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【お気楽と迷惑の間】⑧私が振り返る当事者と周りの人たち
【社会人時代後編】

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大内 雅登(おおうち まさと)

前回、社会人時代前編と銘打ったにも関わらず、大学時代の教育実習の話しか触れませんでした。まさに羊頭狗肉、看板に偽りありの内容でしたが、どうかお許しください。じつは、実習中のエピソードは社会人としての私の生きかたの縮図ともいえるものだったのです。このシリーズも今回で最終回です。どうか、最後までお付き合いくださいませ。

  • 私は、当時四国でいちばん大きな売り上げを上げている学習塾に就職しました。高校時代の先生の言葉に反発して、国語科に進んだものの、本当は数学とか理科も大好きです。理系の講師として就職をしました。

    配属されたのは、70人ほどの塾生を抱える教室です。教室の責任者と私の2名で、その教室を運営していくようになります。責任者は入社5年目となる女性職員で、部下を持つのが初めてとのことでした。

    入社は3月1日でした。1か月の先取り授業を売りにしている塾なので、4月入社では遅すぎます。私は卒業式も終えずに仕事をスタートしていくこととなりました。いろいろと責任者には注意をされました。話しかたがかたい、授業の終わりに「お疲れ様」と言う、新人なのに他教室の講師に質問をしないなど私からすれば瑣末なことをたくさん注意されました。

    その教室には中学生の個別クラスというのがふたつありました。そのうちのひとつは、ちょっと素行が悪そうな子たちが在籍していて、真面目に取り組む感じもあまりありませんでした。配属半月のある日、このクラスをどうしたらいいか責任者に聞いてみました。責任者は、前任のベテラン理系講師も手を焼いたクラスだから、新人の大内がどうこうしようとするな、と助言しました。数学の計算問題週だけを適当にさせておけ、と言うのです。

    前回のお話を覚えていらっしゃいますか?私は、私の仕事観から外れた者に噛みつきます。その助言を聞いてすぐに私は「それで成績が上がるんですか?」と質問しました。その言いかたが気に入らなかったのでしょう。「入って2週間の新人が偉そうに言いますね。人がせっかくアドバイスしとんのに。いいです。勝手にしたらいいです」と真っ赤になって言い放ちました。私は「はい、ありがとうございます」と明るく答えました。そこから3か月2人しかいない教室で、私と責任者はあいさつ以外の言葉を交わしませんでした。

    次の日、地区の責任者が話をしに来ました。その翌週には本部から常務が話を聞きに来ました。私は、毎月の塾生の月例テストの結果を常務に報告するようになりました。「役員づき」というペナルティだったのかもしれませんが、とくに怒られたという印象はありませんでした。

    毎月、テストの結果を報告しました。5月くらいからかならず地区のどの教室よりもテスト平均が高くなりました。素行の悪い塾生たちも休まず通ってきてくれて、定期テストで自己ベストをたたき出すようになりました。

    授業があるのは、放課後ですからそれまでは自作のチラシをポスティングに行きました。日に1000枚ほど撒く日もありました。1か所にじっとしていられない私には、こうした働きかたがいちばん楽でした。1年目の夏には300人ほどの社員の中で営業成績がいちばん良かったと表彰されました。

    秋には、責任者ではなく私に学習相談を持ちかける保護者様が増えてきました。塾生数は150名ほどになり、大きな成功体験を積む1年目を経験しました。

    ただ、小さな教室なので150名を引き受けるには、たとえば中3生の一斉授業の後ろに小中学生の他学年の子がバラバラと座っていて、学年も教科も異なる個別対応を求められました。あっちこっちに目が向く私にとっては退屈しない楽しい時間となりました。むしろ責任者のほうが負担感が大きかったようで、よく不機嫌な怒号を聞くようになっていきました。

    2年目には理科の教科責任者となり、別の教室へ異動となりました。そこの教室の責任者は国語の教科責任者でした。教務的に不満を感じることなく仕事を進めることができました。ただ、その責任者が頭を悩ませていることが三つあり、ひとつは塾生数が100を超えないこと、もうひとつが受講料の未納が1年ほどたまっている塾生がいることでした。最後の三つ目は駐車場を共有している自動車の整備工場が、改造車をたくさん並べて駐車場を占有してしまうことでした。

    私の働きかたは、日中は外でポスティング、夕方から授業です。文理ともに教科責任者がそろっているわけですから近隣他塾よりも強い教務効果を市場へ訴えることができました。いくつかある近くの中学校の1位は基本的に教え子ということとなりました。塾生数も増えました。受講料が未納のお宅は私が対応しました。職場にまで連絡を入れるので「消費者金融か」と不満を言われましたが平気な顔をして数か月で回収してしまいました。

    整備工場へは毎日通いました。授業前に私がお願いに上がり、車を動かしてもらいました。ガラの良くない方々でしたが、大義がこちらにあると思っている私は怖くありませんでした。

