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【当事者が語る発達障がい】当事者の視点から考える療育 ⑤
目指すべき目標について

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鈴木 領人(すずき りょうと)

最近、私の住んでいる街では、就労支援事業所が急激に増加しています。私が働いているところの横のテナントが空きになったと思ったら就労支援施設ができたくらいで、当事者に選択肢が多いことは悪いことではありませんが、各事業所の特色が明確ならいいのですが、大体のところは同じようなことしか書かれていないので、選びづらいこともあって少し考えものかもと思ってしまいます。

  • 児童発達支援・放課後等デイサービスで働いていたときも、今も悩み続けていることがあります。それは、当事者の今後の生活についてです。

    人にもよるかと思いますが、働くというのは結構辛いものです。楽しく働けることがいちばんなのですが、それは大抵の場合、常ではありません。毎日の天気と同じようにいい日もあれば悪い日もあります。これがひとりだけで完結する仕事であれば、そこまで面倒くさくはないかもしれませんが、一般的には職場の同僚と一緒に何かをすることがほとんどで、人とのコミュニケーションが欠かせなくなってきます。

    私が発達障がいと分かったのが、公務員として街の役所で働いていたときでした。当時私は街の財政をチェックする部署で働いていました。学力的には定型発達の人と変わらない感じではありましたが、得意なことと苦手なことが結構はっきりしていたのかと思います。ただ当時の自分は、そのことがよく分かっていませんでした。チェックにチェックを重ね提出したものが間違っていることがよくあり、そのミスで何度もやり直しがあり、定時で帰ることができた日はありませんでした。

    このときの私は、自分の中で整合性が保てなくなっていたと思います。その理由としては、私は徹底した成果主義だったからです。ものごとのプロセス(努力している姿など)はどうでもよく、結果が出ればそれでよいと思っていました。人の思想や評価は、結果で現れるものと思っていました。けれども、働くというのはまったくと言っていいほど違うものでした。評価というものは自分ではなく、他人からの見えかたで決まってくるということを理解していなかったのです。

    現在働いている塾での例になりますが、学校でも塾でも同級生はもちろんのこと、ほかの学年の生徒にも嫌われている生徒がいます。学習はとてもできており、とてもいい成績なのですが、国語の文章で、表から情報を読み取り自分の感想を書く問題に関しては、まるで要領を得ない書きかたをします。文章は主語が抜けていることが多く、誰のことを言っているのかがわかりません。また、生徒自身の意見を書くところに関しては、表から読み取った事実だけが自分の意見になり、楽しい・つまらないなどの感情の表現につながりません。問題例でいうと、日本は家でお手伝いをする子どもが少ない、という自分の意見を言う問題では、お手伝いをする人が日本では少ないという事実を意見として書いてきます。私はここを掘り下げて、「なんで少ないと思う?」、「それを踏まえて○○君はどうしたい?」と感情を聞き出します。聞いていくうちに、この子は自分にできない・面倒くさいと思っていることをあたかもやることが当たり前のように、そしてまるでできるかのように話してしまいます。周りから優等生と思われる正しいことを自分の意志として言ってしまうのです。この場合では、「手伝うことは当たり前」、「家ではいつも手伝っている」と話してしまうのです。「たとえば何を手伝っているの」と聞くと、「手伝ってるよ」と言うだけになってしまいます。たぶん周りからは「できもしないことを嘘ついている」など、思われてしまいがちです。ただ本人自身は嘘をついている実感も感覚もありません。一回でも最近行っていれば「いつも」行っているという言葉で表現してしまうのです。この言葉の感覚というのは人それぞれ違いはありますが、ある程度共通認識があります。この生徒はそれがかなり外れているというのが、最近の質問で理解しました。それは「鉛筆は重い。」という言葉でした。

    感覚に大幅な誤差があることによって、聞かれていることに関しての答えが相手が求めている答えになっていなく、これが嫌われてしまう原因になっていると思われます。

    このコミュニケーションというものはとても厄介なものです。当たり前のことではありますが、学校や職場ではさまざまな年齢層がおり、考えかたが全員違います。当時の私もそうですが、みんな少しの違いはあれど、大体は同じ考えかたをしているものと思っていました。そうした齟齬を私が理解できたのは、かなり後になってからです。

    もちろん理解してくれる人もいましたが、コミュニケーションを軽視した結果、一度ついてしまったレッテルはなかなか外すことはできません。

    私自身、働いて気が付いたのは、コミュニケーションの大切さです。仕事をするにしても、休むにしても、手伝ってもらうにしても、いろいろなところで他人との会話というものがとても重要に感じます。

  • 以前はよく言われていた飲みニケーションという言葉ですが、当時の私はただのパワハラと思っていましたが、今は円滑に仕事をするためには必要なのかもと思うようになりました。たくさん会話をして相手を肯定的に理解しようとしないと自分と他人との感覚齟齬を理解することができません。仕事ができれば、ほかはどうでもいいと思っていた私でしたが、私自身も変われたのかもしれません。


  • なぜ飲み会も大事なのかもと思うようになれたかと考えてみたところ、発達障がいの告知により、自分が他人とは考えかたが違うと強く認識したからだと思います。(ただ、とくにそれ自体をマイナスな要因とは思ってはいません。)

    人の役に立ちたいと思うということは、その人たちの考えかたを知らないと(理解しないと)、まったく違う誤解をされたり、意図と反したものになってしまいます。

    とくに自分はそういった意図を異なる解釈で読み取ることが多いと知ることができました。

    そして、自分の考えかたが他人に伝わりづらいことも経験で分かりました。

    誤解されないようにするには、自分はこういう人間だということを周りに伝えるしかありません。そこがうまく伝われば、周りから見て問題行動を取っていたとしても、何かしらの意図があってそのために行動していると理解してもらえます。誠実さというか信頼を他人から得られないと正しいことをしていても間違っていると言われることが多くなってしまいます。

    療育のとき後輩に、自分の話ばかり聞いてもらうのではなくて、相手の話を聞かせてもらって、相手が話を聞ける状態になってから話さないと聞いてくれないよ、とよく言っていましたが、それに近い感じに思います。

    相手が話を聞いてくれる状態(信頼関係の成立)まで関係を作らないと、ものごとはうまく進まない。ということを、療育で利用者から学べたことで、飲み会など、人と話すことへの利点が理解でき、私の考えかたも変われたように思います。


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  • 【執筆者紹介】鈴木 領人(すずき りょうと)
    精神障害者手帳3級所持(ADHD)
    経歴:児童指導員、地方公務員、プロ家庭教師、学習塾講師、学習塾教室長
    ひと言:児童指導員として、3年程働いておりました。現在は札幌にある学習塾の教室長として働いております。定型発達者と発達障がい者との橋渡し的な役割が出来ればと思い、療育現場で身につけたことや当事者としての目線を大切に日々の指導をしています

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  1. まー まー

     コミュニケーションを通して、人と信頼関係を築く大切さを改めて学びました。
     人に信頼してもらうことで、自分を表現でき、仕事が円滑になり、困った時には助け合そえることから、人は1人では生きることはできず、人は人に支えられて生きているのだと感じました。