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自分らしく生きていくとは?(高本聖吾)

  • 高本 聖吾(たかもと しょうご)

    【はじめに】
    自分らしく生きることって何でしょうか?「好きな食べ物が食べられる」、「好きな趣味があってそれを行うことが出来る」、「仲のいい友だちがいる」など、生きている中で感じることや考えることはそれぞれ違います。そこで私なりに「自分らしく生きる」を現場の視点で考えてみようと思います。
    まずは「自分らしく」ですが、自己表現に近いように感じます。たとえば何かうれしいことがあったとします。自分が誕生日の日に「うれしい」と思うのか、「ああ、年をとってしまった」と思うのかは人それぞれです。「うれしいから遊びに行こう」、「何か特別な日にしよう」など、さらに、どんな風に本人が思うかも「自分らしさ」ではないかと考えます。
    次に、「生きること」についてです。生きているというのは、息をしているだけでしょうか?仕事をしていることでしょうか?どちらも「生きている」には変わりないように思います。つまり行動することこそが、生きることに繋がっているように感じます。
    では私の考える「自分らしく生きること」とは何かというと「本人がどのように考えて行動するか」となりました。そこで私が行っている支援の中でのエピソードをいくつか述べたいと思います。

    【重度知的障がいのA児について】
    私は大学を卒業後、集団の放課後等デイサービスに勤めました。本当にさまざまな度合いの障がいを抱えた子どもたちがいましたが、その中でA児(重度知的障がい)について話したいと思います。当時、A児は中学二年生で集団スペースとは別の個室の部屋で過ごしていました。別室にいてもフラッシュバックで、嫌なことを思い出して叫んだり、泣いたり、部屋から出て他児の髪の毛を引っ張りに行ったりすることもあり、対応に悩むこともありました。
    中学三年生への進級が近い時期となり、学年が上がることへの不安や環境の変化により、調子が乱れることが多かったことから、薬の服用が始まりました。それからA児の様子は大きく変わってしまいました。学校終わりに来校して、お菓子を食べた後は、本児の好きな積み木で遊ぶことが多かったのですが、積み木で遊ぶこともなく机の上でうずくまり、「ヒィヒィ」と静かに声を出していました。玩具を見せても反応はなく、笑顔も減っていました。
    お母様をはじめ保護者のかたに家での様子も聞いてみたのですが、落ち着いて過ごすことが多くなり、暴れることが無くなって、「手がかからず楽になった」とのことでした。デイでも、薬の影響によって他児の髪の毛を引っ張る他傷行為は無くなり、送迎車の中で暴れることも無くなりました。
    暴れる行為は危険ですし、場合によって無くすべき行為と思いますが、A児から出ていた、「あああ」とうれしくて叫ぶことも無くなり、机の上でうずくまることだけが果たして正解なのかと思います。A児に起きた変化は、人によっては、「良くなった」と考えられるかもしれませんが、支援員としては、デイの中でのA児の変化は大きく、「自分らしさ」とはどういうことなのか私の中で疑問が残りました。

    【ADHD・LDのB児について】
    次は、今の教室に入ってから小学六年生のB児(ADHD・LD)と出会った話をしたいと思います。B児はほかの集団のデイにも通っており、そこでは「暴れん坊」と恐れられていました。B児と同じ小学校の子とのペアでデイから脱走したり、壁を殴って穴を開けたり、やりたい放題でした。そのため、ほかの保護者から「B児がいるからデイに行かない」「怖がって行けない」と言われているほどでした。
    そんな中、B児は私の勤めている教室に来ました。初めの印象として、どこが「暴れん坊なんだろう?」というのを感じました。敬語で好きなアニメやキャラクター、食べ物などいろんなことを笑顔で話してくれました。教室のルールを伝え、しても良いこと、してはいけないことを伝えると頷き、「壁を壊さないよ」と本児からも発言がありました。こどもサポート教室には2日に1回ペースほどでしたが、雨風の日でも自転車でびしょびしょになりながらも来校してくれました。
    そんな中、集団のデイで暴力事件を起こしてしまいました。年齢の低い子たちがうるさかったことで、イライラしたB児をある職員が制止させようとしたのですが、その職員を殴ってしまいました。結果として、そのデイから出入り禁止および児相(児童相談所)も動きそうになる一大事になりました。その翌日、教室に来ましたが、B児からそのような話はありませんでした。この時期は、朝までオンラインゲームをして睡眠時間が著しく少なく、イライラした様子もありました。B児は、口が悪いこともありましたが、教室では、職員や物に対して殴ることは1度もありませんでした。
    B児にとっては、ほかのデイでの「暴れん坊ぶり」も「自分らしく生きている表現」ともとれます。ではなぜ両極に分かれたかを考えると、周りの大人(支援員)が話をきいて「彼らしさ」を受け入れているかが重要なポイントかもしれません。もしかすると、ほかのデイでは、「悪さをする児童」という先入観で見られていたことが、B児にとってつらさになっていた可能性もあるかもしれません。私はB児の「らしさ」を知るために、彼の好きなアニメやゲームもプライベートで視聴しました。その結果、B児が家族や学校の友人、過去にしてきたことを、今でも多く話してくれています。

    【おわりに】
    「暴れる行為」や「他傷行為」はいいことではありません。しかしそれだけがその子のすべてではなく、玩具で遊べる、アニメが好き、変化に気付けるなど、子どものよさは多々あります。出しかた(生きかた)として、いいことはたくさん、悪いことはほどほどに表現できるのは、子どもたちにとって安心できる場所と思えます。そのためには、周りの大人が子どもを受容することで、「素直にさらけ出してもいいんだよ。」と真剣に伝えて向き合うことが、子どもたちが自分らしく生きるヒントになるのでは、と感じました。

  • 【執筆者紹介】高本 聖吾(たかもと しょうご)
    福祉の仕事を始めて、あっという間に4年経ってしまいました。「どのような思いで子どもたちは過ごしているのだろう?」「どうしたら子どもたちが楽しめるだろう?」日々模索しながらの支援。これからもたくさん悩んで、子どもたちを笑顔に出来るように頑張ります。


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コメント欄

  1. 【無効】アクセスジョブお茶の水校 アクセスジョブお茶の水校

    そうなのです
    自分らしく生きることができるように支援することが私たちの仕事なのです
    この一点からぶれることがないように努めるのが私たちの責務なのです
    そのための研鑽をはつけんラボで積みたいと思います

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