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「僕は僕なんだから」ができるまで(対談)②

この動画は今はもう成人となった自閉症のお子さんを育ててこられたお母さんが、発達障がいのお子さんを今育てられているお母さんたちの集まりで、ご自分の経験を語られたことがきっかけで作られました。そして自分の経験がほかの皆さんのお役に立つのなら、というお母さんの思いがこの動画に込められています。元は実際の写真を使った動画でしたが、プライバシーなどに配慮し、イラストで作り直したのが現在の動画「僕は僕なんだから」です。
そのお母さんと、お母さんと共にお子さんを支援してこられたスタッフの方に、この動画のもとになった写真版の動画ができるまでを語り合っていただきました。


  • ■Yさんにとっての出会いの意味

    山本:Yさん、その当時のことで何か覚えていらっしゃることとか?

    Y:とにかく一生懸命な親子でしたね。
    私は、そのとき、療育の支援者としては、1年生でした。もちろん自分も子育てをしていたんですけれど。今でも忘れないのが、「私、自分の子どもにこんなに真剣に向き合っていたのかな」っていうことをとても感じさせられた親子でした。

    あの、なんて言うのかなー、自分の子どもの場合、いつの間にかおむつが外れるようになり、トイレも自然とあんまり気にしないうちにできるようになっていた。だから「これだけ子どもと成長を喜びあえる関係って素敵だな」と思っていました。

    私は、子どもを保育園に預けて仕事をしていたので、「ああ、私はこんなに子どもに向き合ってきただろうか」って、ちょっと自分のことを振り返るっていうか。そして、ちょうどそのとき、私が子育てに詰まっているときだったんですよね。子どもが登校拒否気味になって、いじめにあって、それで、私も自分の子どもと向き合うことを真剣にやろうって、そんなふうに思いました。S君のお母さんや、その他のお母さんたちとの出会いがなかったら、私は「自分の子どもと真剣に向き合ってたかな」って思っているので、Kさんとの出会いは、私にとって大きかったです。それが、Kさんとその後の付き合いが続いた理由の一つですよね。

    ■Kさんに響くYさんの視点

    K:Yさんの言葉一つ一つに真実味があるんですよね。それは子育てをしてきた経験だけではなく、Yさんの愛情、その眼差しがすごく私には響いた。「あー、この先生が息子を見ている視点、言われたことは本当にそうだな」って実感することが多くて、信頼をおける方だったので、「卒園後も機会をいただけるのであれば、息子の成長を一緒に見ていただけたらありがたいなー」と思っていました。

    Y:ちょうどそのころって、ティーチ(TEACCH: Treatment and Education of Autistic and related Communication handicapped Children)プログラムっていうのがすごく流行った頃だったんで。そのときに、今思えば本当に「えっ?」て思うような。(ティーチの意味が)ちゃんと伝わらないで、なんとなく見よう見まねでみなさんやって。

    K:そうですね。

    Y:そのときに、私は、とっても違和感があって。Kさんも多分ね。

    K:私も「すごく違和感があった」派です。

    Y:でも、ほとんどの人たちはそっちにパーッと流れていったんですよね。

    K:うん、うん。

    Y:その当時の自分、「なんか違う」っていう感じがあって…。「なんかが違ったんです」 。

    K:否定ではないんですけどね。

    Y:自分たちが大切にしたいものと何か違うって言うのがあって、そこから猛勉強したんです。それでKさんと「この本いいよ」とか、講演聞きに行って「この先生のお話、こんなふうに良かったよー」とか。

    K:Yさんに「これいいよ」とか、「この先生の話すごくよかったよ」って言われると、Yさんがいいっていうものは、私にもしっくりくるはずだと真剣に読ませていただいて心の糧(かて)にしていました。

