【なんちゃってJKの隠居生活】③
Pink Milk Note:「これまで」編
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Pink Milk
はじめに(編集部から)
「タイBLドラマが示してくれた可能性」前編・後編、「日米で見るヒーロー像の違い」前編・後編を執筆いただいたPink Milkさんは、今年3月に高校を卒業され、現在は大学生活を送られています。
このPink Milk Noteでは、高校生活と放課後等デイサービスでの学習の締めくくりとして、放課後等デイサービスで支援にあたられたOrange Cocoaさんとともに、これまでの学習や受験・進学後のこれからのことなどについて話していただきました。
はつけんカフェでは、Pink Milk Noteを2回に分けて掲載します。今回は、その前編となる「これまで」編を公開します。
Introduction
【Pink Milk】です。
このNoteに書かれていることは、これまでの学習活動や大学受験で体験したことと、そのときの自分の症状への向き合い方についてです。私Pink Milkは、発達障害のADHDと診断されており、主に不注意の症状がみられます。そんな私自身の学びについて、受験について振り返りました。これは、私が5年間支援を受けてきた放課後等デイサービスでの最後の活動記録でもあります。
【Orange Cocoa】です。
放課後等デイサービス指導員です。
Pink Milkさんとは、放課後等デイサービスで出会いました。Pink Milkさんが中学2年生のときからのおつきあいです。いっしょに歩んできた5年間のまとめとして、Pink Milkさんから話を聞きました。
①志望理由書を書くというチャレンジ、理解に至る脳内の仕組み
高校3年の夏から数か月かけて、大学受験に向けて、3000字の志望理由書を書くことにチャレンジしましたね。コロナ禍ということで、放課後等デイサービスの支援もオンラインに切り替え、遠隔支援で志望理由書をつくることに取り組みました。
志望理由書づくりは、苦行かと思うくらいたいへんでした(笑)。3000字という長さ、文章量の多さに慣れていないというのもありましたし、自分のことについて分析するというのはとても根気のいる作業でした。そのなかで、学校などの学びの場面で理解に至るまでのプロセスについて、分析を行いましたね。Pink Milkさん自身が何かを理解するときに頭の中がどうなっているのかを、客観的にとらえることができていて、私は「なるほど、そういうことが頭の中で起きているのか」と思いましたので、ぜひここで紹介してください。
はい。では、志望理由書の一部を紹介します。ある通信制の大学を受験するために、3000字の志望理由書を書きました。そのなかに、私自身の学びの特性について書いているところがあります。「私には元々学びに障壁があります。それは、学校の対面で行うような一度きりの授業では、深く内容の理解が出来ないということです。新型コロナウイルスの流行拡大によって、私の高校でもオンライン授業が行われました。それからの私は学習の内容を理解するために、いつも映像授業を少なくて2回、多くて4回は視聴していました。なぜなら、先生が授業を解説しているような長い話では集中力が切れてしまい、私の意志に関係なく先生の話が耳から通り抜けて、情報が頭に入ってこなくなるからです。一回の授業では話をたくさん聞き逃してしまい、授業の内容がほとんど頭に入っていない状態になるのです。講義が始まってからの5分から10分は集中して話を聞いていられるのですが、10分を過ぎると集中力が保てなくなります。そのため、同じところを何度も確認できる映像授業で欠けているところを補っていました。例えていうと、ジグソーパズルの欠けていたピースがはまっていくことで、絵の全体像が見えていくようなかんじです。全体像が見えてきたところで、私にはもう一段階が必要です。それは、頭に入った情報を再構成することです。パズルのピースのような形で私の耳や目から入った情報を、頭の中でアニメーションのようなイラスト動画に置き換えます。そこは自覚的にしているわけではなく、無意識のうちに動画にあてはめていき、そこまで行きつくと情報の整理が完了となります。」
※(志望理由書より抜粋)
ありがとうございます。Pink Milkさんが理解に至るまでのプロセスがよく分かります。一度きりの通常の授業では、情報を受けとるのが大変なのですね。
そうなのです。コロナ感染防止のために授業が遠隔になったことで、映像授業を繰り返し再生して視聴しました。そのことは私が情報を受けとることの助けになりました。
繰り返し何度も授業を確認していくことで、授業の情報の全体像がみえていき、さらにそれを頭の中でアニメーションのように動画化する、ということが書いてありますが、これは「再現VTR」のようなものですか? それとも整理したノートを1ページ1ページめくっていくようなかんじですか?
