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【福祉の基礎を考える】<番外編>「障がい」」について考える
(前盲導犬ブリーゼ追悼特別寄稿)

この記事を読むには12分ほどのお時間がかかります

金光 建二(かねみつ けんじ)

先日、大阪府からうちの妻に貸与され、昨年引退した盲導犬のブリーゼが他界しました。

  • 引退して1年。11歳。人間の年齢にすると69歳ですが、まだまだ元気で、引退後は近くの方にボランティアとして受けてもらっていたので、たまに会うこともできていました。1か月ほど前には、私が娘と車に乗っているときに、わが家の近くを元気に散歩している姿を見かけていました。だから、まさかその後元気な姿を見ることなく亡くなるとは思いもしませんでした。

    昨年、10歳になったのを機に引退。10年前、1歳5か月のブリーゼがわが家に来て9年2か月。それがブリーゼと一緒に家族が過ごした時間でした。

  • みなさん、盲導犬については、コマーシャルもしていて、たまに見かけることもあるかもしれません。ドラマや映画、漫画もあるので知っている方も多いかもしれません。私の知っている方の中にも、パピーウォーカー(盲導犬が訓練を受ける前に子犬の段階で預かるボランティア)だったという方もいます。どこかで聞いたこと、見たことはあるかと思いますが、どんなイメージをお持ちでしょうか?

    よく聞くのは、「えらいね」「かしこいね」「おとなしいね」「大変だね」「お仕事頑張っているね」。ほかに、「無理やりさせられている」「我慢させられている」という印象を持っている人もいます。

    でも、一緒に暮らしていた、そして今も二頭目の盲導犬と暮らしている身としては、「なんでそう思うの?」ということが多くあります。


  • リビングで「のべっ」としている
    ブリーゼ
  • そのように思う方は、自分の気持ちを盲導犬に置き換え、「自分がその立場だったなら」という気持ちで言われると思うのですが、そもそも盲導犬は、いや、犬は自分の主人が視覚障がい者であることなんて認識していません。ほかの犬もそうですが、自分で主人は選べません。自分の主人にたまたま「視覚障がいがあった」というだけのことです。

    ですから、盲導犬自身は「えらい」とも「大変」とも「無理やりさせられてる」とも感じていません。


  • ウォーキングのイベントにて
  • もちろん、盲導犬としての役割を果たすために、トイレは袋をつけて定時排泄するように訓練されていたり(トイレの仕方は盲導犬の協会によってやりかたが違います。妻が貸与した盲導犬を取り扱う協会では排泄の際に袋をつけます)、エサは定量を同じ時間に与えられ、吠えたり嚙んだりすることもありません。コマンド(指示)と呼ばれる犬と会話するためのツールがあり、盲導犬とそのユーザーはその便利なツールを学んでいるので、ほかの犬ができないこともできます。世間一般からすれば、「おとなしくてかしこい犬」と思われるのも当然だと思います。そして、そのための訓練のことを誤解して、「そこまでできるようになるためには厳しくしつけられているんだろう、かわいそうだ」と思われるようです。

  • 盲導犬が視覚障がい者と安全に一緒に歩くために、トイレやコマンドなどの訓練がされていることは事実です。でもその訓練があって、彼女がいつまでも元気でどこでも一緒に主人と過ごすことができます。たとえば、いろんな食べ物の味を知ってしまうと、同伴した飲食店で食べ物を欲しがってしまうことで店に出入りができなくなったり、いつもと違う時間に食べることで排泄リズムが狂い、トイレのコントロールができなくなり、粗相をしてしまうことでいろいろな場所への出入りができなくなったりします。、1頭が粗相をすると、すべての盲導犬が拒否されてしまいます。それを防ぐためにエサやトイレのコントロールが必要になります。別の言いかたをすると、盲導犬は視覚障がいのある方と一緒にいるために、ペットがいて迷惑がかかる行為を極力なくすしつけがなされているだけで、あくまで盲導犬ユーザーである主人といつでもどこでも一緒にいるために人間側の都合(これは盲導犬ユーザーではなく店などの受け入れ側の、という意味です)にあわせるために必要なことをしているだけなのです。

