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【特別インタビュー】「これからの発達支援:治療という発想を超えて」 ①(榊原洋一先生)

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榊原洋一(発達支援研究所 客員研究員・お茶の水女子大学 名誉教授
・チャイルドリサーチネット(CRN) 所長)
聞き手:山本登志哉(発達支援研究所 所長)

発達障がいの問題に小児科のお医者さんとして、これまで最先端で取り組んでこられた榊原洋一先生については、テレビの解説や出版などでも大活躍されてきましたので、ご存知の方は少なくないと思います。

私(聞き手の山本)が榊原先生にお会いしたのは、現在先生が所長をされているCRN(チャイルドリサーチネット)という研究所が毎年国内外で行っているシンポジウムの席上でした。私も発達という問題を文化の視点からお話しし、壇上で榊原先生とやりとりをしたのが最初です。

その後CRNの企画運営委員として、私もささやかながらお手伝いをさせていただいてきた経緯もあり、このインタビューをさせていただく機会を得ました。ご覧いただければわかるように、医学者でありながら「治療」という観点で発達障がいに取り組むことの限界を考えられたり、当事者の視点から考えることの重要性を唱えられたり、まさに、はつけんラボがこの問題に取り組む基本的な姿勢にかかわる主張を先駆的に続けてこられた先生でもあります。そのようなわけで、榊原先生には本研究所の客員研究員にも就任していただきました。

このインタビューが実際に行われたのは少し以前になりますが、長時間にわたったお話はとても新鮮で、刺激的なお話が「てんこもり」です。5回に分けて掲載していきます。どうぞみなさんお楽しみください。


 


  • 山本:榊原先生、本日はお忙しい中、どうもありがとうございます。先生はこれまで医学者の立場から発達障がいの問題に長年取り組んでこられ、しかも単に「医学」の視点にとどまることなく、私のような心理学者や教育学者、現場の先生、行政の方たちなど、多様な方たちとのネットワークの中で、とても柔軟な発想でこの問題に取り組んでこられたことがすごいと思います。そんな先生のお話をいろいろお伺いしたくてお邪魔しました。

  • 榊原:あらゆる生活の場面で発達障がいが、課題になるということがあるので、やっぱり学際的な対応をしなければいけないと思います。自分たちの思い込みもあるのですけど、わりあい小児科は、学際的な接点が持てるのです。

    たとえば臨床心理士の人にもちろんそういうところがあるのですけれど、医療という形で薬を使ったりすることとか、実際の発達障がいの患者さんがいますので、患者さんの立場からで学校でこんなことで困難がある、といった情報もらえるのです。

    同時に学校や幼稚園の先生からも講演を頼まれたりして、逆に先生側の困難も分かるのです。それから実際子どもの側の親の困難も分かり、寄り添えるという意味で、わりあい、いい立場にいると思います。

    行政の方は行政ということの縛りがあり、住民サービス第一という立場があって、また、たとえば支援センターの方の場合はやっぱりクライアントとして住民が来てるのだ、ということがあるために、行政の立場は、ある意味ですくんじゃっていて、あんまりものが言えないというところがあるわけでしょう。

    医者の場合は関係性からいうとフリーなのですよ。つまり患者さんと医者っていうのは何の契約関係もないです。行政っていうのはなかなか難しくって、親御さんに対して何か言うと行政サービスの人が何を言うのだと批判されることがあるのです。そういう意味で医師は発達障がいをみるのにはいい視点に立っていると思っています。

    臨床心理士はいいのですけれど心理の研究者になると、臨床の場面でかならずしも、現場が分からないところがあるのです。臨床心理士は分かっているところがあると思いますけれど、心理、発達心理の専門家は、発達障がい観というのは、実際はその患者さんと親御さんに接している目からみると、まあちょっと僕たちと違うなっていう感じがするところがありますね。これは全く我田引水、自画自賛ですけれど、臨床発の立場にいるので発達障がいは、比較的やりやすい。

    比較的やりやすいというのは、類型的に言うと注意欠陥多動性障がい(ADHD)です。発達障がいの中でいちばん多いのはこれです。それで次はどっちか分かりませんけれども、学習障がいでしょう。自閉症は頻度がいちばん少ないです。0.8%くらいと言われています。それぞれの医学、教育あるいは福祉の接点にいるのですけれど、最も医学的な立場で接近できるのがADHDです。それからその次に自閉症です。これはときに薬を使ったりすることもありますね。

    学習障がいはですね、どちらかというと、学校現場でより教育的なアプローチが必要で、医学的には脳の中がどうなっているかという研究はありますけれど、対応の仕方がなかなか難しい。そういう意味で発達障がいの中でも医者が得意なところと、臨床心理の方が比較的得意なところと、それからどっちかと言うと学校の先生が教授法など通して対応するといったように、住み分けが必要な状況になっているという状況です。

