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【アンフェアを生きる】①アンフェアを生きる

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  • 北村 碩子(きたむら ひろこ)

    私には「聞こえの問題」がある。と言っても、器質的に音が聞こえにくいということは決してないのである。むしろ、音感や些細な音まで聞き取る能力に関しては、普通の人よりも良い、と称される。そして、そのことが時に弊害をもたらす。普通の人なら気にならない(私は生まれたときからこの聞こえ方なので、大多数の人がどう聞こえているのかわからないが)サイレンや、運動会のピストルの音が直接脳に突き刺さるように感じ、強い恐怖を感じる。咳や風邪のときの洟(はな)の音がとてつもなく不快に感じる。人に「この音が怖い、嫌だ」と訴えると、「怖がりで臆病な子だ」「あなただって出す音なんだから我慢しなさい」というようなことを言われる。今なら「心臓が悪いから絶叫系のアトラクションを辞退する子に、臆病な子だと言うのか」「犬猫アレルギーの子に、あなただって毛が抜けるんだから頑張って動物と同じ空間にいろと言うのと同じことだ」などと言い返せる。だが子どもの頃はそんな反論の術を持っておらず、周りの言う通りに「自分は臆病だし、風邪の人に対して薄情な人間だ」と思い、自己評価を下げることがしばしばあった。

    しかも、聴覚が過敏すぎるということだけでなく、私には「聴覚処理障害」というものもある。似た音を判別できない。連なった文字列をどこで区切れば良いのか分からない。例えば、「受信料の、支払いを…」と言う言葉を「茶心療のしはら、い?」という風に聞いてしまい、その後の話の流れを聞いてひたすら頭の中で「あれはなんだったんだろう」と考え直し、「そうか受信料の支払いのことか」と自分で呆れてしまうことが度々ある。自分が明るい分野の話であれば誤変換が減るが、あまり知らない、または人と話すことがない分野の話であれば、このような脳内の誤変換バグがしょっちゅう起こる。この特性に加えて、前者で話していた聴覚過敏、そして注意欠如ですぐに意識が逸れる特性である。幼稚園の頃から、人に口頭で指示された行動をちゃんと実行できた試しがほとんどない。ただでさえ、「えっ、『理科』って言った?『医科』って言った?『箸、れば』って、箸とレバーがどうした?あっ、『走れば』か」という謎解きのような誤変換修正をしなければならないときに、隣の人が咳をしたり、窓の外からサイレンが聞こえてこようものなら、そちらの音の恐怖感や不快感から逃れるために、意識を「聞く」ことから逸らさざるを得ない。普通の人が、時々ガラスが割れる音や蚊が耳元で飛ぶ音がする部屋で、かなり音質が悪く、かつテープが擦り切れていて変なところで途切れるテープレコーダーの再生を正確に聞けと言われ、上手く聞き取れなかったら「集中力がない」「人の話を聞く気がない」と言われたら、どんな気分になるだろうか。私は大学生のとき、口頭だけで重要語句を教える先生にあたり、テストで「啐啄同時(注:禅で、機が熟して悟りを開こうとしている弟子に師がすかさず教示を与えて悟りの境地に導くこと。)」を「とったくどうじ」と書いてしまって点を落としたときには、頼むから黒板に書いてくれ、それだけでどれだけ救われるか分からない、と心から思ったものである。

    この状況を、私と同じ症状の子どもが打破するのは、かなり高いハードルが何個もある。まず、理解者。佐村河内氏の事件からも分かるように、世の中の健聴者は「聞こえが普通と違うというのは、完全に何も聞こえないか、あるいは天才的に音感が良いかの二択」のイメージしか持っていないように感じる(佐村河内氏は完全に聞こえない訳ではないが、周りが騒がしい中での音の判別が難しく、また体調によって音が歪んで聞こえることがあったようである。しかしメディアはこぞって『聞こえないフリをしている』と茶化し、結果全国の軽度難聴の人々を傷つける事態となった)。そんな風潮の中で、親や担任に「こういう風に聞こえづらい」と訴えても、「あなたはあれだけ音感がいいのに何を言っているの」「聴力検査では問題が無かったのに」と一蹴されてしまうだろう。ただでさえ、マイノリティとして生きることは心細く孤独なものであるのに、こんな無理解なことを言われたら「誰にも分かってもらえないどころか、困っていることを言ったら逆に叱られる」と、ひとに言う勇気すらなくなってしまうと思う。現に、私も学生時代、体育の教師に「(聴覚過敏で、体育館中の音と混ざって聞こえてしまうので)先生の話が聞こえなくて、今日の授業で何をすればいいのかが分からなくて困る」と訴えると、「じゃあもっと前に来て聞きなさい」と言われ、がっかりしたことを覚えている。それでも聞こえないから、というかそもそもその程度の工夫ではどうにもできないから困ってわざわざ相談したのである。もし教師に、「普段は問題なくても、うるさい環境下では聞き取りづらい学生が、とりわけ発達リスクのある子には多い」という知識が少しでもあれば、対応は違ったのではと考える。言ったことを端的にでもホワイトボードにメモする、体育館に入る前に話をするなどの工夫に思い至ったのではないかと思う。

  • 【執筆者紹介】北村 碩子(きたむら ひろこ)
    はじめまして。生まれも育ちもずっと香川です。去年の夏から、障害児通所施設の指導員として活躍させていただいております。性格はよく天然と言われます。発達障がいの当事者として、日々関わらせていただいている利用者様からたくさんのことを学んでいます。
    趣味…読書、約束のネバーランド、物書き、犬など。ピアノ弾けますので、お子様のリクエストたまわれます。


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コメント欄

  1. まー まー

    私は聞こえの問題を持ったことがないので、何もかもが初めてで驚きの内容でした。しかし、このコラムによって聴覚で悩んでいる人がいて、具体的にどのような時に不調になるのかを知れてよかったです。ありがとうございます。このエピソードから先生のように自分の考えで意見するのではなく、相手がどのような状態なのかを知ることの大切さをひしひしと感じました。それはほかのことにも言えることで、もしかしたら私も何気ない言葉で誰かを傷つけていたかもしれません。まず、自分の意見を言う前になぜそうなるのか、どんな現象が起こっているのかを聞く姿勢を持っていきたいです。