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【わたしの療育】わたしの療育(阿部和彦)

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  • 阿部 和彦(あべ かずひこ)

    私は、現在の福祉の仕事に関わる前に8年間、学習塾で勤務しておりました。その前は、大学の教育学部を卒業してからの約10年間、公教育の現場で教員として子どもたちと関わってきました。

    これまでの教育を通じて子どもたちと関わった経験が、療育の場に生かせるのではないかと考えたこと、また「個別療育」の考え方に共感したことが、現在の仕事を始めるきっかけになりました。しかし、実際に児童指導員と児童発達支援管理責任者仕事を経験して、教育現場で培った視点や考え方をそのまま療育の現場に置き換えることはできないことにも気づきました。

    教員時代に山形県のとある田舎の小学校で4、5、6年生と3年間持ち上がりで担任を受け持ったときの話をさせていただきます。私が担任する普通学級(親学級)、そしてT先生が担任する知的学級(在籍2名)とS先生が担任する情緒学級(在籍1名)がありました。体育や図工、音楽などの技能教科は私が担任する普通学級で全員一緒に授業をします。5年生の時に、学芸会に向けた合奏の練習をしていたときのことです。その学校は奇数学年が音楽的活動、偶数学年が演劇的活動を発表することが慣例となっていました。知的学級に在籍する2名の生徒が鍵盤ハーモニカの練習をしているのに対してT先生が次のような言葉をかけていました。

    「君たちは音を出さないでいいよ。演奏しているようにすることがみんなのためになるんだよ。」

    一方、S先生は普段から大きな音が苦手な情緒クラス在籍の生徒に次のような言葉をかけていました。

    「音が大きくてつらいよね。少し離れたところでカスタネットの練習をしようね。」

    T先生はクラス全体のことを考えて、「音を出さないことがみんなのためになる。」と考えたのです。ただ、私は「全員で合奏を作り上げたいな。」という思いがあったので、T先生とも相談して、すべてのメロディーラインを演奏するのでなく、小節の最初の音や比較的簡単な部分を一緒に演奏するように指導しました。S先生の言葉がけについては私も音が大きく聞こえるところに無理に近づくことはしなくていいと考えていました。
    しかし・・・今思い返しても、「本当はどうするのが良かったのか、どう声をかけてあげればよかったのか」と自分に問うても自信の持てる答えは出ないのですが、療育の現場を経験した今の自分が過去に戻れるならば、次のような選択肢もあったのではないかと考えます。

    職員会議で5年生であっても音楽的活動でなく、演劇的活動を発表することを校長先生はじめ他の職員に相談する。

    【理由】音に敏感な情緒学級の生徒には練習の時から大きな音への我慢を強いることになる。知的学級の生徒は楽器演奏が困難で普通級の生徒と同じように演奏することが難しい。演劇的活動ならば4年生の時にも情緒学級の生徒も知的学級の生徒も生き生きと活動できていたため。

    つまり、そもそも「慣例だから」ということで5年生では音楽的活動をするということではなく、その時の生徒の状況に応じて柔軟に対応することも考えてよかったのではないかと思うのです。ただ、それが本当によいのかどうかはわかりません。なぜなら、社会の中で生活していくときに、周囲の人や環境がすべて自分に合わせて変えてくれるわけではなく、時には我慢したり、その時感じる困難を乗り越えたりすることが必要になる場面があるからです。

    そのような5年生の時の経験もありましたが、6年生の時は、昔話を題材にした演劇を発表しました。普通学級、知的学級、情緒学級のすべての子どもたちが楽しそうに練習に取り組み、本番でもたくさんの拍手を浴びても音に敏感な生徒は耳をふさがずにニコニコしていたことがとても印象的でした。

    私は現在、児童発達管理責任者としてサービスを提供するための指針となる「個別支援計画」を作成する仕事をしています。この個別支援計画ですが、もちろん主訴が近い児童については同じような内容や文言になることはありますが、一人として全く同じ支援計画になることはありません。この支援計画を立てるときに指導員とカンファレンスを行うわけですが、みんなで「あーでもない、こーでもない」「こういう教材を使ったらどうだろう?」「こういう風に伸ばしていきたいね。」・・・と話し合いながら、その児童の半年後、1年後の成長した姿を想像して話し合う時間がすごく好きです。そのような話し合いを経て頑張って作成したはずの個別支援計画ですが、自信を持てることはやはりありません。毎日、手探りです・・・。手探りではありますが、それは「闇の中を手探りで進む」という類のものではなく、「ぼんやりとした光が見えていて、その光に向かって手探りで進んでいく中で、その光が少しずつはっきりとしていく。」というような感じに思えます。

    これからも毎日、自分の考えに自信が持てずに悩みながらだと思うのですが・・・。たくさん悩んで、たくさん考えて、その子の未来の姿を想像して、保護者様の気持ちに寄り添って支援をしていきたいと思います。学校の教科書の答えは一つかもしれないけど、支援の答えは一つじゃない!そもそも答えはあるのか?そんなことを考える日々です。

  • 【執筆者紹介】阿部 和彦(あべ かずひこ)
    山形県で、主に発達障がいのあるお子さんや家族の教育や支援に関わってきました。


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