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青年期の居場所(大山利幸)

大山 利幸(おおやま としゆき)

インスタやFacebook、twitter等々、SNSってすごいですね。誰にも知らせていないのにも関わらず、ある日、突然、昔の生徒からSNSを通じて誘いの連絡がありました。行ってみると、薄暗い居酒屋の電灯に知っている顔や初めて見る顔が並んでいました。

話は、欠席している人の近況報告から始まりました。私は、話を聞きながら昔のことを懐かしく思い出していました。

  • 学校の中で過ごすとき、自分にとって居心地のいい場所がありましたか?学校が大好きな人はともかく。それなりだった人は、友だちと過ごす場所だったり、ひとりでいられる場所かもしれません。長い時間を過ごす学校では、そんな場所がないと辛いときがあるという話を聞いたことがあります。その中には、学校や教室の居心地に悪さを感じていたら、学校に行かないという選択する人もいます。頑張って登校したときは、空いた時間を図書館の隅や本棚の影だったり、トイレだったり、裏庭だったり、先生や友だちの目を気にせず過ごせる場所を探す努力をしていたそうです。

    そんな生徒たちに向けて生徒会室を開放したことがあります。生徒会室がひらくのは年に3回、あとはカギがかかっていました。教室から離れ、広くはないが静かな教室でした。

    だんだんと集まってきた生徒たちは互いに話をするわけでもなく、雑多な駅の待合室のようでした。

    集まりが十人を超えると、教室では目立つことがない彼らでも生徒会室という場所では目立ってしまいます。そのため、全員生徒会役員ということになりました。

    このようにして集まった生徒と、もともとの生徒会の三人の生徒との間で起こった最初の問題は体育祭の準備でした。全校生徒1,500人分のデータをまとめ、次に競技出場者と担当部活動の生徒で合わせてのべ約5,000人分の名簿をつくる作業を行います。生徒会の先輩三人は新しく加わった生徒に作業を教えようと奮闘しました。一週間頑張って教えても話が通じないといって、怒って泣き出してしまいました。教えられるほうも見た目にはわからなかったのですが、やはり困っていたのだそうです。

  • このようにして集まった生徒と、もともとの生徒会の三人の生徒との間で起こった最初の問題は体育祭の準備でした。全校生徒1,500人分のデータをまとめ、次に競技出場者と担当部活動の生徒で合わせてのべ約5,000人分の名簿をつくる作業を行います。生徒会の先輩三人は新しく加わった生徒に作業を教えようと奮闘しました。一週間頑張って教えても話が通じないといって、怒って泣き出してしまいました。教えられるほうも見た目にはわからなかったのですが、やはり困っていたのだそうです。

  • 作業は人が入れ代わりながら行うため、試行錯誤の結果、図を使った手順書で解決できることを生徒たちが発見しました。すると、多少時間にルーズなこともありますが、基本的に真面目に地道な作業を行いました。これは、彼らが大人から見直されるきっかけになりました。

    毎日生徒会室に来る生徒も増えました。生徒会室はいろいろな会話が飛び交う混雑した駅の待合室のようになりました。作業によって小さいユニットが誕生し、得意なところだけ仕事を手伝いました。まとまりはないのですが楽しそうに見えるらしく、狭い教室にはいつも人が溢(あふ)れていました。

     生徒会長と私のふたりで行っていた朝のあいさつ運動にも、手伝う生徒が出てきて、30名以上の長い列ができるようになりました。

    決まって朝一番に来ている生徒がいました。「早いね」と声を掛けると意外な答えが返って機ました。「路で誰にも逢(あ)いたくないから朝早く来る。人に会いたくないから、すぐに生徒会室に来る」。それに「あいさつの列にも入りたくない」という。その瞬間、悩んでいた荷物の見張り番が決まりました。

    その後、始まりの時間に集まるのは三~四人。時間とともに人数が増え、終了時間になるころに全員がそろう状態でした。その中で、真面目にあいさつをする生徒が半分くらい。後は、ただ立っているだけだったり、遠くをみていたり、終始下を見ているもの、ずっと何かの歌を歌っているもの、じゃれ合っているものなど。列になっていましたが、各自が自分のあいさつ運動を行っていました。

    この状態は生徒に受けたのか、40名を超え、ひとクラス分の生徒が集まりました。

    たくさんの生徒が集まると、小学校や大学、地域と協働してイベントを企画・参加するようになりました。なぜか隣の高校には声をかけることができませんでした。しかし、これも県主催の生徒交流イベントでの活動報告をきっかけに交流が始まりました。県内の生徒会交流会を生徒の力で作っていこうという機運がそこで生まれました・・・。

     私は「居場所」の話題をしてると、ときどき「避難所」としての働きを強調している場面を感じるときがあります。たしかに避難所としての働きは重要だと思います。それだけでなく、居場所には避難所の以外の働きがあると生徒会を通して考えるようになりました。

    それは、避難所として子どもたちが安心を得るだけでなく、不安な未来に挑戦しようとする気持ちをつくる。まるで小さい子どもの安全基地のようです。もしかしたら、思春期以降でも安全基地が必要なのかなと思えるようになりました。

    居場所は子どもたちに安心を提供するとともに、発達・成長する勇気と足掛かりとなる場所だと考えるようになりました。今では、子どもに限らず居場所をもつことは、誰にでも必要なものだと考えています。

    生徒会の経験から青年期(思春期)に達している子どもたちに対する大人の関わりかたも考えるようになりました。それまで、子どもへの関わりというと、手を掛け、声を掛けることが大切だと思っていました。が、少し違う接しかたがあってもよいのかなと思いました。いい意味でも悪い意味でもあまり気にされなかった生徒たちは、あいさつ運動での様子に見られるように自由に自分なりの参加や活動ができました。誰からも注意されることがありませんでした。生徒の中でも、批判があまり出なかったこともあります。このような中で、生きる力を蓄えていったようです。