    山本:私は当事者の方の視点も大事にしてほしいと思っているのですが、支援の現場でも、当事者の人が支援の支援に携わっていらっしゃる場合が結構あります。そういう当事者から見て支援というの何なのかといったことをいろいろ考えようとしているのです。

    先生にお話をうかがいしたいと思ったのは、先ほどおっしゃったように、小児科医というのは多様な観点とつながりをもちながら仕事をすることができるとお話をしてくださいましたが、それを医学的、発達心理学的、臨床心理学的なこと、あるいは福祉、教育、いろいろな視点からの問題をこの本できれいにまとめて書いてくださっているということに感銘を受けたためです。

    しかも、ありきたりな議論にとどまらず、この中ではまだ治療という言葉を使われていたかと思いますが、例えばADHDの子どもを見るときに、人によって評価の仕方が違うよねっていうようなことを書かれたりとか、結局診断する側の目によっても随分変わってきてしまうということを書かれたりしています。そんな風に子どもとの関係の中で、ものの見方や対応の仕方が変わってくる、それが発達障がいという問題ではないかということを提示されているような気がしたのです。

    その延長線上に、先日も少しお話いただきましたけれども、もう治療という観点では対応しきれないものがそこにはあるのではないかというお話もいただいて、そのあたりは、これから本当に大事になります。将来この問題について取り組んでいるときに、とても大事になると私は思っています。

    療育の教室で子どもを見るときにもどれだけ柔軟に、広い目で見るかということがとても重要で、ひとつの偏った見かただけではいけない気がします。そのような専門的なことを幅広く見ながらこんな風に展開していらっしゃる先生の話、しかも先生の話はとても分かりやすいです。本当に当事者および保護者の方たちにもしっかり読んでいただきたいと思っていますので、そういう意味では本当に先生にお話をいただくのはいちばんいいのかなと思い、お忙しいところお願いいたしました。

    榊原:発達障がいについてずっと見てきて今思っていることを簡単にイントロとしてお話をします。まず治療するかどうかということですが、発達障がいというのは誤解を受けるような言いかたをすると「治すものじゃない」という風に思うのです。治らないと言うと非常に冷たい言いかたになるのですが、そういうものではありません。発達障がいをもつ人は社会的な場面においての人間関係の取りかたや自分の情動のコントロールが、いわゆる世間一般にいる大多数の人に比べて少し違う人たちだと思ってます。

    発達障がいは、障がいということばを使うにしても「本人の中に障がいがあるのではない」という言いかたをしているのです。たとえば糖尿病というのは本人の中に多分ある病気で、中でいろいろなことが起こっているわけです。周りの人は関係ありません。しかし、発達障がいというのは人との間に起こる障がいなのです。

    たとえば自閉症スペクトラムのように一対一の場面で意図理解が難しいなんていうことがあるし、ADHDのようにどちらかと言うと集団の中でルールに従うということでもうまくいかないし、学習障がいはやや難しいのですけれど、人間の文字を書いてそれを読むことにおいて違ってなかなかそこが難しい。そういうような人間間(にんげんかん)、人間(じんかん)そこに課題があるということになります。

    したがって発達障がいの「障がい」を、別の言いかたに直すと、発達障がいも個別個別でちょっと違いますが、発達障がいの子どもと一般的な(あるいは定型発達の)子どもたちとその間に葛藤あるいは摩擦があるといえます。その摩擦がその人たちを困難して、定型発達の人たちもそれを感じています。そのように定義すると、治療というのは摩擦をなくすということになります。

    摩擦という、ふたつのものが擦れている状態をなおすには2通りの方法があって、ひとつは発達障がいの人が定型発達の人と同じように動くという考えかたです。要するに正常化には、あるdefect(欠陥)があってそれを治して、みんなに合わせるという考えかたです。

    しかしそれは逆もあるわけで、発達障がいの人たちに定型発達の人が合わせても摩擦はなくなります。ただ悲しいことに人間の世の中というのは大多数が勝ちます。ですから、大多数の人がこれは普通、常識と思っていることがルールになって、それから外れたものについてはこちらに合わせましょうという、そういう話になるわけです。

    発達障がいはそのような考えかたが特に顕著に出ているものであって、結局大多数の子どもでいうと90%ぐらいが定型発達で、10%ぐらい発達障がいといわれる方がいます。ですからその子どもたちに、こちらに合わせろというようなことをやるわけです。治療によって確かに社会的な生活は楽になるのです。しかしそこでやっていることは大多数に合わせるための術を教えているということが多いのですね。

    私は発達障がいというのは個人の中に障がいがあるのではないと思っていて、だからご本人にも別に病気でもなんでもないと説明します。ただ集団場面でどうもうまくいかないことはそれがあなたも大変でしょうと言うのです。そのような意味で治療や療育という言葉を私は使っています。