「再現VTR」のようなものです。頭の中で、授業の情報を自分なりにイラストつまり静止画にします。それが授業の流れにそって動き出し、アニメーションのようになるかんじです。
目や耳から入った情報を再構成する脳内の仕組みがあるのですね。
はい。その仕組みの中で、自分にとって何がいちばん重要かというと、アニメーションのような流れの中から「いま思い出したいのは、あのシーンだ」とあとになっても思い出せることです。
映画やアニメーションの中で「あのシーンはよかったなあ、忘れられないなあ」というようなシーンが私にもあります。そのシーンの静止画をまずは思い出して、それを手掛かりに、その周辺の情報を引き出すということでしょうか。
そうです、そのとおりです。
②文をつくること自体の苦手さについて
志望動機書を書いている間、文をつくることが大変でした。私はもともと文をつくることが苦手で文章が長くなればなるほど、集中力が切れ、頭の中がこんがらがる、からまるかんじがして、ストレスが高まります。時間が延びることにもなるので、延々と続くのではないかと不安やあせりの気持ちが出ます。
そのような様子でしたね。ただ、私から見て不思議に思ったことがありました。「タイBLドラマ」「ヒーロー論」などを書いていたときは、文をつくることに大変そうな様子はそれほどなかったように見えましたが、志望理由書ではかなり苦戦していたようでした。すらすらと言葉が出てきて書けるものと、そうではないものとには違いがありますか?
違いがあります。自分の中から言葉になって出るものもあれば、出ないものもあるのです。「タイBLドラマ」の原稿や「ヒーロー論」の原稿のように、自分がこういうことを伝えたいとはっきり分かっていることには、言葉もうかんでくるし文章としてもうかんできます。
うかんでくるというのは、どういう状態ですか?
形であらわすと、最初にモヤモヤとしたかたまりのようなものが頭にうかんでくるのです。その中から言葉を探します。テストの選択肢の①②③④のようにいくつかの言葉がうかんできて、どの言葉にすると説得力が出るか、どの言葉を使いたいかを基準に選んでいきます。
学校の課題などでは、興味のないことやそれまで考えてみたことがないものについても答えを求められますよね。そういうときは言葉や文章がうかびますか?
そういうときは頭の中のモヤモヤさえないので、言葉も文章もうかびません。
はじめて聞いたような言葉や一度も考えたこともないようなことが出てくると、新しいことを吸収するのに精一杯で自分の考えを生み出すことまで頭が回らないかんじです。なるほど。では「興味のないことやそれまで考えてみたことがないもの」でも、何か自分が持っているもの、考えてきたこととうまく結びつけられたとしたら、モヤモヤがあらわれるのですか?
そうですね。自分の中にすでにあるものと関連性があったり、関連性を見いだせたりするとモヤモヤはあらわれます。
③「志望理由書が箇条書きならよかったのに」
志望理由書は字数が3000字と長いものでしたね。
長すぎです。果てしない旅でした。志望理由書が箇条書きならよかったのに(笑)
「志望理由書が箇条書きならよかったのに」というのは「ジグソーパズルの欠けていたピースがはまっていくことで、絵の全体像が見えていくようなかんじ」という考えがまとまっていくとき、理解に至るまでのプロセスと関係がありますか?
それは関係ありません。志望理由書では、自分の要望だけを言いたかったのです。箇条書きやチャート式みたいなもので答えられるといいと思いました。自分の学びたいことや、取得したい資格を伝えれば十分ではないかと思います。志望理由書では、志望のきっかけや目的を書くことを求められますが、私には違和感があります。
違和感とはどのようなものですか?
