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「自分らしく生きる」というメッセージにこめる願い(松熊亮)

松熊 亮(まつくま りょう)

「自分らしく生きる」というテーマは、これが「自分らしさ」でも、「生きる」でもないことには、とても現代的な意味があると私は思っています。「自分らしく」は個性や意志という言葉で置き換えることができると思いますし、「生きる」というのは文字どおり生存を指す言葉です。そう考えると「自分らしく生きる」という言葉には、私たちの個性と、私たちの生存、この2つの側面をともに扱っていこうというメッセージがあるといえるでしょう。

  • ひとりひとりの個性と生存、この両方を結び付けて考える。これは当たり前のことを言っているようですが、けっして日本の中でつねに実現されてきたわけではありません。近年は、障害者差別解消法の成立があり、またダイバーシティ推進という言葉も巷でよく聞こえるようにもなりました。これは裏を返せばこれまではいろんな人々の個性の表現がかならずしも配慮されてこなかったということです。こういった言葉が、結果に結びつくかはこれからの取り組み次第ですが、生きていても個性を十分に表現できなかったという問題へと、現代ではより目が向けられるようになってきているのは確かでしょう。

    このサイトの立ち上げや「自分らしく生きる」というテーマも、これらの大きな流れに位置づけ、人間が「生きて」いることに加えて、個人として多様な「個性」を発揮できるようにしようとするものととらえることも可能でしょう。もちろんこの意味合いも大切で、このサイトの中ではぐくまれてほしいと心から思っています。しかし、もし社会や人々が「自分らしく生きる」から、この「生存に加えて個性も」という意味合いしか引き出されないとすれば、それこそ現代が抱えている深刻な問題ではないかと私は思うことがあります。ですから私は、多様な個性の尊重はもちろん前提とした上で、もうひとつみなさんに問いかけてみたいことがあります。それは今の社会や私たちが、個性の大事さに過度に注目するあまり、ときに個人が現実を生きる力を奪ったり、本人の生きる現実をないがしろにしていることはないだろうか、ということです。

    私は、自分の感覚と他人の反応の両方から、この疑問を感じた古い体験として、10年近く前に教育実習で道徳の時間をやらせていただいたときのことをよく思い出します。ですから、その昔話をすることにしましょう。大学で教職課程をとっていた私は、公立中の教育実習で、担当した中学二年生のクラスの道徳の時間に進路について話をする機会をもちました。多分、教育実習をした方なら似たようなことをした経験があると思います。指導の先生は、困ったときのために一応学校で購入している参考書のコピーも渡してくれましたが、高校や大学をどう選んだか、今将来をどう考えているかを先生より近い大学生から聞くことに意味があるから、自由にやってと言ってくれました。

    めくってみたその教材は、本人の希望する職業や将来像、そこに至るためにはどんな勉強や進学が必要かを調べたり、考えさせて、記入させるワークでした。当時、私が素朴に思ったのは、そんなにみんなはっきりした「夢」を持ってるかなということでした。というのは私自身は、教職課程は大学に入ったとき何となくついでに取っていて、教員採用試験を受けようと決めたのも教育実習の直前でした(ちなみに「大学院」や「研究者」などは、その後教職に失敗しなければ考えもしない選択でした)。一緒に実習生をやっていた友人には、小学校くらいから教員になりたいと思っていたという人もいました。でも、彼のような熱気にあふれた話は自分にはできないと思いました。

    また私が教育実習をしていたころは、大学でも就職難のイメージがあって、同期たちが新卒採用の枠を保持するためにあえて卒業を1年遅らせるという選択肢を話すことも珍しくありませんでした。即戦力、ブラック企業という言葉もそのころによく語られた言葉だったと思います。そんな、かならずしも自分の思いどおりにならない、ましてや仕事にすらつけるかどうかも分からないということが現実だと、当時の私は感じていたわけです。その状況の中で、「夢のために努力しましょう」と言っているような学校の資料に対して、「たしかにそうできたらいいんだろうけど…」と私は言葉にできない、もやもやを感じました。

    結局私は、本人の許可を得て2人の友人の話をすることにしました。小学校のころから特定の職業を目標にして中学のあと専門学校を経て就職した友人と、まったく同じ職業だけど普通科の高卒で就職を考えたときに選択肢の中からその仕事を選んだ友人です。将来像があってとことんやった友人はもちろん、明確な目標がなくてもそのときそのときを一生懸命選んでいった友人も、私は同じくらい尊敬している、そんなことを子どもたちには伝えようとした気がします。私がうまく話せていたかは覚えていないし、けっして自信にあふれた授業ではありませんでした。

