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【アメリカの発達障がい事情】自閉症サマーキャンプ篇⑨
レッテルを貼りたいですか?(1)

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下川 政洋(しもかわ まさひろ)

  • またまた、私事を書くことをお許しください。私にはアメリカ人の義理の父親がいます。私はこの方をとても尊敬しているのですが、長年弁護士をされてきた人です。刑事事件も多くとりあつかったそうです。あるときこの義理の父と話をしていると、とても面白いことを教えてくれました。刑務所の看守の行動は、とても囚人に似ているそうです。刑務所でもっとも囚人らく見えるのは、長年働いている看守の方だと冗談ぽく語ってくれました。そして、この看守の持つ囚人っぽさのようなものは外で会ったとしても、「あっ、この人は看守かもしれない」と気づくそうです。刑務所では、囚人がマジョリティーで、看守は囚人よりも長い期間刑務所で過ごすからかもしれないとも言っていました。

    ところで、自閉症キャンプでも似たような経験をしました。ちょうど、5週目辺りを過ぎたころです。私が気づいたのは、インストラクターの動作がなんとなく自閉っぽくなっているんです。まず、表情が消えてきています。キャンプが始まったころには、うるさいほど表情を使って非言語でしゃべっていた子が澄ました顔をしています。それは特別な誰かではなくて、インストラクター全体が表情信号を送り合わなくなります。あるいは、動作もそうです。はじめのころは、ASD(自閉症スペクトラム障がい)の人の動作とキャンパーの動作に違いが感じられました。少し離れて見ても、どっちがキャンパーでどっちがインストラクターなのか、すぐに見分けることができました。でもこのころから、ぱっと見では分からなくなります。何か、他者からの刺激に対する反応の閾値が低くなってしまったようです。他者にたいする無関心と配慮のなさが、行動にあらわれるように見えてしまいます。

    もちろん、これがASDの人の影響を受けたからだけだとは言えません。そんな単純なものではないでしょう。第一、このころからインストラクターの疲れが溜まってきます。不機嫌になります。そうすれば、誰でも同じように表情が鈍くなります。あるいは慣れてきます。慣れてくると、動作が省エネされてきて、不必要な動作をしなくなってきます。あるいは、ほかにも理由があるのかもしれません。

    しかし、です。それでもやはり、ASDの人の影響はあると思います。相互作用ではないでしょうか。大体、これほど長時間一緒にいて、しかも、自分の担当者に関心を持ち続けて業務をするのだから、影響を受けないことは不可能です。

    ここで、少し別のお話をします。心理学のお話です。私は中年になって大学に戻り、心理学を勉強しました。その学部時代に学んだことで、とても興味を持ったことがありました。ミラーニューロンというそうです。

    初学者が恐縮(あまり、初学者、初学者と書くのも嫌みになるかもしれませんのでこれを最後にします)ですが、これをお読みの方の中には心理に馴染みにない方もいらっしゃると思い、一応説明をさせていただきます。プロの方は、目をつむってください。

    ミラーニューロンとは、心理学の中の神経学の言葉です。ミラーニューロンは神経のメカニズムのひとつで、われわれが他者に共感をするときには、このメカニズムが働いているそうです。たとえば、Aさんが水を飲んでいて、Bさんがそれを見ているとします。Aさんは水を飲んでいますから、脳の中では水を飲むときに必要な脳の部分が活動をしています。Bさんは見ているだけですが、見ているだけで、水を飲むときに必要な脳の部分が活動するそうです。見ているだけなのにです。これをもう少し詳しく説明すると、ミラーニューロンは、運動ニューロンに隣接しているから、これが可能になるそうです。みずからは何もせずに、他者の振る舞いを見ているときでも、ミラーニューロンは、活性化します。活性化するとは、ある神経細胞が発火して、別の神経細胞に電気信号を送ることです。また、見ている人のそれが発火するパターンは、見ている人が普段その動作をするときに発火するパターンを、厳密に再現するそうです。手短かに言うと、他者の動作についての視覚情報は、ミラーニューロンのおかげで、私たちに仮想経験を可能にするそうです。

    そして、このミラーニューロンのおかげで、われわれにはザクッと言って、三つのことが可能になるそうです。1)他者の動作を模倣する。2)他者の情緒に共感する。3)他者の体験を仮想体験する。

    そんなことを考えると、インストラクターがなんとなくASDっぽくなるのは、ミラーニューロンで説明ができるのかもしれないと思いました。ASDの人と定形発達の人が長期間接触していれば、どちらがどちらにより近づくかの割合の問題は別にして、ミラーニューロンの相互作用が働くのではないでしょうか?それが私には、インストラクターがなんとなくASDっぽくなると映ったのかもしれません。

    しかも、キャンプ・ロイヤルは環境が特殊です。日常の世界では、ASDの人は一方的にマイノリティーになってしまいますが、キャンプ・ロイヤルではインストラクターとASDの人数が大体半分半分です。その上で、基本的には、インストラクターがASDの人に一方的に合わせることが求められます。加えて、このキャンプ・ロイヤルの理念は、「ASDの人にたとえ1週間でもよいから、自分が世界の中心であると感じて欲しい」というものです。人は誰でも、とくに小さいころに、自分が世界の中心であるという錯覚を持つかもしれない。しかし、ASDの人は生まれながらに理不尽な適応を求められるので、こういう経験を持ったことが少ない。ここでは、彼らの自己中心性を思いっきり解放してあげよう、というものです。ですので、キャンプ・ロイヤルでは、マジョリティーとマイノリティーのバランス感覚が、普段とはおのずと変わってきても不思議ではありません。

    ところで、ここまでこのように書いて来ると、キャンプ・ロイヤルではASDの人がマイノリティの立場から解放されて素晴らしいところだ、という趣旨の文章になりそうです。マジョリティーとかマイノリティーとかは、社会が勝手に決めていることで、社会が変われば評価も変わる。ASDの世界が定型の人の世界に比べて劣っている根拠はない。ASDの人は現代社会から、不当に貶められている。そんな文章になりそうです。

    それはそうだと思うのですが、しかし、私が書きたいのは、このことではありません。その後の話になります。私が関心を持ったのは、このマジョリティーとマイノリティーのバランスが動くときに、レッテルを貼りたいという願望を感じたことです。恥ずかしいことですが、私はレッテルを貼りたいと感じました。そのことについて書いてみたいのです。

    しかし、残念ですが、ここで稿が尽きてしまいました。この続きは次号に書かせていただければと思います。


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  • 【執筆者紹介】下川 政洋(しもかわ まさひろ)

    (発達支援研究所 客員研究員)

    51才です。臨床心理学の勉強は、20年の社会人経験の後に始めました。肩書きとしては公認心理師で、国際医療福祉大学で主に家族療法を学びました(研修員)。偶然ですが、今年は家族の事情で、ノースカロライナ州のチャペルヒル市に滞在することが多いです。そして、ここで、自閉症スペクトラムの援助方法であるティーチ・プログラムに出会いました。こちらで感じるのは、発達障がいの人を援助する現場の「空気」が違うということです。「これってなんなんだろう?」と不思議に感じています。言語化がとても難しいです。この辺りの感覚を、攫んで帰りたいと思っています。家族療法もティーチ・プログラムも初学者でございますが、よろしくお願いします。

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