    1年目にいた教室は、別の新人が入り、異学年の同時進行などという授業スタイルは当たり前のように破綻し、新人の車は塾生によって故意に傷つけられ、信頼関係をなくした講師が行き過ぎた説教を塾生にしたことで地区の責任者が連日謝罪に回るという散々な状況になりました。

    こうした新しい場所での成果と、古い場所の没落が私の仕事ぶりを高めるものとして映り、3年目には教室の責任者となりました。異動先のその教室は、授業中に生徒がスライディングをして扉を蹴破ったというわけの分からない逸話が聞こえてくるようなところでした。新人を任され、その教室の建て直しを命ぜられました。

    そのころには、1年目に口利かないキャンペーンを張っていた元上司が相談を持ちかけるようになっていました。また、2年目の上司も同じように困ったことがあると連絡をくれるようになりました。新人は基本的に私のところへ来て、授業の練習をするようになりました。私の才覚というよりは、自閉的な言動が、自信に満ち溢れた姿に似ていたのではないかと考えています。他教室からの保護者様から相談も入るようになりました。

    考えてみたら不思議なことです。大学では剣道仲間からボイコットされるような人間だったのに、今度は人が集まってくるんです。でも、ご安心ください。ちゃんと寄ってくる人と同じだけ離れていく人もいました。私と話をすると疲れちゃう職員も出てきました。ちょっと質問したら山のように答えが返ってくるのですから、相手からしたらたまったものではありません。自閉的な姿勢が自信に見えたかもしれないと書きましたが、仕事に不安をもつ職員からすればそこを責められているような心持ちになってくるわけです。それをいちばん強く受けたのは部下役の新人でした。私の表現が分かりにくいこともあいまって、よく終業時のミーティングでは泣いていました。まあ、そのかいあってか2年目で私の後を継いで責任者となりました。私は1年目に配属となった教室に戻され、そこの建て直しを命ぜられるのでした。

    4年目、責任者として戻った古巣はひどいものでした。まったくもって成績が上がる雰囲気がないんです。塾生の多くは顔なじみでしたが、こんなに腑抜けた顔だったっけかと驚いたものです。私は自分が抜けた後に荒れに荒れた教室を立て直そうと毎日怒鳴り散らしました。ポスティングもやめました。とにかく不真面目な態度を注意し、勉強の大切さを説き続けました。成績は上がるのですが、塾生は増えませんでした。ただ数年前の私を知る塾生だけが信じて通ってきてくれました。

    やはりというか、なんというか私が前年度任されていた教室が荒れている話も耳にするようになります。自分ができていたことを成し得ないほかの職員を毛嫌いするようになりました。成績の上げかたのノウハウのない塾にも嫌気がさしてきました。そうした態度を見抜いた管理者の面々は、翌年、私を他県にある他塾に研修に行かせたり、大きな教室の特進コースを任せたり、地区責任者の補佐のような立ち居地を用意してくれたりしました。ただ、何をどうしても私は職場に魅力を感じることが難しくなり5年で退職することとなりました。

    ここまでのことを見かたを変えるとこういうことなんだと思っています。

    自閉的な職員が、自分のやりやすいように仕事をしたら、そうではない職員が後を引き継げずに挫折していった。それを大内の能力の高さだと過信した周辺者や私自身がいて、ある周辺者は不必要に自信をなくし私に依存し、私は過信により他者を軽んじるようになり職場にいられなくなった。

    自信満々に走っていた新卒からの5年間は、実のところ俯瞰して伴奏する支援者のいない暴走状態ではなかったかと考えています。

  • (個人ベーシック閲覧期間:2021年1月29日まで)

  • 【執筆者紹介】大内 雅登(おおうち まさと)
    香川県高松市の児童発達支援事業所で働く支援員です。自閉スペクトラム症の当事者でもあります。
    時には支援員のスタンスで、時には当事者のスタンスで皆様にメッセージをお届けしてまいります。趣味は剣道。大きな声が目印です。
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  1. じんべい じんべい

    次は「転職編」でしょうか「結婚編」でしょうか。
    完結せずに、ぜひ続きを書いて頂きたいです。

  2. 113 三重 四日市校 113 三重 四日市校

    刻々と変化する先生の周りの様子が、鮮明にイメージできました。
    前回の内容の中にもありましたが、大義名分がこちらにあったら何にも怖くないっていうところは「わぁお」と思って
    同時によくぞご無事で、とも思いました。
    あとは、自分にできていることが他の人ができないことが理解しにくいところは、普通に人と人との関係性の中でよくありますよね。
    自分の感覚が全てと思っていて、相手がどうしてできないのか理解できない、そこから色々な齟齬が起こりますね。
    先生が言葉にしてくださっている感覚って、すごく大事なことが書いてあるなと、いつも思っています。
    ほうほうなるほど、と感じさせられます。

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