【アンフェアを生きる】⑧依存症の本当の原因(1)
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北村 碩子(きたむら ひろこ)
*依存症についての、あくまで私個人としての意見であり、すべての人にこの見解を押し付けるものではありません。
依存症、というものにかかったことがある。
それも結構、たくさんのものに。まだ中学生のころから、ネット依存、テレビ依存、思春期のときは極端な食事制限(拒食や過食などの摂食障害と言われるもので、これもアディクションと呼ばれるもの)、スマホ依存、ゲーム依存…。それらにのめり込むことによって、家族に注意されたことだって、一度や二度ではないのだ。
そしてある日、ついに長いときを経て、ようやく自分自身の依存性について向き合うことになった。その理由は、やはり依存から来る家庭内での喧嘩(けんか)や不和、依存のルーティンを守るためにほかの家族と歩調を合わせられないことについての軋轢(あつれき)が原因だった。
なぜ自分は、こう次から次へと簡単にハマってしまうのだろうか。やはり、自分の意思が弱いからなのだろうか?答えを探してさまざまな本を読み漁ったが、どれも「結果として現れている依存の対象そのものからどう離れるか」ばかり書かれていて、根本の原因は書いていなかった。むしろ、「しっかりもので完璧主義者で几帳面な人ほどなりやすい」という一説を見つけたときなど、「自分と180度逆じゃないか。嘘じゃないのか」と疑ったものだ。考えあぐねていたとき、一冊の本に出会った。
「依存症の人は、かならず過去に何かしらの傷や怒り、悲しみを抱えている」という言葉が書いてあった。私はようやく、そこで過去に私にとって望ましくない出来事があったと向き合い、依存から立ち直ることができた。それでも、回路が一度できるとまたふとした折にやりたくなるもので、今でもふと気づいたら、一日中ネットをやってしまっているときはあるのだが。
私は過去に障がい特性による不適合、とりわけ聴覚過敏や不注意、集団行動に遅れることについて大きな不利を被っていた。
周りの子がなんとも思わないシンバルの音が大砲のように恐ろしく、周りがガヤガヤしていると、必要な指示に注意を向けられない。人体から出る音が、不快でしかたがない。それを先生にすら分かってもらえず、「何を言ってるの」という風にあしらわれる。気付いたら空想の世界に浸っていて先生の話を聞き逃し、「なぜそんなに集団行動がとれないの?」と言われる。「なぜこんなに苦しいのに分かってくれないんだ」「頑張っているのになぜかできないんだ」
「なぜもっと早く気付いてくれなかったんだ」という悔しさが、回り回って依存の原因になっていたのだ。
一見、「なんの関係もないのでは?」という両者だが、深いところで繋がっている。
まずひとつに、「苦しい、悔しい気持ちからすぐに逃げられるところに依存の対象がある」。とくにネットは、即時の快楽を求める前頭葉にもろに働きかけるため、先ほどまでのもやもやした気持ちを一瞬で吹き飛ばしてくれる。また、まだ思春期で、ただでさえ自分の気持ちを整理するのが苦手な時期に、「どうして自分だけがこんな」という苦しさは、どう消化していいのか分からず、抱え込んでしまう。それに、「周りのみんなは普通に過ごしているのに、自分だけ解決できないことを抱えていて、それに悩んでいるということ自体を認めたくない」という感情の否定もプラスされる。これがのちに、「嫌なことに蓋をする」癖につながり、「自分が本当に嫌だと思っていることを見ない癖」となる。
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(個人ベーシック閲覧期間:2020年10月8日まで)
【執筆者紹介】北村 碩子(きたむら ひろこ)
はじめまして。生まれも育ちもずっと香川です。去年の夏から、障害児通所施設の指導員として活躍させていただいております。性格はよく天然と言われます。発達障がいの当事者として、日々関わらせていただいている利用者様からたくさんのことを学んでいます。
趣味…読書、約束のネバーランド、物書き、犬など。ピアノ弾けますので、お子様のリクエストたまわれます。
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