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【アメリカの発達障がい事情】自閉症サマーキャンプ篇⑥
ヘコんだことはありますか?

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下川 政洋(しもかわ まさひろ)

前回は、療育現場で起こる、援助者どうしの軋轢(あつれき)について書かせていただきました。そして、筆者もそれに巻き込まれてしまうが、若干は距離をとってやり過ごしたと書きました。しかし、その理由は、何も私が人格的に優れているわけでなく、あるトラウマチックな経験によるものだとも書きました。今回は、そのプチ・トラウマ経験から書かせていただきます。ヘコんだ系のお話です。

  • 私がまだ大学院生だったころ、ある外部団体がやっている事例研究会でのお話です。主訴に、二次障がいが関わるケースでした(個人が特定できないように、多少情報を操作して書かせていただきます)。

    父子のケースで、子どもは20代前半の青年です。父親はかなり社会的地位の高い人でした。この父親は、子どもが生まれた時に発達障がいがあると分かると、自分の子どもとして認めないという態度をとったそうです。そして、ある理由で母親がいないため、学校の親子面談や予防接種などの身の回りの世話は、すべて祖父母が行ってきたそうです。つまり、同居をしていながら、子どもは自分の存在を父親から無視されて育ったきた、というのが報告者による説明でした。

    そして、そのためなのか、この青年には、自尊心に深刻な問題があるようでした。それも、この問題が身体化してしまい、パニック障がいとは言わないまでも、ストレスがたまると過呼吸状態になったり、体が震えてしまったりするそうです。動作が思うようにいかなくなり、何も手につかなくなる、これでは思ったような社会生活ができない。これがこの青年の主訴として紹介されていました。

    加えて、この青年には趣味があるそうです。それは、ドローンを集めることで、飛ばして遊ぶことが好きだそうです。そして、ドローンを飛ばすときは、「バランスが大事、バランスが大事」という言葉を呪文のように唱えるとのことでした。

    この青年に対してカウンセラーは、まず心身のバランスを整えることが重要と考え、自律訓練法による介入を行っていたそうです。自律訓練法とは、自己暗示によって、心身をリラックスさせ気持ちの安定を図る方法です。このときもこの青年は、「バランスが大事、バランスが大事」という言葉を呪文のように唱えると報告されていました。

    これを聞いた時点で、私には激しい怒りが湧いてしまいました。父親に対する怒りです。まるで青年が「バランスが大事、バランスが大事」と唱えることが、父から愛されることを祈っているように思えてしまったのです。心身のバランスが取れるようになれば、いつか父に認めてもらえる。そういう希望をこの青年は持っている。なんて理不尽で、いじらしいのだろう。そんな風に思ってしまいました。障がいを持って生まれて、その上親から見捨てられてしまっては、この青年はどうしたらいいのだ、と体の芯から怒りが湧いてきました。この青年ではありませんが、自分の手が震えたのを覚えています。

    しかし、まあ、基本的に、これだとカウンセラーとして失格になります。この文章をお読みの方の中には、あまりカウンセリングとかになじみのない方もいらっしゃるかもしれませんので一応申し上げますと、カウンセラーは自分が何かを感じたら、その感情をどうやってクライエントのために役立てるか、それを考えないといけないわけです。でないと、クライエントのためのカウンセリングがセラピストのためのカウンセリングになってしまうわけです。これは難しいといえば難しいのですが、基本的なことと言えば、もっとも基本的なことです。

    前回の文章で、ベテランのソーシャルワーカーをやっている友人が「他人の問題を自分の問題にするな。役に立つことをしろ」と言ったことを紹介しましたが、この辺りと関連があるように思います。

    ところで、私のヘコんだ話というのは、このこと自体ではありません。この続きの話になります。それは、この事例検討会の意見交換のときのことです。事例報告の後に、スーパーバイザーを中心として小グループに分かれ、意見交換をします。私のヘコんだ経験は、このスーパーバイザーとのやりとりの中で起こりました。

    この場面で、私も意見を求められました。私が言ったことは、まあ、要約していうと、「父親が障がい受容ができずそれによって息子の自尊心が損なわれた」、みたいなことを言ったわけです。そのときに「障がい受容」という言葉を使いました。そして、私の語気には、父親に対する敵意があったと思います。

    私の意見に対するスーパーバイザーの反応はとても短く、そして、とても冷ややかなものでした。「障がい受容なんてひと言で・・・」というお言葉でした。それだけです。

    そのときのスーパーバイザーの表情が、とても印象に残っています。私から目をそらし、距離があって、穏やかでいながら私を見捨てるような感じがしました。とても冷ややかで、心に刺さりました。ヘコみました。2年も前のことですが、今でも、そのスーパーバイザーの表情をとても鮮やかに思い出せます。

    で、これは後で聞き知ったのですが、このスーパーバイザーの方には、重度の障がいのお子さんがいらっしゃるとのことでした。これを知ったときに、「あっ」と思いました。迂闊(うかつ)だったと思いました。

