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【アンフェアを生きる】⑥ グレタさん批判

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北村 碩子(きたむら ひろこ)

スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんへの批判、もとい、攻撃の声が凄い。「大人の操り人形」から始まり、「親も救いようのない馬鹿」「ただ喚き散らしているだけの中二病」「頭がおかしい」など、彼女の示す環境破壊のデータは無視して、彼女の行動を一方的に断罪し、人格まで否定するようなコメントが相次ぐ。さらに、彼女がアスペルガーでヴィーガンであることを明かすと、さらに攻撃は激しくなった。「どうりで融通が効かずに、自分の凝り固まった考えだけが正しいと思い込んで他人への迷惑なんか考えないんだな」「嫌悪感が出る」「無表情で気持ち悪い」など。しかも、そのほとんどが、彼女の活動内容にほとんど言及せず、グレタさんの奇抜なストライキ方法を悪様に罵るというものだった。「子どもで、女性で、アスペルガーという、攻撃しにくい社会属性だから、それをしたたかに利用してパフォーマンスしている」などというコメントがあったが、むしろ完全に逆ではないかと思う。もし彼女が健常者の成人男性であれば、きっとここまで攻撃されなかったはずだと思う。今の日本のネットの反応は、「社会人の男性が寄ってたかって、十代の少女を面白がっていじめている」状態だ。

  • 往々にして日本は、女性、子ども、障がい者が声を上げれば、内容の是非に関わらずたたかれる国だと確信している。話は少し逸れるが、少し前、「貧困女子高生」として取り上げられた少女がいた。だがテレビに映った部屋に漫画がある、映画にも行っているなどと突きまわし、本当は貧困ではないのではないかと攻撃しはじめ、挙句にはまったく関係のない容姿のことまで誹謗(ひぼう)し、自宅まで特定される惨事に至った。そこに、娯楽程度の資金はあっても、進学のためのお金は用意できないという相対的貧困の知識は無い。また、遊びたい盛りの子どもに娯楽をすべて我慢して進学資金を工面しろというのもおかしいという概念も無かった。

    また前のブログで、レイプ被害を訴えた女性のことを書いたが、彼女が被害を受けた翌日に加害者にメールを打ったことや、会見時に胸元の開いた服を着たことを「不自然な行動だ、ハニートラップじゃないか」とたたいた人たちも同じである。性暴力の被害者は、被害直後には、「現実でなく夢であってほしい、早く日常に戻りたい」という心理から、「何事も無かったように」加害者に接することがよくあるという知識も無い。「性暴力被害者はその後ずっとトラウマを引きずって、うつむいて恥ずかしそうに露出の少ない服を着ておくべきという考えはおかしい」という概念も無い。ただ自分の既存の知識やイメージだけで、自分より力の弱い人をたたきたいだけなのだ。

    今回のグレタさん批判でも、彼女がブログで示している環境破壊のデータへの反論はあまりなく、それをはるかに上回る、彼女の性別、障がいなどの属性に加え、まったく関係のない容姿にまでも批判がまかり通っている状態だ。

    女性や障がい者差別の影に隠れて、彼女の訴える二酸化炭素削減目標はすっかり見えなくなりかけている。思うに、環境問題や温暖化というものは、何年も前からずっと言われ続けてきていたので、深刻な状況に陥っていることに対しても、もはや感覚が麻痺してしまって「当たり前のこと」となってしまっているのではないだろうか。その麻痺した感覚を再び呼び覚まそうとする訴えかけに応えるどころか、グレタさんを批判する彼らは少女への醜いコンプレックスや嗜虐性(しぎゃくせい)をむき出しにしているだけなのだ。彼らにとっては、「環境問題?そんなのわざわざこんなムキになって訴えることじゃないだろう。それよりこんなに感情的に学校を休んでまでストライキまでする女子高生を見たことがない、そっちのほうがもの珍しいのでたたきたい」といったところか。これでは、真面目に勉強やいじめ撲滅に取り組む同級生を「生真面目すぎてうざい」などといじめをする学校のいじめの構図と変わらないではないか。いや、大人が子どもに対してそれをやっている分、余計タチが悪いかもしれない。

