【お気楽と迷惑の間】⑤私が振り返る当事者と周りの人たち【大学時代中編】
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大内 雅登(おおうち まさと)
前回までのあらすじです。小学校から高校まで、それぞれ特性を抱えながら楽しくお気楽にすごしてきた大内くんですが、大学でひとり暮らしが始まった途端に生活は乱れ、学業に注力もせず、剣道部では人間関係に大いに困ってしまいます。さあ、大内くんの運命やいかに!
たぶん連載を読み続けてらっしゃる方も、そんなに心配していないと思うのですが、私は大学時代三つの存在に助けられ、さほどの痛手を受けることもなく卒業してしまいました。周辺の方々はとんでもない痛手を受けたと思うのですけれども。
高校剣道部で、竹刀を頭上へ掲げる上段の構えをとっていた私は、大学でもその構えを続けるつもりでした。幸いなことに、そこそこの腕前を持っていたので入部してすぐにほとんどの先輩と互角以上に渡り合えました。もちろん、剣道強豪大学に進学していなかったからこそ言える軽口です。大学剣道ってこんなに簡単なんだって油断をしていたとき、一太刀もかすらせてくれなかった先輩に出会いました。その先輩は二刀流の選手でした。
剣道競技における二刀流は、長い竹刀(中学生用の114cm)と短い竹刀(二刀流専用の62cm)を持って戦います。長い竹刀を右手に持とうが左手に持とうが個人の自由で、その先輩は右手に大刀を持つ正二刀という構えでした。いやぁ、打っても打っても当たらないんですね。小太刀と呼ばれる短い竹刀が邪魔で邪魔でしかたがありません。高校時代に上段同士の試合をしたこともありましたが、右片手の打突というのは初体験です。つまり、その先輩の攻撃にも防御にも対処できないまま一方的にやられてしまったのです。これは困った・・・・・・とはあんまりならなくて、私は「二刀流を自分がやれば攻略できるのでは」と思ってしまいました。翌日、武道具店で竹刀を買って、その日の部活では二刀流をとっていました。構えは左手に大刀を持つ逆二刀です。利き腕が左なので、左に大刀。利き手は右なので、右に小太刀。足は、どちらを前に出してもいいんだけれども、上段の実績から左足が前。30秒も悩んでない気がしますが、こうして二刀流を始めました。ここら辺はADHDの特権ですね。衝動性にまかせてパパッと決めちゃう。
いやぁ、勝てるもんです。部内で試合をすれば優勝しますし、正二刀の先輩にもひけをとりません。中四国の予選を勝ち抜いて全国大会に出ちゃうし、県外の大会にゲストで呼ばれてやっぱり優勝しちゃうし。高校時代私に上段を教えてくださった徳島県の先生と練習試合をしても勝てちゃう。二刀流を教えてほしいと何人もの人に声をかけられたり、泊まりに来たり。こうした腕っぷしによる他者の評価が自分を支えていたことは否定しません。しかし、私を支えたのはそういう部分だけではありませんでした。むしろ、そっちは小さいほうです。
二刀流は守りを固めてしまうと非常に負けにくい戦法なので、全員を二刀流にする大学が出てくるなど品位に欠ける存在として敬遠されていました。私が入学したときには、大学剣道で二刀流が解禁されて間もないころでしたから、今以上に偏見がきつかったのです。「2本持ってたらズルい」なんてことはしょっちゅう言われていました。じつは解禁されてから全日本学生剣道出場の選手は私で3人目です。私が出た年には、私しか予選を勝ち抜いた二刀流はいませんでした。先ほどは簡単に書きましたが、そんなに有利なわけではないんです。一刀では右側の小手が打突部位になりますが、二刀流は右も左も打たれたら負けです。今はルールが改正されましたが、一刀は喉を突かれると1本取られたことになるのに対して、二刀流は喉だけではなく胸を突かれても1本取られます。これ以上剣道の細かいルール説明は避けますが、一刀中心の剣道社会において、二刀流はマイノリティ中のマイノリティなんです。同じ剣道とは言っても、なかなか受け入れてはもらえません。わざと乱暴な稽古をされたり、そういう道を選ぶのは人として間違っていると言われたりする中で、大学の先生がこう声をかけてくださいました。「大内、今経験していることを言葉にしろ。二刀流の不遇さを言葉にしろ」