    また、視覚障がいのある方と「安全に」歩くために、盲導犬の仕事として、「止まる」「道の端を歩く」「障害物をよける」「指示された方向に行く」「寝て待つ」ことができるように訓練を受けます。よく間違われますが、盲導犬が道を覚えて、その場所に連れて行ってくれたり、信号を見て、「赤信号だから危ないから止まろう」なんてできません。あくまで盲導犬ユーザーが道を覚えて、盲導犬に方向などの指示を出しながら目的地に向かっているのです。盲導犬ができるのはユーザーとの歩行中の「危険」を避けて「安全に」歩くことなのです。

    訓練も虐げられるようなものではありません。その証拠に、訓練所から歩行訓練(フォローアップ)のために訓練士が来ると、家のドアも開けていないのに察知して玄関に向かいしっぽを振ります。盲導犬はみんな訓練士が大好きです。訓練士が大事に関わってきているのがすごく伝わります。

    みなさん、盲導犬はどうやって盲導犬になるかご存知ですか?

  • そもそも、盲導犬を育成し管理する協会は全国にいくつもあり、トイレの仕方や呼びかたなど、それぞれにやりかたが違いますが、うちに来た盲導犬の場合をもとに考えれば、盲導犬は、繁殖犬ボランティアの方のところで生まれ、パピーウォーカーさんのところで約1年、愛情いっぱいに関わってもらい、いろいろな経験を経て、訓練所での訓練に入ります。数か月の訓練の後、適性がある犬が盲導犬として視覚障がいのある方との共同訓練に入ります。適性がなくて盲導犬になれなくても、広報的な役割をしたり、一般の家庭に引き取られたりと安心して過ごせる場が提供されます。そうして、うちの妻と訓練所で約1か月の共同訓練を経て、わが家にやってきました。


  • 誕生日のブリーゼ
  • 最初に来た時に、はしゃぎ過ぎて家の前で走り回り、道路に飛び出しそうになったのを必死で止めたのを覚えています。わが家の階段を降りるときに、滑って下まで滑り落ちてしまい、怪我はなかったものの危ないので慌ててスベラーズをつけました。最初の盲導犬だったので、何もかも初めてで、距離感も分からずに、どこまで接してよくてどこからダメなのかも慎重にしていました。仕事のときとそうでないときのオンオフが難しいのは、子どもたちに普段私たちが伝えているメリハリと同じですよね。彼女が主人と一緒に、安全にどこにでも行くことができるように、メリハリを大事にしました。

    ですから、周りから見れば、優秀な犬であり、盲導犬はかしこい、と思われていたと思います。

    でも、普段家で一緒に過ごしていた彼女は、「一緒に遊んで」とはしゃぎ回り、お客さんが来ればしっぽを振って飛びつき、おなかを見せながら甘えていたり、床で一緒に横になっていると腕枕に頭をのせたり、気持ちよさそうに寝ていると思ったら「ムホッムホッ」と寝言を言いだしたり、息子が食事中にポロポロこぼすのを見て物欲しそうに首を伸ばしたり、車に乗るのが好きで出かけるときは、われ先にと乗り込んだり…(いずれも盲導犬としてはいい行動とは言えないかもしれません。最初に訓練所から注意されたこともできていないこともあります)。かしこい盲導犬の姿よりも、日々見ている家族として過ごしている時間の方が何倍も目に焼き付いています。

    盲導犬に対する世間の目は、ここ10年で変わったとはいえ、厳しいことも多くありました。視覚障がい者の会で会食する場所の下見で寿司屋に行ったら、「衛生的に良くない」とことわられました。婦人科ではほかの方の診察が終わるまで外で待たされた挙句、「診察できない」と言われたこともありました(最終的に警察まで呼ぶ騒動になりましたが、おそらく院長が犬が苦手だったのかと思います)。