大学は学生にカリキュラムどおりの学問を提供するしかないのだから、ひとりひとりのきっかけや目的を聞いたところで、大学はどうする?と思うのです(笑)
なるほど、大学は学問を提供するサービス業であるというような視点ですね(笑)。現状では、大学のほうも志望理由書や面接で聞く内容について、これまでの型どおりのものでやっている場合も多いのかもしれませんね。大学側や面接官も、より受験生のことを知った上で選抜したいから質問している、といった気持ちや、ほかの理由もあるのかもしれません。そのあたりを大学側ももう少し丁寧に受験生に説明することは必要かもしれませんね。
志望のきっかけや動機などでは、自分自身のことや過去のできごとなどを書くので、そういうことが試験の採点の材料になっていると思うと、とても嫌な気持ちになりました。自分の今までの生きかたが点数化されているみたいで、書いていてつらかったです。
そのような思いをしながら受験期を過ごしてきたのでしたね。一次試験では志望理由書、二次試験では面接がありましたね。志望理由書を提出して一次試験を通り、二次試験の面接でも面接官から志望理由を確認されたと聞きました。
そうです。面接のときは、緊張して頭が真っ白になってしまって、面接官の質問がまったく頭に入ってこなかったのです。受け答えも充分にできませんでした。
質問が頭に入ってこなかったというのは、質問の内容を頭にとどめておけなかったということですか?
面接官が何を意図してその質問をしているのか、どう答えればいいのかが分からなかったのです。
④イラストや図で補完することについて
Pink Milkさんのこれまでの学びについて振り返ると、いくつかオリジナルの工夫がありましたね。
高校受験のとき「解剖Pink Milk」と名づけて、英語の弱点を探しました。やり終えたプリントやテストをたくさん集めて、ミスや間違いの種類ごとに分けていきました。自分を「解剖」するようなかんじでした。
超アナログのやりかたで一緒にやりましたね。プリントやテストの用紙を一問ずつハサミで切り取って、ノートに貼っていって(笑)
そうでしたね。一問ずつ切り取った紙が細長くて、それが骨のようにも見えて、「解剖」っぽいと思いました。
歴史のノートには、よくイラストが描いてありましたね。
よく描きました。社会、理科、数学などの整理するものが多いと頭の中が混乱するのでイラストで情報を整理していたのです。
イラストにすると記憶に残りやすいと言っていましたね。
はい。そういう記憶に残すための工夫もしたのですが、それでも忘れやすいこともあります。単元が切り替わるときです。新しい単元の内容が頭に入ると、前の単元は忘れてしまうのです。パソコンで上書き保存をしたときのように、前の記憶が跡形もなくなるのです。前の単元を見返すと、初めて見たかのような気がします。
どういうイラストにするかは悩まないのですか?
あまり悩みません。なんとなく頭の中に出てきます。それでも、覚えようとする情報が多いとイラストや図にするのも大変になり、情報量と作業の大変さは比例します。
イラストや図があると、ひと目で分かるような分かりやすさがありますね。その分かりやすさは脳の負担を少なくするのですか?
脳の負担は確実に少なくなります。ひと目で分かるばかりではなく、イラストや図がSNSで使うハッシュタグの役割を果たします。
イラストや図がハッシュタグの役割を果たすということは、「詳しい情報はここにありますよ」という目印になるということですか?
そういうかんじです。目印でもあるし、イラストや図として情報をひとまとめにするので、脳に空きスペースができるのです。記憶を引っ張り出すための手段でもあります。
脳に空きスペースができるというのは?
パソコン作業にたとえると、ひらいているウインドウの数を減らすようなかんじです。かりに、世界史の教科書から新しい情報がたくさん入ってくるとします。そのときは、脳の中のウインドウをいくつもひらいてあっちを見たりこっちを見たり、というマルチタスク的な作業を行うことになり、脳に負担が重くかかります。複数の新しい情報をイラストにひとまとめにすることで、ひろがっていたウインドウを閉じ、ウインドウの数を減らしているのだと思います。
そのたとえは分かりやすい(笑)。
10代の終わりに近づいてきたので、私自身のスペックについても語れるようになったのかもしれません(笑)。
そうですね。今後のバージョンアップを楽しみにしています(笑)。
【執筆者紹介】Pink Milk
関東地方在住。JKであるという実感が湧いていないJK。休日は家でゆっくり過ごしたい派。基本的に人混みへの外出は苦手。おいしいご飯さえあれば人生なにも困らないと思っている。
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