  • そのような状態も相当問題だが、彼女がストライキをしてまで訴えている内容そのものへの関心がほとんどないのも恐ろしい話である。


  • たとえばほんの数十年前までは、アパルトヘイトがまかりとおり、それを間近で見ながら「黒人差別は無い」と平然と言い放つ人がいた。日本はもっと異常で、本当にごく最近、やっと「在日コリアンへの差別攻撃を行った者に罰則を与える」という、至極当然の条例ができるまで、人種差別の罪状すら無かった。このあまりの異常事態を正そうとする人たちを、「どこにでもいるごく普通の人」は「だって何年も前からそうだったんだしこれからもそれでいいじゃん」と言い、無関心に通り過ぎていった。そればかりではなく、その問題そのものにはまったく関心を示さずに、抗議の声を上げ続ける人たちに向かって「売名行為」「弱者特権」などと二重に傷つける言葉をぶつけ、おもしろがって冷笑すらした。今回のグレタさんの件も同様のことを言ってたたく人が「通常の人間」だと言うのなら、それはグレタさん本人も「アスペルガーは私の誇りです」と言うだろう。

    この「普通に思えるような異常事態」というのはかなり大きな問題であり、グレタさん本人が言っているとおり、「普通の人は興味を持たないようなことに強い関心を持ち」「白か黒かで善悪を判断する」特性が最大限に活かされて、多くの人を異常事態に振り向かせることができたのではないだろうか。

    トランプ大統領は、グレタさんに「落ち着け」「友だちと古いいい映画でも観ていろ」と嫌味を言った。日本の、グレタさんを攻撃する層も、判を押したように「こんな感情論むき出しの女にできることはない」と批判している。共通しているのは、彼女が訴えたいことについてはまったく触れず、正当な怒りを表明することに対して「みっともない」と冷笑していることである。

    しかし、ものごとの本質を見ず、新しい変革をもたらそうとする人を嘲笑う人たちの目につかないところで、地球温暖化はどんどん進行していっている。それこそ数十年後、「全人類がヨットと鉄道を使用し、飛行機を廃止するくらいしないともはや取り返しがつかない。なんでもっと早くに世界中のみなが関心を持たなかったのか」というような事態になっているのではないか。「アリとキリギリス」そのものだ。子ども向けの童話で言い聞かせられていることも、「周りと違ったことをする真面目な人をたたきたい欲」に負けて見えなくなってしまっている。「グレタさんは自分は変わろうとせず、他人に変われと強制している。そんなことをしても何も残らない」などと言う人もいるが、差別も温暖化も、「やりたい人だけ対策すればいい」のではそれこそ何も残らないのであり、「どちらも人が死ぬから全員関心を持たなければならない」課題なのである。その指摘はまったく頓珍漢(とんちんかん)なものであると言える。なぜ、そんなことを言う暇があれば、自分が少しでも環境問題に関心を持ち、グレタさんの今回の行動がいかに意味のあるものか理解しようとしないのだろうか。

    しかし、彼女が本当に訴えたい「当たり前になっている異常なこと」に声を上げたことは、きちんとした理念を持った人にとっては、「そうだな、このままではいけない」と気づいてもらうきっかけになったようである。それが救いである。

  • (個人ベーシック閲覧期間:2020年2月7日まで)

  • 【執筆者紹介】北村 碩子(きたむら ひろこ)
    はじめまして。生まれも育ちもずっと香川です。去年の夏から、障害児通所施設の指導員として活躍させていただいております。性格はよく天然と言われます。発達障がいの当事者として、日々関わらせていただいている利用者様からたくさんのことを学んでいます。
    趣味…読書、約束のネバーランド、物書き、犬など。ピアノ弾けますので、お子様のリクエストたまわれます。

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