    それでも、たくさんのところにも行きました。子どもが幼かったので、子どもと行く場所はほとんど行ったかと思います。映画、遊園地、キャンプ、旅行、外食など…。最初は交渉から入り、なかなか了承してもらえないところは協会に言って対応してもらいました。もちろん、快く受け入れてくれたところも多く、ブリーゼも一緒に乗りものに乗ったりもしました。

    また、盲導犬の話をするために妻とたくさんの講演会に行きました。とくに小学校三年生では教科書に盲導犬が出ているため、それに合わせて講演会の依頼が来ました。ほかにも中・高からも依頼があり、頻繁に行っていました。何度もやっているうちに手慣れてきて、いいタイミングでじっとしていたり、待てをしたりと妻との息もバッチリでした。何よりも子どもが好きで、子どもたちも彼女に触って大喜びしてくれて、どこでも人気者でした。

    わが家の子どもたちにとっても兄妹と一緒でした。ときには世話をし、ときには甘え、一緒に寝て遊んで、彼らの人生の大半を一緒に過ごしてきました。

    そんな風に一緒に過ごしてきた彼女が「つらくて」「しんどくて」「むりやりさせられていて」「我慢ばかりさせられて」きたとはどうやっても思われません。

    おそらくそれは、「障がい」に対する偏見が生んだものなんだろうと感じています。


  • 誕生日ケーキと一緒に
  • ブリーゼは先にも述べましたが、「視覚障がい」なんて分かりません。どちらかというと時折うちの妻からヒステリックに言われることのほうが嫌と感じており、スーッと静かなところに避難します。強いて言えば「この人気づかないから近くにあるもの黙って食べちゃおう」っていう自分にとって都合のいいことがあるぐらいの認識ではなかったかと思います。それでもうちの妻のことを主人として一番に見ており、その動きをつねに気にしていました。自分とつねに一緒にいてくれる存在として、お互いになくてはならないパートナーであったんだと思います。そう考えると、彼女が一番、うちの妻のことを偏見なく見てくれていて、私たちはどこかで「障がい」に対して色眼鏡で見ていたんだと気づかされます。その色眼鏡が、「障がいのある人の世話をしなければならないのはかわいそう」って、ブリーゼ自身が思っていない観念で周りに見させてしまうんだろうなと。

  • みなさんは周りの人から「あなたは特別です」と言われたらどう思いますか?自分の功績に対する評価のようなものならとてもうれしいかもしれませんが、自分ではどうしようもないことに対して、「あなたはほかの人と違うよ」と言われて喜ぶ人はいないと思います。それを障がいのある方に対して「善意だから」「悪気はないから」とどこか見下していませんか?

    私が新人職員が入ったときに行う研修で、毎年支援や加配を受けていたその子が、ある年には普通学級で過ごせた話をしています。それは結果的に先生や周りから「特別」に見られなくなったことでできたことだと私は思っています。

    「障がい」自体はあくまで誰しもが持つ、個性の中のひとつです。それを本当の意味での「障がい」にしていくのは私たちの気持ちや見かた、つまりはわれわれ大人の見かたや態度だと思います。

    彼女のようにフラットに見ることはできれば、「特別なもの」として囚われることなく「障がい」を受け容れることができるのではないでしょうか。彼女と過ごした日々を振り返り、そのことを彼女にあらためて教えてもらったような気がします。

    本当にありがとう。安らかに眠ってください。

  • 【執筆者紹介】金光 建二(かねみつ けんじ)
    関西で発達障がいの子どもの支援に関わっています。
    大学で社会福祉を学んだあと、児童養護施設、知的障害者通所更生施設、生活介護・就労継続B型の多機能事業所、特養、高齢者デイサービスなど渡り歩き、児発管を経て今は関西地域の統括をする長をさせていただいています。いろいろなライフサイクルを現場で見た中で、人と関わる上で「たいせつなこと」についてみなさんと共有して行ければと思います。
    趣味は漫画を見る、料理を作ることです。よろしくお願いします。
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