の中で強い自覚として感じられたのが大学入学先を決めるとき。どの学部に行くか悩んでいたときに、「自分のしたいことがあるなら」と予備校の先生に言われて、「ここしかない」と社会学部に決めました。それまでボランティアもろくにしていない、福祉が何かもよくわかっていない状態でしたが、自分の中にずっとくすぶっていた、「何か求められたときに、それができる自分になりたい」という思いが背中を押した瞬間でした。

    たとえば、駅で白杖(はくじょう)を持った方を見かけても、「どう手伝っていいか分からないし、変に手伝っても迷惑がかかる」と見て見ぬふりをしていましたが、ボランティアで視覚障がいのある方の手引きをしはじめると、自然に駅で白杖を持った方に対して何をすべきかが分かるようになり、声がかけられるようになりました。そのころから漠然と「優しさってなんだろう?」と考えるようになり、「優しさ」について意識するようになりました。

    困っている人がいたときに、手を差し伸べるのは「優しさ」かもしれない。でも、自分がやってあげたい気持ちを押し付けたり、必要以上にやってあげたりするのはどうなんだろう?自然に、さりげなく行動に出るものができればいいんじゃないか、と思い、何か求められたときに応えられるように、資格の勉強もするようになりました。

    最初に就職した養護施設(現在は児童養護施設)では、中高生を担当していましたが、等身大の子どもたちと関わるのに、自分の強い想いをもって関わらないと、本音を見せてくれないことを学びました。社会の縮図ではないですが、いろいろな問題を抱えて生活している子どもたちですが、一人ひとりを見ていくと、年相応の、いや、それよりも幼い感性を持った子どもたちの優しい気持ちに触れることがありました。

    不登校からその施設に来て、本当は気弱なのに、大人に対して強がったり、えらそうに言ったりする子がいました。普段そういう態度だったんですが、その子の誕生日にケーキを作ってあげたときに、砂糖の分量を間違えて全然甘くない生クリームを作ってしまって、ほかの子らは「これ全然甘くないやん」と言っていました。でも、その子は「えっ、でも大丈夫、食べれるで。」と言って食べてくれたのです。子どもたちが生活している場所なので、一所懸命その子たちのことを思ってすればするほど、なんらかの形で伝わることを実感できた場所でした。

    また、その養護施設を退職し、そのあと実習でお世話になった児童養護施設で小学生の担当になったときに、担当した部屋の子たちと外泊することになりました。少しでも今までにない経験をしてほしかったので、予算では行けないような城崎温泉でカニを食べに行く企画を立て、少しでも安くできるように交渉して、何とか予算内に収まり、さあ、行こうか!と張り切って行きましたが、予定していたものがなかったりと、着いて早々、へこんでいました。すると、子どもたちが、「別にいいよ、大丈夫やで。」と慰めてくれて、六年生を中心に荷物を率先して持ってくれたり、小1の子の面倒を見てくれたりとこっちが何か指示しなくても、自然とやってくれました。そのときに、「何でもやってあげることが大事なんじゃない、頼ってもいいんだ、自分ばかり背負わずにみんなで一緒にやっていくことが大事なんだ、と学びました。それから子どもたち自身が何ができるかという視点が持てるようになりました。その学びは今も変わらず、障がいがあってもなくても、「その人」ができることについて考える基盤となりました。「優しさ」はしてあげるだけのものではなく、見守ることも大事だと学ぶことができました。

    その後、障がいのあるが日中通う施設に転職し、いろいろな障がいのある方と関わることができました。言葉ではない、目に見えない部分での感じかたやノンバーバルのコミュニケーションのしかたの重要性を学びました。このときに自分ではあまり気づいてなかったのですが、「障がい者」に「健常者」としてかかわっている感覚があまりなくて、「障がい」がある人たちと関わっている意識はあるものの、その人たちの「障がい」についてどうすればいいか、という意識を持っていたように思います。

    次に転職した障がいのある方が通う作業所では、こちらの関わるスタンスで相手も変わるということが実感できました。強度行動障がいのある方で、手を握っていないと相手の腕に爪を立てる、嚙むといった行為のある方。みんなが何かあってはいけないと、手を離さないように見守るといった状態でしたが、その状態があまりにも不自然だったため、できるだけ手をつかまないように、本人が持っている不安を真正面から受け止めて、「大丈夫」と言い続けていると、徐々に落ち着き始めました。ちゃんとこちらにゆだねてくれるまでは時間がかかりましたが、こちらが言葉でどういう気持ちかいろいろ投げかけて気持ちを確認すると、つねったり、優しくなでたりと、思いが合っている、間違っているを伝えてくれるようになりました。自分の思うようにいかないとすぐに相手の背中を叩いてくる方も、人を叩きに行ったときに制止されるだけではなく、機嫌よく過ごしているときに横に添い寝したり、同じように動いたりと一緒に楽しく過ごす時間を大切にしました。いいことをしたとき、相手を傷つけるようなことをしたときとメリハリをつけたことで、人を傷つける行動が減り、笑顔が増えてきました。「障がい」について配慮は必要であっても、「障がい」があるから特別ではなく、「受け容れる」ことが大切だと感じました。

    その後、異動で特別養護老人ホームや高齢者のデイサービスでも従事しました。みなさん自分よりも経験が豊富な方たちでいろいろなことを教えていただきました。年配の方ばかりなので、自然と敬意を持って接することができました。今そこにいるその方が、今までの人生経験を重ねてそこにいる、と感じるとその背景も含めて「その人」なんだっていうことを実感することができました。

    年齢や障がいの有無に関係なくいろいろな方と関わっているうちに、他の職員から利用者の方に対して「かわいそう」という言葉が出ることに違和感を感じるようになりました。「障がい」があることが「かわいそう」なら、この人たちは一生「かわいそう」な存在として生きていかなくちゃいけない。年齢が、環境が、病気が、といろいろなことが「かわいそう」になってしまう。

    でも、純真無垢でもなければ、「かわいそう」な存在でもなく、みんな同じようにずる賢くって、嘘つきで、でも上手に生きられない、特別な存在じゃないって分かると、「障がい」について意識せずに関わることができるかな、と思います。

    「障がいありき」ではなく「人ありき」。その方が抱えているものにレッテルを貼るのではなく、その人の一部として受け止めて、その人の存在を大切に思うことが大事なんだと思います。

    「people first」の意識をつねに忘れないようにしたいなと思います。

    (個人ベーシック閲覧期間:2019年12月5日まで)

  • 【執筆者紹介】金光 建二(かねみつ けんじ)
    関西で発達障がいの子どもの支援に関わっています。
    大学で社会福祉を学んだあと、児童養護施設、知的障害者通所更生施設、生活介護・就労継続B型の多機能事業所、特養、高齢者デイサービスなど渡り歩き、児発管を経て今は関西地域の統括をする長をさせていただいています。いろいろなライフサイクルを現場で見た中で、人と関わる上で「たいせつなこと」についてみなさんと共有して行ければと思います。
    趣味は漫画を見る、料理を作ることです。よろしくお願いします。
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