  • 「どうして大多数の人に合わせなきゃいけないの?」って思うのですが、世の中を見るとだいたいそのようになっています。それは発達障がいに限りません。治療とか療育によって定型発達の人に合わせるということをやろうとしているのです。


  • そのことを疑問に思っていると、同じようなことを書いている人がいて、それがニキリンコさんです。彼女はアスペルガー世界と、非アスペルガー世界とで、あの人たち(定型発達者)と私たち(アスペルガー者)とでは違う文化と考えかたを持っているという見かたを書いています。

    たとえばイスラム教徒と仏教徒がどこかで一緒にいるときに、イスラム教徒を全部仏教徒にするのかといえば、そういうわけではないでしょう?発達障がいについてもおそらくそれが言えるのです。治療によってノーマライズするとか、「ディフェクト(欠陥)があってそれを治す」という考えかたは僕は変だと思います。

    もう少し言うと、このような子どもたちに個性があり、定型発達の人にない感性をもっています。そのことをきちんと大事にしようというのはいいんですが、ときとするとこの人たちの中にサヴァン(症候群)の人がいる。サヴァンというのは何かと言うとつまり大多数の人にとって価値のあることができるんです。たとえば音楽ができるとか、絵がうまいということです。「この人たちはディフェクト(欠陥)もあるけれど、こういういいところがあるから、だからこの人たちはそういうところを認めてあげましょう」という見かたです。でもこれはある意味でちょっとペテンだという気がするんです。

    どうしてかというと、サヴァンというのは「大多数の人にとって価値のあることができるからこの人は価値があるんだ」と言うわけです。「こういう人たちの中にこういう能力がある。だからこの人たちも結構すごいんです」という言いかたをして(その人たちの価値を)高めようとすると、ある意味それは自己撞着なのです。「あなたは、そのところにマイナスがあるけど、ここのところに価値があるから、定型発達の人にとって結構いいところがあるのだよ」ということになります。(自分たちにとって)プラスがあるから認めてあげようという話になるわけです。

    とはいうものの、世間では90%の定型発達の人は自分の定型発達的偏見でものごとを見るわけです。定型発達的 slanted(偏った見方)と英語で言いますが、それで見るのです。だからそこに課題が出てきます。

    たとえばADHDの人にはコンサータなど、いろんな薬を使います。特にADHDは、非常に子どもらしい無邪気さが目立つだけなのに、それを矯正することにどういう意味があるのかと、かつて言われたことがあります。たとえば「授業中大人しくいい子にさせることが治療なのか」と臨床心理学の人に追及されたことがありました。

    ところがADHDで騒いでいる子がいると静かにしなさいと言われたり、けっこういじめられたりする子も多いらしいです。仲間同士からいじめられるわけです。そのようなことによって二次障がいが出てくるということが分かってきたのです。鬱とか不安障がいがそうです。

    それで世の中にたとえばADHDとかアスペルガーとか、そういう人たちに対してストレスを与えない、摩擦ができないようにすればいいとおっしゃる方がいるんです。でも世の中を変えるのに何年かかるのかなと思います。それを聞いてから20年経つのですけれど世の中はほとんど変わっていません。もしかしたら、少し変わったかもしれません。

    そうなると私たちの一生が1000年なら200年待ってもいいですが、そうではない子どもたちが結局定型発達との間で摩擦が続いて、本人自身の人格的にもいろいろな問題が出てくるのです。だから薬で治療します。たとえばADHDの人がリタリンとかコンサータとか飲むと2次障がいが実際に減るのです。でもそれは、本当は非常に悲しいことなのです。悲しいというのは定型発達の人との間の摩擦を(薬で)減らすことによって、(発達障がい者)本人の中に摩擦熱で壊れることがなくなるという理屈です。そのあたりが発達障がいについての大きな課題だと私は思っているのです。

    「独特の才能があるから認めよう」というのはいいのです、言っても。でも「だから」というのは正答ではありません。非常に発達障がいを美化するような人がいるのですが、それは少し違う気がするのです。

    山本:今お話を伺っていて僕が考えてきたこととまったく同じで、「本当にそうだ」という思いで聞かせていただきました。

    <②に続く>


     

  • ■榊原 洋一(さかきばら よういち)
    お茶の水女子大学・名誉教授/チャイルドリサーチネット(CRN)・所長

    専門領域:小児科学、小児神経学、発達小児科学
    主な研究内容:小児神経疾患、発達障がい


  • 所属学会と役職(過去の主な役職を含む):小児科学会、小児神経学会(元理事)、日本子ども学会(理事長)、日本赤ちゃん学会(理事)、アジア太平洋小児神経学会(元会長)
    その他の社会活動:元NHK番組審査委員、BPO青少年委員会(委員長)、NPOブックスタート(理事)、日本成長科学協会(理事)、NPOあいポートステーション(理事)

    「はつけんラボ」榊原洋一研究室

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