これはうれしかったですね。その先生は剣道部の顧問であり、監督です。なぜ二刀流が敬遠されるのかを一緒に考えてくださいました。支援と同じですが、人は苦しみを分かってもらえるとうれしいものです。なぜ発達障がいが生きにくいのかということを考えるのと同じことを剣道で経験できたのです。
2本持っているから嫌われるというだけではないぞ。そう考えました。「審判の先生方も含めて、自分が経験していないことは嫌うのではないか。」私がそう語ると先生は「それではお前がやっている理由がなりたたない。考え直せ」とダメ出し。そうですよね。私は経験をしていないのに二刀流をしている。経験の有無が理由ではないはずです。実はこのダメ出しが嬉しいものでした。もっと掘り下げろと言ってくれるのは能力への期待でもありますし、何よりももっと悩みの正体があるはずだと思考に付き合ってくれるわけですから。
稽古が終わると、その先生と飲みに行く。飲んだら先生の家に行って飲み直す。論文書くのを手伝ったり、雑誌の記事を一緒に書いたり。親子のように過ごさせてもらいました。「お前はものの考えかたが偏っている」なんて言って歴史資料館や人権セミナーなどにも連れて行かれました。地元の方や、全国の剣道有識者とも会わせてくれました。教育学部の教授のくせに、教員志望だった私に「男、先生、剣道家。バカが三つそろったなぁ。勘違いして生きるなよ」なんてことを繰り返して言う人でした。いつでも偉そうにしすぎることに警戒するよう、弱い立場の人を見落とすことのないよう働きかけてくださいました。
マイノリティを分析し客観視する材料となった剣道が第1の支え。第2の支えがそうした苦しみを見抜き、寄り添ってくださった先生の存在でした。
ちなみに二刀流が敬遠される理由はそれなりにふたりで答えを出して、先生は亡くなる前に書物に著してくれました。二刀流の不遇ではなく、剣道家全体を縛るものとして著されたことも私にとって大きな意味がありました。発達障がいを発達障がい者だけの問題にしないという視点と重なり、私の中に息づいています。
具体的に特性による大学生大内くんの生きにくさは、今回の話では改善されていません。しかし、直接的な支援以前の大切なものとして受け止めています。
次回は、第3の支えについて触れさせてください。
(個人ベーシック閲覧期間:2020年3月11日まで)
【執筆者紹介】大内 雅登(おおうち まさと)
香川県高松市の児童発達支援事業所で働く支援員です。自閉スペクトラム症の当事者でもあります。
時には支援員のスタンスで、時には当事者のスタンスで皆様にメッセージをお届けしてまいります。趣味は剣道。大きな声が目印です。
(「大内 雅登」執筆記事一覧)
いよいよ、核心のお話に近づいてきた感じがしています。
2次障がいに片足を突っ込んだ感じの前回から、今回、支えとなる大人の方の存在が出てきました。
それは、家族の中にいることもあるし、大内さんのように家族以外の大人ということもあると思います。
信頼でき、自分の支えとなる大人の存在は、とてもおおきなものですね。
それは、引っ張って先に連れていってくれる人ではなく、伴走しながらも見守って、違う道に逸れてしまいそうになったら”とんとん”と逸れていることを教えてくれる人、なんだと個人的には感じています。
次回も楽しみに待っています。
ありがとうございます。
幸運なことに、ある年齢から「先生」という立場の方と対立することがないんですね。
悪いところは悪いとおっしゃっていただけるんだけど、それだけで人格の否定まではされないんですね。
お前はものの考え方が……なんて言われても大内という個人が否定されたとは感じない。そういうあたたかい方でした。
小学時代からずっとそういう先生が側にいたのは人生において超ラッキーでした♪
お言葉を借りれば「とんとん」してくれる先生ですね。
今もアチコチで「とんとん」してもらってます!