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【わたしの療育】ボリビアが教えてくれたこと(新家祐子)

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  • 新家 祐子(しんか ゆうこ)

    「親でもなく、先生でもない、身近な大人」子どもたちにとって、そのような存在でありたいと思いながら、日々療育にたずさわっています。

    小学校の教員時代、一斉授業の中ではなかなか理解が難しい子どもや、一人で落ち着いた環境のほうが学習に取り組みやすい子どもたちに出会いました。授業を工夫したり、個別に学習対応をしたりと、その子一人ひとりに合った支援方法を考えてきましたが、「学校」という現場ではなかなか難しい場面も多く、もどかしさを感じていました。自分のなかで葛藤をくり返すうちに、もっとゆっくりと時間をかけて、一人ひとりの子どもたちと向き合いたい、という想いが強くなっていきました。

    そんな矢先に、ボリビアで教育に携わる機会をいただき、児童養護施設や小学校で、学習支援を行いながら子どもたちと関わることができました。ボリビアの教育は、先進国と比べるとまだまだ伸びしろがある部分が多く、だからこそ子どもたちにとって可能性の大きい、未来のあるものでした。文化や習慣の違いから、ときには先生方との教育観の異なりに戸惑うこともありました。頭を抱える日もありました。でも、先生方の「子どもたちに対する想い」は熱く、よりよい教育を子どもたちが受けられるようにと、日々研修や会議を行い、子どもたちに真摯に向き合う姿がそこにはありました。

    しかし、教室に入ると、一斉授業の中では理解が難しかったり、集中力が続かず離席をくり返したりする子どもたちが数人いました。ボリビアでは、まだまだ「療育」や「個別支援」といった対応は難しく、先生方も子どもたち一人ひとりに合った対応をしたいけれども、どうしたらいいか分からず、模索している最中というような状況でした。そのような中、教室で子どもたちは、学習についていけない日々が続き孤立しがちで、また衝動から離席をくり返していると、先生から叱責を受け続ける、そのような結果から二次障がいを生み出してしまい、教室に入れず、休みがちになる子どもたちもいました。

    そのような子どもたちの姿を見て、何とかしたいと強く思ったのをきっかけに、授業や教材を考え「教育」についてサポートするだけでなく、子どもたちの気持ちに寄り添った「療育」が大切なのではないかと考えるようになりました。そして、子どもたちが「分かった、できた」という達成感を感じ、教室の中での自分の「居場所」を見つけてほしいと強く思いました。その想いを先生方に伝え、何度も話し合い、試行錯誤を繰り返していきました。

    「療育」について考えるようになったきっかけは、これだけではなく、私自身がボリビアで実際に経験した文化や習慣の違い、言葉の壁によって感じた「生きづらさ」も、とても大きく影響したと思います。その中でも言葉の壁は大きいものでした。ボリビアに赴任したばかりの頃、私の言語力が乏しかったことから、コミュニケーションをうまくとれず、「生きづらさ」をさまざまな場面で感じました。買い物に行っても買いたいものが買えなかったり、バスに乗って30分ほどで行ける場所であっても、1時間30分から2時間かかったりすることもありました。また職場の会議に参加しても、会話の内容が聞きとれず、理解できないことが多くありました。理解できなかったことで今後の活動の見通しが持てないことがあり、この時「見通しが持てない」ことがこんなにも不安になるのだと感じました。また不安になったとき、初めは質問をしたり、聞き返したりしていましたが、何度聞いても理解できなかったとき、相手の反応が気になって聞くことさえおっくうになり、活動の意欲低下、または聞きやすく話しやすい、特定の人としかコミュニケーションをとらなくなり、自分から視野を狭めてしまいました。今考えれば、あれは「生きづらさ」からくる二次障がいのようなものだったな、と思います。

