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【アンフェアを生きる】② フラワーデモと発達リスク

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北村 碩子(きたむら ひろこ)

3月11日、フラワーデモが起こった。

実の娘を数年間にわたり、性的暴行をした父親が罪に問われた。しかし、裁判所は性的虐待の事実を認めたにも関わらず、父親を不起訴とした。この判決に対し、全国の性暴力サバイバーの女性たちが一斉蜂起し、抗議の声を上げたのだ。

  • まだ寒く、強い風が吹くさなか、デモをする女性たちは、自分たちを襲った性暴力の実態を涙ながらに訴えた。

    発達リスクをもつ子どもの療育を考える場で、なぜフラワーデモを持ち出したのか、疑問に思う人もいるだろう。答えは単純である。すべての差別は根っこで繋がっているからである。

    女性たちは、「痴漢するな。レイプするな。性暴力加害者を野放しにするな。」と、泣きながら訴えた。日本は安全で平和な国といわれているが、男女平等ランキングは149ヶ国中の110位(注)。こんな当たり前のことを、涙ながらに告発しないといけない国なのである。逆にいえば、このような情勢の国で、女性への暴力に反対する声を上げるのは、とてつもなく勇気がいる行動なのだ。

    案の定、共感する人々もいるなか、傷口に塩を塗るような人間も大勢現れた。ネット上でフラワーデモのニュースが配信されると、「痴漢されるのは女なんだから仕方がない。嫌ならお前らが努力して、性被害に遭わないように自衛して努力しろ」と、被害者をさらに傷つける発言をする人が現れたのだ。痴漢から女性を守るためにつくられた女性専用車両を、「女を特別扱いして、男性を差別しているじゃないか」と非難する男性もいた。「これだから女は感情的だ。そんなに喚(わめ)き散らしても、男は訴えを聞いてやらないぞ」とせせら笑う声も。このようなセカンドレイプはネットのなかだけでは収まらず、現場ではスピーチする女性のマイクを奪った男性までいたという。

    女性のマイクを奪った男のツイートが流れてきたとき、頭に電撃が走った。これは、発達リスクをもつ子どもたちが常に晒(さら)されている暴力、理不尽と同じだと。

    教育現場は、発達リスクのある子どものためのプログラムで動いてはいない。私自身、身をもって知っている。すらすらと字の読み書きができ、計算が解け、不意に呼びかけられた全体への指示に迅速に反応でき、40分の授業中静かに席に座っておくことができる生徒が揃(そろ)っている前提で動いている。もちろん、最近では補助教員やユニバーサルデザインの指導などで、だいぶインクルーシブな授業ができているところもあるだろう。だが、旧態依然として「合理的な配慮」というものがまったく念頭にない学校もあるのである。その結果、発達リスクのある子どもは、頑張らないのではなく、頑張れない部分での努力を強要される。脚が不自由な生徒に、「お前がうまく走れないのは努力が足りないせいだ」というのと同じなのだが、彼らはそんな無茶を強要している自覚もない。定型と同じ土俵に放り込まれ、自尊心を傷つけられ続け、失敗すればすべてを自分の責任にされる。こんな理不尽には、だれも耐えられまい。

    だから、彼らは必死で声を上げる。「私たちに、定型と同じことをしろというのは、盲目の人に、頑張って見ろというのと同じだ。無謀な努力を強いないでくれ」と、当たり前のことを涙ながらに訴える。だが、理解のない教育現場は冷ややかだ。発達の特性を説かれてなお、「できないのはやはり努力不足だ」と、自らの技量不足を子どもに責任転嫁する。みなと足並みを揃えるために必要な補助ツールを申し込めば、「逆に定型の子どもを差別している。優遇の特権ではないか」と、わがまま扱いされる。しまいに、「こんなに泣きわめいて怒って訴えるなんて、これだからリスクのある子どもは厄介だ」と、モンスター扱いまでしてくる。泣きわめき、怒るほどの状況に追い込んだのは、自分たちの責任であるにも関わらず。あたかも、相手がもとからヒステリーの要素をもっていた結果だとでもいうように。しまいには、「そんな感情的に訴えても、自分たちはお前たちの困り感を聞いてやらないぞ。」と、抗議のマイクを取り上げられる。そして「多数派に受け入れてもらいたければ、もっとへりくだった態度でいろ」と、「声の上げ方」まで多数派に決められてしまうのである。

    そう、フラワーデモの参加者が、差別者にぶつけられた悪意とまったく同じなのである。すべての差別は根っこで繋がっている、というのはこういうことだ。社会的弱者への暴力は、チューリップのように、たまたま一個の球根があって、単体でポッと出るものではない。社会全体に差別意識が張り巡(めぐ)らされ、それが時折隆起して実を結んでしまうのだ。たとえるなら、広い範囲に根を張り、あっという間に成長し数を増やす筍に似ているだろう。

    たまたま何人かこころない人がいたのではない。無意識下に、「弱者がつらいのは、本人たちの努力不足で、強者の責任ではない」「弱者に配慮するのは、自分たちの特権が犯される(ように感じる)危機である」「抗議する弱者は図々(ずうずう)しくて、感情的」「踏みつけられた弱者が声を上げようとしたら、強者がその抗議の仕方をコントロールすべきだ」という根っこが張り巡(めぐ)らされているのだ。それが性暴力に声を上げる女性や、合理的配慮を求める発達リスク児への攻撃に繋がるのである。

    「これは差別ではなく常識だろう」と、だれもが心のどこかで思い込んでいたことを、文字に起こし可視化すると、その不条理に気がついてくれる人がいただろうか。私の拙文を、発達リスク児の療育を行う際に少しだけ思い出してくれれば、とても幸いだと思う。

    (注)World Economic Forum (2018) The Global Gender Gap Report 2018 (http://www3.weforum.org/docs/WEF_GGGR_2018.pdf)(2019年7月23日確認)

    (個人ベーシック閲覧期間:2019年9月1日まで)

  • 【執筆者紹介】北村 碩子(きたむら ひろこ)
    はじめまして。生まれも育ちもずっと香川です。去年の夏から、障害児通所施設の指導員として活躍させていただいております。性格はよく天然と言われます。発達障がいの当事者として、日々関わらせていただいている利用者様からたくさんのことを学んでいます。
    趣味…読書、約束のネバーランド、物書き、犬など。ピアノ弾けますので、お子様のリクエストたまわれます。

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