【わたしの療育】ゲームのススメ~経験と学びから考える~(大内雅登)
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大内雅登(おおうちまさと)
鈴木領人さんが『ゲームのススメ』をお書きになりました。鈴木さんは療育者としてお勤めになった後、塾講師として過ごしておられます。一方の私は塾講師としての経験を経て、療育者として働いています。キャリアが逆なんですね。自分とは逆の順番に仕事を選ばれた人が何かを語る。なんだか「もしもの世界」をのぞくようで楽しくなります。
さて、鈴木さんの文章の中で「ゲームを行っている子どもと行っていない子どもを比較した場合、ゲームをやっている子どものほうがじつは勉強ができます」という表現があります。これって、私の塾講師時代に感じていたこととまったく同じであり、保護者様にもよくお話を差し上げてきたことでした。
もしかしたらこれから申し上げることは、鈴木さんにとって「そうそう!前に僕も言ってた!」なんて内容かもしれません。
さて、私はファミリーコンピュータが台頭してきたころに小学生時代を過ごしています。ゲーム会社は、ゲームを売ることとプレイヤーを育てることの両方を考えなければならないゲーム黎明期です。
たとえば任天堂が発売した『スーパーマリオブラザーズ』は、横スクロールのアクションゲームをはじめて経験する子どもたちに楽しんでもらう工夫がたくさんあります。支援の現場でも、たまに言葉の遅れが気になる子にこのゲームをしてもらうことがあります。主人公のマリオを操作して、ちゃんとゴールのある右に進んでくれるんです。
このゲーム、画面の左端からスタートするんです。もし、キャラクターが真ん中に配置されていたら、左右どっちに進んでいいか迷います。しかし、左側に配置されて右側があいているので、自然と右に進もうとします。そして、右に進むと画面がスクロールするんですね。自分がキャラクターを動かして、世界が広がっていく感じです。これを、「左端からスタートさせ、右の世界を意識させる」という工夫だけで子どもたちに感動とともに教えているんですね。そりゃ、そこに至るまでの思考は子どもによってさまざまです。ジャンプするボタンを押してみたり、画面を見回してみたり。でも大丈夫です。その場にいる限りは敵もやってきません。
言葉による関わりをかならずしも善としない療育スタンスに似ているような気がしませんか。誰も何も教えなくても、自分のペースで勝手にゴールに向かって進み出すんです。
とっても大好きなゲームに『ドラゴンクエスト』があります。これは『スーパーマリオ』により遅くに発売となったゲームですが、「ロールプレイングゲーム」という新しいジャンルを子どもたちに教えてくれた名作です。
ロールプレイングゲームは、役割(ロール)を演じる(プレイ)ゲームです。その世界観に没入し、なりきって遊ぶんですね。『ドラゴンクエスト』では自分の名前を4文字で入力するところから始まりました。たとえば「まさと」という名前を入力すると王様が
「おお!まさと !ゆうしゃロトの ちを ひきしものよ!」
と声をかけてくれるんですね。マリオでも誰でもない自分が主役です。この感動は既存のゲームでは得られませんでした。
さて、王様から宝箱を取るように言われます。自分の目の前にふたつ、玉座の後ろにひとつ宝箱があります。そりゃ近いほうから取りますよね。中にはお金と松明(たいまつ)が入っています。松明だなんて……なんだこりゃと思います。王様もっといいものくださいよ~ってね。まだ先には進めません。どういうわけか王様がいるこの部屋には鍵のかかった扉があって閉じ込められているんです。いやぁ、どうやって王様に謁見したんだろうという疑問は置いておいてくださいね。外に出られないプレイヤーは、しかたなく玉座の後ろの宝箱に手を出します。入っているのは「魔法の鍵」です。この世のどんな扉も開けてしまうスグレモノです。それを使うことで扉を開けることができ、無事にゲームを続けることができます。同時に、先ほど手に入れた松明もきっといつか使わないといけない場面があるのだろうと学ぶことができました。
鍵と扉の関係を知らないといけない分、『ドラゴンクエスト』は『スーパーマリオ』よりも言語的ですね。読めないといけない。それが何か分からないといけない。けれども、メチャクチャ教え込まれるのではなく、自分の発見と工夫で道が開けるという意味では共通しています。
僕は、こうした工夫から療育者が学ぶことって多い気がするんです。
今流行のソーシャルゲームはゲームの内容よりもどんなキャラクターやアイテムが無作為に当たるかで喜びが得られます。これはゲームデザイナーにとってもうれしくない現象だとは思います。だって、ゲーム内容への評価ではなく、キャラクターやアイテムの性能への評価ですからね。
たまに餌が出るレバーがあると、頻繁にレバーを押すようになるそうです(心理学では「部分強化・変動比率スケジュールによる強化」と呼ばれます)。こうしたことと無作為なご褒美は同質です。そういったゲームにはまってしまうことは、ある意味動物としては逃れられない部分があるのでしょう。たまに稼げるパチンコにハマるかの如く変に依存しないために子どもとゲームのつきあいかたは考えすぎるほど考えることでちょうどいいのかもしれません。
しかし、子どもが魅力を感じるゲームが目の前にあるのであれば、「どうして魅力を感じるのか」「どういった工夫がなされているのか」「してほしいことに欠けていることは何か」を分析する対象として見てみることをおススメします。
(個人ベーシック閲覧期間:2021年4月27日まで)
【執筆者紹介】大内 雅登(おおうち まさと)
香川県高松市の児童発達支援事業所で働く支援員です。自閉スペクトラム症の当事者でもあります。
時には支援員のスタンスで、時には当事者のスタンスで皆様にメッセージをお届けしてまいります。趣味は剣道。大きな声が目印です。
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