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はつけん書店

じぶんのことをかんがえた(村山 綾)

村山 綾(むらやま あや)

子どもはみんな、愛されて育たなければならない。私のゆるぎない信条である。

  • 愛された記憶は自信になる。つまずいたとき、その自信が力になる。精神的にはっきりとしたよりどころだ。人間が当たり前に備えていなければならない力なのだと思う。
    自分のことを思い起こすと、「なぜ自分はここにいるのか」「人の邪魔になっていないのか」「どうすればここにいる権利が得られるのか」といつも考えていたように思う。もちろんこう言葉で表現できるのは、40代半ばを過ぎた今だからだ。

    その背景はいろいろあると思う。持って生まれた性格もあるだろうし、生育歴も無関係ではないだろう。とにかく私は、ずいぶん幼いころから周囲の目を非常に気にする子どもだった。つまりは自信がなかったのだろう。
    愛されるためには、いい子でなければならない。明るく、成績も生活態度もよく、家族や先生や友だちとのトラブルもなく過ごしていかなければならない。それが、かなり早い段階で出した私の結論だった。

    幸か不幸か、私には結論に至るまでの自分の思考の流れも把握できていた。それも、早いうちから(少なくとも5歳のときには)自覚していたと思う。「愛され、存在する権利を得たい。そのためにはこうでなければならない…と私は思っているんだなぁ」と分かっていたのである。それがつらいとかしんどいとか、そういうことはとくになく、それなりにそのとおりに生きてきた(変わった子やな、とはよく言われたが)。断っておくが、愛してくれなかったなどと周りを責めるつもりはないし、めちゃくちゃに無理をした覚えもない。自分にはその生きかたが合っていたのだろうと思う。生来の明るさも役に立った。

    児童福祉分野の仕事に就いて、通算20年ほどになる。「なぜこの仕事を選んだの?」と何度となく問われ、そのたびに「子どもが好きだから」と答えてきた。もちろんそれは根本にあるのだが、それだけでは表現しきれないものがあるような気がしてならなかった。今になって自己をふりかえり考えてみると、自分の自信のなさとつながっている…というよりもそのものなのではないかと思いいたる。

    自分がいきいきと輝ける場所が欲しいのだ。大好きな子どもたちと、理解しあえる仲間に囲まれ、愛し愛され、「存在してもいいんだよ」と実感したいのだ(書いていて涙が出てきた。なぜだろう)。
    「誰かの役に立ちたい」「困っている人を助けたい」という思いではなく、そうした理由でこの世界に身を置いているのは、自己中心的で不純なことなのかもしれない。子どもの居場所づくりと言いながら、自分がいちばんそれを求めていたりする。

  • 人生経験も仕事経験も重ねてきて気づくことができた自分の気持ちだが、「ようやく分かった」という安心感のような思いがある。自己中心的でも不純でも、私は居場所がほしい。そして、大好きな子どもたちや仲間の居場所にもなりたい。それでいいんじゃないかなぁと今は思っている。本当にいいのかどうかは分からないけれど。


  • そこで、何が必要かを考える。私が自信を持って存在していいと実感するためには、自分の性格の傾向からみて「しっかりきちんとすること」「頼られ求められる存在であること」であろうと思う。ノーテンキなところもあるが、「自分が『できない』ことが許せない」という傲慢な頑固さが私にはある。「しっかり」「きちんと」というのは漠然とした表現であるし、どこまでやっても正解などないことなのだろうが、それをめざして日々歩んでいけば自信や居場所につながるのではないか。それが大切な相手の自信や居場所にもつながっていくのではないか。今の私にとっては、そうした居場所は自分の勤める校舎のことだと思っている。

    先ほど書いた傲慢な頑固さは、ときどき私自身を追い込むことがある。40年来のつきあいであるパニック障がいは、なかなか私を解放してくれない。どうしても一般的な社会生活が送れなくなったことも何度かある。この持病がある、と人に打ち明けることもできなかった。

    今はと言うと、「発作が起きそうやから、薬飲みます。しばらくボーっとするかも」と周りの職員に告げる。彼らは「そうですか」とだけ言って、それぞれの仕事を続け、会話をしたり、ときには笑ったりもしている。その「理解ある不干渉」が、私はとても助かる。私にとっての居場所だと思えるのは、そういうところも大きい。

    思うようにいかなかったり、どうすればよいのか分からなかったり、子どもたちへの自分の対応のまずさに帰りの車中で泣いてしまったり。いつまでたってもそんなことのくりかえしだ。だが、落ちこむことはあってもやる気がそがれることはない。それはやはり、私の居場所だからなのだと思う。

    私の人生は「何かが起こる」ようにできている。こんなことを言うと、「誰にだって悩みも問題もある」という声が聞こえてきそうだが、客観的に見てもらっても、おそらく本当に「何かが起こる」ようにできていると思う。退屈しなくて笑えるほどだ。べつに波乱万丈を手がらにしたいわけでも、不幸自慢をしたいわけでもない。そういう風にできている人間は、そういう風に生きていくしかないのだろうと思うだけだ。「何で私はこうなの!?」と感じることもあるが、自分ではどうしようもないものは、何とか折り合いをつけていくしかない。それは、あきらめとは違う、前向きな姿勢だと思っている。

    おこがましいかもしれないが、それは子どもたちと似た立場のような気がする。そうして生きている子どもたちを、心からいとおしく思うのだ。

    私は、校舎内の「お母さん」のような存在になりたがっているのかもしれない。子どもたちに対しては、将来を見据えて愛情を持って見つめられるような。職員間では、環境整備に気を配ってこまごま片づけたり掃除をしてみたり、「出したものは元のところへ戻しなさ~い!」と口うるさいことを言ったりするような。
    考えてみれば、私は母親というものと生活したことがないし、今子どももいない。「お母さん」というのは私にとって縁遠い存在であるのに、不思議なもんである。だからこそ、かもしれないが。

    子どもたちには、愛された記憶をたくさん持ってほしい。自信を、生きる力を持ってほしい。人が当たり前に備えるべき、精神的にはっきりとしたよりどころを持ってほしい。そのために、私の中にある子どもたちへの思いを全力で注ぐ。

    そして。

    私にとっての居場所は、相手にとっての居場所でもあってほしい。

  • (個人ベーシック閲覧期間:2020年1月24日まで)

  • 【執筆者紹介】村山 綾(むらやま あや)
    愛知生まれで徳島在住、毎日元気にやってます。
    好きなものは、子ども、本、音楽、野球、お酒を少々…
    苦手なものは、家事全般(でもがんばってます)。
    これからも、子どもたちと仲間のたくさんの笑顔に囲まれて、楽しく過ごしていきたいです。


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