  • 生徒会の経験から青年期(思春期)に達している子どもたちに対する大人の関わりかたも考えるようになりました。それまで、子どもへの関わりというと、手を掛け、声を掛けることが大切だと思っていました。が、少し違う接しかたがあってもよいのかなと思いました。いい意味でも悪い意味でもあまり気にされなかった生徒たちは、あいさつ運動での様子に見られるように自由に自分なりの参加や活動ができました。誰からも注意されることがありませんでした。生徒の中でも、批判があまり出なかったこともあります。このような中で、生きる力を蓄えていったようです。

  • そんな生徒会も担当者が変わると、生徒も入れ替わり、学校行事に集中する以前のような落ち着いた規模と活動に戻ったそうです。管理の行き届いた正しい生徒会に戻ったのですね。

    生徒会の活動の中で最も驚いたのは、人と話すことが怖いと言っていつも陰に隠れていた女子が、声優を目指して演劇科のある学校に進学したことがありました。また、入学後、1か月で退学したいと親に言っていた男子は不登校を乗り越え活動の中から、未来を見つけて進学したこともありました。これらは、彼らが卒業後、在学生と企画した地域行事の応援にその保護者が来てくださったときに分かりました。合宿や遠征、その他の活動に何も言わずに送り出してくださった保護者の静かな応援があったことを後で知り感激していました。

    在職期間中に私は多くの不登校生と出会いました。しかし、問題が改善することは稀(まれ)でした。当時の学校は卒業までに1割の生徒が退学していきました。そんな中、このようなケースも体験したなと懐かしく思い出すのでした。

    飲み会は進み、社会人になった生徒たちは、ぽつぽつと自分の話を始めました。うまくなじめず転職をしたという声も聞こえます。歌手を目指して活動している人もいました。設計事務所を立ち上げたという話も聞きました。

  • 飲み会は進み、社会人になった生徒たちは、ぽつぽつと自分の話を始めました。うまくなじめず転職をしたという声も聞こえます。歌手を目指して活動している人もいました。設計事務所を立ち上げたという話も聞きました。

  • いつもは東京でおこなっているこの会を、新潟で久しぶりにおこなったという。彼らはなぜ原点に戻ってきたのか。10数年たっても、あのころの生徒会室のように30数人が偶然雑多な駅の待合室に居合わせたような空気感は変わっていませんでした。だから私はあのときと同じように、彼らの話を聞きながら、相槌(あいづち)を打ち適当な言葉を返していました。もし、この時間を居場所となるならば、彼らは自力で困難に立ち向かっていくのだろう、ということを期待して。最近は、時々SNSを通じてその頑張りを見ることができます。


  • (補遺)時を経て子どもたちと過ごした時間について改めて感じたこと

    山本先生の講義の中で聴いた「足場かけ」という言葉(注)にとても共感を覚えました。「足場かけ」という言葉に、わき役(裏方)としてそっと手伝うという姿を私はイメージしました。

    ひとに何かを教えるとき、指導という言葉を使うことがあります。指導には教え導くという意味もあるそうです。
    教員を経験したとき、望ましい結果が得られた子どもに対して「自分が~にした」という表現を使う方がときどきいました。私はこの表現に工業製品に通じるような響きを感じて、違和感を持っていました。結果が得られたのは本人の努力と成長によるものであり、周囲の人間はその一部を手助けしたに過ぎないと考えています。

  • この「足場かけ」という言葉を聞いて、教育や支援に対して、長い間抱いていた違和感が、私の中で薄まっていくことを感じました。指導する立場になると、相手が子どもということもあり、油断すると相手より上の立場に立った言いかたになってしまうことが私にはあり反省するときがあります。上から引き上げるのではなく、共に道を模索しながら頑張っていってもよいのだと思いました。

  • 周りの方の言葉の中に「おや?」と思うことがありました。それは子どもに対する声掛けやアクションの頻度が高いほど良しとする風潮を感じた時でした。それらが適している場合もあると思います。しかし、約10年の生徒会との関わり方は、助言を行いながら見守ることをしてきました。それが良いことなのかは意見が分かれるところです。見守るという言葉は、見ているだけでもなく、頻繁に声を掛けることでもなく、子どもたちの自助努力を助ける忍耐強い支援の一つだったのかな、と考えるようになりました。

    今回の話のように短くない月日が経った後の子ども達やその保護者たちに逢うことがあります。彼らと話をしてみても、果たしてあの時の関わりが正かったのか分かりません。しかし、山本先生や渡辺先生、発達支援研究所の皆さんのお陰で、新しい見方で今までの経験を振り返る勇気をいただいたと思っています。

    (注)足場かけ(scaffolding:スキャフォールディング)
    ヴィゴツキー(Vygotsky, L.S.)の「発達の最近接領域」という概念に基づき、ブルーナー(Bruner, J.S.)らが提唱した理論。もう少しで達成できそうな課題に対して、支援者が助言を与えるなどの働きかけを行い、自らの力で課題を解決できるようにすること。

    (個人ベーシック閲覧期間:2019年12月19日まで)

  • 【執筆者紹介】大山利幸(おおやま としゆき)
    新潟県で児童指導員として子どもに関わっています。以前は20年ほど教員や相談室、自主活動などを通じて高校生や大学生と関わっていました。時々、ボクシングを教えたり、色々な作家さんとインスタレーション等を制作することが息抜きです。迷ってばかりの療育について、日々勉強を心掛けて取り組んでいます。

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  • 写真:たけやけいこ
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