    でも、そのときの生徒の反応でよく覚えていることはふたつあります。ひとつは、理想の職業でも一生続けたい趣味でも、今夢や目標、あるいは親の跡を継ぐみたいなことをはっきり持っている子に挙手を求めたときに、約30人のうち3分の1程度しか手を挙げなかったということです。もちろん、聞かれたら恥ずかしいからという子もいたでしょう。そのあとで行きたい大学や高校ともう少し直近の進路についても決まっているかの挙手を求めましたが、最後まで10人以上手を挙げなかったと思います。もうひとつは、授業後に出してもらったひと言感想文です。多くは、「ためになりました」「私は○○を頑張ろうと思います」のようなまじめなコメントでした。しかし、たった2、3人ですが「今までは目標を持たなきゃだめだと思ってつらかったけど、今日そうじゃなくてもいいんだと思った」という趣旨のコメントがありました。

    そのとき私は、少なくとも渡されていた資料だけで授業をしなくて本当によかったと思いました。あらためて言っておきますが、あの夢や目標ありきのワークは、すでに目標を持っている生徒や、何となくでもやりたいかなと思えるものを持っている生徒には、調べることでそこに向かう手段やそれをするということの現実に近づかせるきっかけになりますから、間違いなくいいものだと私は思っています。

    しかし、そういった価値観の波に乗り切れなかった子どももいて、その子たちには本人の意思を尊重して進めているはずの進路の話が、むしろ否定されている感覚につながってしまっていたことすらあったわけです。個性を大事にしていたはずが、本人の現実をないがしろにしている、こういうことがじつは気づかないうちに起こっているのではないかということです。またこのサイトが大事にしようとしている「障がいを抱えて生きる」ということは、人それぞれの内容がありますが、まずは自分だけではどうにもならない限界を、周囲との間で感じやすいということであると思います。そういう現実的な葛藤の存在を想像するとき、私は現実と向き合いながら自分らしさを発見していくような個性や人生というイメージや、それが具体的に見えてくる事例やモデルもまた必要なんじゃないかと思うのです。

    念のために伝えておきますが、私は本人の意思を出発点にして、彼の個性が発揮できるような取り組みを作るというやりかたを根本否定したいわけでもありません。でも、このような内に秘めた明確な意志を引き出して実現しようという生きかたのモデルだけではなく、現実的な生活や限界との関わりがまずあって、本人や周囲がそれと向き合っているうちに本人にしみじみとした幸福感や自分らしさが発見されていく、そんな生きかたのモデルもあらためて具体的な形で確認する必要があると、少なくとも私は思っています。

    昔話とつぶやきが長くなってしまいましたが、つまりは、このサイトの「自分らしく生きる」というテーマの中に「人々が個性を発揮するためにはどうしたらいいか」と、「人々が現実の中に自分らしさを見つけるのはどんなときか」のふたつが含まれていてほしいというのが私の願いだということです。そして私としては、個性を発揮することへの視点が強まっている現代だからこそ、あえてこういったサイトの中では、現実と直面しながら生きている人たちの葛藤や、救い、ささやかな幸福、そういったものをこそ見えるようにしていけないか、と考えているわけです。どんな人間であってもひとりひとりの生活やリアルというものはとても深いもので、実際にはそうそう簡単に分かりやすい提案や答えをひきだすところまでたどり着かないものだと思います。ですが、現実からの声や現象の中に含まれている小さな、しかし大切な原石を磨き上げていくことが、このサイトの本質となるよう、私もまた小さな声を届けていければと思っております。

  • 【執筆者紹介】松熊 亮(まつくま りょう)
    文教大学・非常勤講師/首都大学東京大学院 人文科学研究科 博士後期課程

    専門領域:発達心理学
    主な研究内容:仕事と社会的発達、気になる子どもの発達支援
    所属学会:発達心理学会、教育心理学会、質的心理学会、認知科学会、心理科学研究会
    その他の社会的活動・資格:臨床発達心理士
    学位:修士(心理学)

    著作・論文:
    松熊 亮 (2015) ケーキ作成の自然的観察による技能とその発達の検討. 『認知科学』.第22巻1号 p. 126-137.
    松熊 亮 (2019) 支援を支える生態記述:行動観察と微視的分析. 須田治(編著) 『生態としての情動調整:心身理論と発達支援』 金子書房 pp.30-39 (第3章)


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