    これを今思い起こしてみると、スーパーバイザーの態度を冷ややかに受け止めたのは、私の主観的な解釈なわけです。そして、どうして冷ややかと感じたのかというと、私が直感的に後ろめたさを感じたからだと思います。発達しょうがいのお子さんがいるご家族にとって、障がい受容は珍しいテーマではないでしょう。そして、本来臨床は、障がい受容に関する心の動きのプロセスを丁寧に扱うものです。しかし、私の要約の中にはその配慮がありませんでした。これは過ちですが、どちらかというと、臨床を目指す者がしてはいけない過ちの部類に入る、そういう後ろめたさを直感的に感じたからです。

    もちろん、このスーパーバイザーの方の家庭の事情と、この職を選ばれた理由がどう関連しているのか知りません。まったく関連がないのかもしれません。関連があったとしても、私へのアドヴァイスとは関連がないのかもしれません。いずれにしても、常識から言って、これらの関連を他人が気軽に言葉にするものではないですよね。他人が迂闊に立ち入れないない領域、そんなものを強く感じる経験をました。

    こんな経験があったからでしょうか、今では他人の援助活動に参加する人の動機については、ちょっと立ち止まるような癖がついてしまいました。

    ここでまた、話題をガラリと変えさせていただきます。唐突ですが、私の趣味の話をさせていただきます。私は、カルチャーセンターのようなところに通っていて、カントーネを歌っています。もう、このクラブに5年以上所属しています。そこにいらっしゃるメンバーの方は大体10人くらいで、そのほとんどが70代の熟練世代の方たちです。それで、いつもこのメンバーの方たちの態度に、感心することがあります。

    いつも、歌のお稽古の後に喫茶店に行って座談会のようなことが行われるのですが、そのときのみなさまの態度が素晴らしい。その魅力のようなものを申し上げますと、なかなか深い話をしないところです。みなさん、年齢も年齢ですから、それなりに人生の傷のようなものを持っていらっしゃる。詳しくは知りませんが、息子が離婚をして孫に会えない、天涯孤独になってしまった、完治が望めない病気を持っている、などらしいです。

    しかし、そういった話題に踏み込むような人はいません。それでいて、そういう重い話を、みんなが身をもって分かっている雰囲気があります。暗黙の了解があるように思います。誰かが話し始めれば、みな聞いてくれそうな空気を持っていますが、そういう甘えのようなものを持った方もいらっしゃらない。やはり、楽しいお話をなさる。私は、こういう態度を素敵だなあと思っています。人生を知っているなと感じます。あきらめがあって、他人に対する過度な要求をしない。それでいてあきらめきってはおらず、この交流を大切にしていらっしゃる。こういう態度に、熟年の方の品と美しさを感じます。こういうのは、カッコいいなあと思います。

    で、ここからまた、強引に自閉キャンプの話に戻りますと、援助動機の話題は、誰も傷つけずに話すのが難しい話題のように思います。疲れてくるとスタッフ間でお互いの援助動機を認められなくなってきます。しかも、それは、何らかの形で、アイデンティティのようなものと関わってしまっている場合も多いので、感情的な争いになることが珍しくありません。そういった場合、このカンツオーネクラブのメンバーの方たちのような態度が取れたら素敵だなと思います。私は、まだまだ青臭いので、なかなかそういうわけにはまいりませんが、そういう本当の大人に早くなりたいと思います。

    今回は、随分と自閉症キャンプから話題が逸れてしまいました。お許しください。私は、援助者の立つ位置に特別な関心を持ちますので、こういうことを考えるのが好きなんです。目をつむっていただければと思います。

    そこで、次回からは、グッと自閉症キャンプに話を戻したいと考えています。この自閉症キャンプ場そのものの概要について、説明させていただきます。詳しくは、次号をお楽しみにしてください。

  • 【執筆者紹介】下川 政洋(しもかわ まさひろ)

    (発達支援研究所 客員研究員)

    51才です。臨床心理学の勉強は、20年の社会人経験の後に始めました。肩書きとしては公認心理師で、国際医療福祉大学で主に家族療法を学びました(研修員)。偶然ですが、今年は家族の事情で、ノースカロライナ州のチャペルヒル市に滞在することが多いです。そして、ここで、自閉症スペクトラムの援助方法であるティーチ・プログラムに出会いました。こちらで感じるのは、発達障がいの人を援助する現場の「空気」が違うということです。「これってなんなんだろう?」と不思議に感じています。言語化がとても難しいです。この辺りの感覚を、攫んで帰りたいと思っています。家族療法もティーチ・プログラムも初学者でございますが、よろしくお願いします。

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  1. まー まー

     人がもっている傷はそれぞれ異なるため、他の人にとっては、ある傷に対して傷とは思えなくて、無意識に相手を傷つけてしまうことは、よくあると思います。しかし、それを反省し、もう一度人と関わっていこうという態度は素晴らしいと私は感じました。
     私も私なりの傷を持っていますが、それを告白した時に否定せず一生懸命聞いてくれて、言えなくてもそっとしてくれる関係は、とても安心します。それだけで自分という存在を認めてもらっているような感じがします。