    私が赴任した小学校は、児童養護施設が併設されており、子どもたちの半数はさまざまな理由で家族と一緒に暮らせず、不安や寂しさから精神的に不安定になりがちでした。それは、子どもたち自身の持っている発達のハンディキャップや特性から感じる「生きづらさ」だけでなく、生活の安定や情緒の安定もとても関係しているように感じました。私が出会った子どもたちの大半は、大人から約束の時間を守ってもらえなかったり、ときにはその約束自体を守ってもらえなかったりすることが多く、施設に入所している子どもたちはその経験をより多くしてきました。施設に入るときに家族から「週末には会いにくるから」と言われたけれど、会いに来てくれない、久しぶりに家族に会えたと思ったら自分の知らない人が家族になっている、ということもしばしば。そのような経験を繰り返すうちに子どもたちは、「大人はうそをつく」「約束は守らないもの」という意識や考えが出来上がってしまっていました。

    私はまずはこの考えを払しょくしたいと思い、子どもたちと接することにしました。まずは、毎日決まった時間に子どもたちに会うこと、子どもたちの要求に対し、自身が応えられるものには全力で応えること、要求への返答が難しい時にはその理由をきちんと伝え、ほかの案を提示すること、どのような約束も、約束を交わしたらきちんと守ること、を徹底しました。これは学習支援でもなければ療育でもないかもしれません。でも、あのときの子どもたちにはそれがいちばん大切であると感じ、それを徹底し続けしました。

    そのような毎日を数か月続けたある日、小学校と施設に寄付をして下さっている団体の方々が視察に来られました。私はその方々に初めてお会いする日だったのですが、子どもたちが私のことを紹介してくれる時にこう言ってくれました。「彼女はほかの大人とはちがう大人だ。」この言葉にはどのような意味があったのかは分かりませんが、私はこの言葉を聞いたときに、「親でもなく、先生でもない、でもこの子たちにとって身近な大人」であるような気がしました。そして、私はそのような存在であり続けたいと思いました。

    しかし、ボリビアにいたころは、まだまだ「療育」に対する知識が浅く、もっと子どもたちに出来ることがあるのではないか、あのときのあの対応はもっとこうするべきだったなと反省することが多くありました。だからこそ、もっと「療育」について考え、知識を深めながら子どもたちに関わっていきたいと思い、今こうして療育の現場に携わっています。

    療育の中で、「子どもたちの気持ちに寄り添うこと」を日々大切にしています。1時間の支援の中で子どもたちはさまざまな感情を抱き、ときには自身の気持ちと葛藤し続けることもあります。今なぜこのような気持ちになっているのか、子ども自身が分からなくなってしまう時もあります。まずは指導員である私が、しっかりとその気持ちを受けいれること、気持ちを整理するお手伝いをすることが大切だと思っています。自分の気持ちを少しずつ整理することで、この空間や場所がその子にとって安心できる居場所となってくれたらいいな、と思いますし、それが「親でもなく、先生でもないけれど、安心して話ができる、そばにいられる大人」という存在の一歩になればとも思います。

    また、子どもたちと接する中で保護者の方々の悩みや不安を一緒に共有させていただく機会が増えました。今までは子ども目線で物事を考えることが多かったのですが、さまざまな親子の関係を見てきて、保護者の方々の情緒が、子どもたちの情緒に少なからず影響があるような気がしています。子どもたちはお母さんやお父さんに笑っていてほしいものです。だからこそ、保護者の方の悩みや不安にもしっかりと向き合い、そして一緒に、子どもたちにとってよりよい療育とは何か考えていきたいと思っています。保護者の方々にとっても「悩みや不安を話せる、共有できる、身近な存在」であり続けていきたいです。

  • 【執筆者紹介】新家 祐子(しんか ゆうこ)
    香川の児童発達支援事業所で働く支援員です。
    日本での教員経験に合わせ、外国での教育や療育に携ってきた経験から、「子どもたち、そして保護者の方々の気持ちに寄り添う」支援を心がけています。


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