    ■テクニックじゃないということ

    Y:大事にしたいのってテクニックじゃないよねっていうのがあり、Kさんとは、どこかですごく惹かれあっていたと思います。

    K:それこそやり方にすごくこだわっているっていう人たちって、なんか「そのやり方だけなのかなー」っていう違和感があって。

    Y:私は、療育のいろんなものの中で「これ、こうなんだろうか、本当にこれでいいんだろうか」っていう風に悩んだ、いちばん苦しかった時期がその時代かなって思う。

    K:すぐに「はいできた、はいお菓子」みたいな、ご褒美的に「はい、お菓子」ってやっている場面は何か違う気がして…。

    Y:子どもが混乱するから、あんまり言葉かけしない・・・など。

    K:その当時の自分は、子どもにいいか悪いか分からないんですけれど、とにかく息子の気持ちをすべて代弁し、自分の行動や感情もできるだけ言葉に表して生活をしていた時期だったので、「言葉かけを少なくして」っていう方法がどうしてもしっくりこなくて。

    Y:カードを提示して、指示をするという感じ。

    ■愛情

    K:そのやり方にすごく合っていて、混乱なく成長していくお子さんもたくさんいるので、全然否定ではないんですが、自分の中では違和感がありましたね。

    そのときにYさんとお話しさせてもらったような気がするんですけれど、「それより子どもにいい絵本とかね、読ませてあげた方がいいよ」とか「本物の音に触れさせてあげた方がいいよ」とか。障がいの枠にとらわれない子育てに惹かれ、ほぼ私の自己満足ですが、息子にしてあげたくて、愛あるYさんの子育てを真似ていました。

    Y:Kさんも大切にされていることですが、やっぱり障がい持ってる持ってないに関わらず、「愛」というか・・・愛情を持って育てられている子って人に優しくすることを知る。人に優しくすることを子どもに教えたいなら、まず、大人側がたくさん、してあげなければ、それは、理解できないんじゃないかなって。私はずっとそういう思いで子どもたちに接してきているので。それって障がいあるなし関係ないですよね。

    K:私も心の成長は障がいあるなしに関係ないでしょうって思って育ててきた分があるので、そこは保護者のみなさんに、「障がいがあっても育つ心は一緒だよ」とお伝えしたいです。心までが障がいなわけでもないし、なので「機械的に何かをさせる」という雰囲気がどうしても受け入れられない。

    Y:何かができるようになるって言うのが目的になっちゃうと、なんかいつも引っかかりがあって。

    K:引っかかりがあります。だから「できた自慢」をいっぱいするお母さんなど、すごく羨ましいなあって思う反面、果たして子どもがうれしそうにやってるのかなーと。

    ■子どもが自分でできたことを喜ぶ気持ちを一緒に喜ぶ

    Y:「お母さんが喜んでくれるから苦しくても頑張る」っていうお子さんもいますよね。そういう関わりではなくて、私は、その子が自分からそれをやることに、喜びを感じていることを一緒に喜びたいっていう思いが強かったですよね。

    K:そうですね。あの動画で「できることを増やして息子の笑顔見たかった」っていう場面で使用している写真が、初めてSがおつかいにチャレンジし、満面の笑みで帰宅したときの写真なんですね。私が頼んだ品物と同じものを買うというお手伝いなんですが。

    本人が「ひとりでできた喜びをお母さんに伝えたい」と思えていることがうれしくて。

    思わず玄関先でシャッターを切りました(笑)

    「自分でできた喜び」や「自分で自分を励ます」気持ちをいっぱい育ませてあげたいなあーとつねに思っていますね。それを一緒に分かちあう瞬間はたまらなくうれしくて、幸せを感じます。

    ■できることが当たり前じゃない

    K:健常者のお母さんとの雑談と、障がい児のお母さんとの雑談は全然質が違うんです。障がい児のお母さんとの雑談は「その言葉よく理解できたね」や「できない」話が中心。健常児のお母さんにとってみたら、「言葉が理解できる」ってことに着目するなんて絶対ありえないですよね。

    でも私たちの中では「よくその言葉の理解、意味が通じたね」というような会話が盛り上がり、ときには「できない自慢」が楽しいときも。いつの間にか問題行動も笑い飛ばせるようになりました(笑)。

    「言葉が理解できる」ってことも当たり前じゃないし、ささいなことも自然に身に付くこともないから、もう本当にあの手この手で。

    だからこそ、少しでも子どもが理解できたときはもう、うれしくってうれしくって、同じ障がいを持つ母の気持ちはすべて自分のことのようにうれしくなりますね。その喜びがね、大変さを上回っちゃうんですよね。もうどの子も可愛くて愛おしい(いとおしい)です。

    <③につづく>

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