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【お気楽と迷惑の間】⑥私が振り返る当事者と周りの人たち【大学時代後編】

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大内 雅登(おおうち まさと)

大学で剣道部に入った私は、新人歓迎会で、ある先輩と出会います。私は高知大生。その人は高知女子大学の3回生でした。今は、高知県立大学と名前を変えていますが、戦後初めての4年制の看護学部を設立した伝統校で、その看護科に通う先輩です。剣道場がない女子大の学生が、時間のあるときに高知大学の剣道場を使って稽古をしており、その日も新入生を歓迎しようと来てくださっていたのです。

  • 二次会で隣の席になり、少しだけ話をしました。剣道部の不満を話した気もします。「こんな稽古でほかに勝てるのか」なんて主将に噛(か)みついた次の日でしたから。「看護婦って大変ですよねぇ」なんて知った風な口を利いてその日は終わりました。

    それから1か月ほどして、その人は多くのことを教えてくださる存在となります。たとえば、私が他の部員に対して「実力が足りないと分かっていれば、素直に稽古量を増やせばいいのに」というような話をしたとします。でも、部員がたくさん稽古するようにはならなかった、とします。すると先輩はマズローの欲求階層を例に出して、分かっていてもそのように行動できない人の心理について説明をしてくれました。「承認欲求が強い人にアドバイスをすると、剣道の話ではなく人格の話だと受け取っちゃうことがある」として、さらに私の物言いではそこに突き刺さることが多いなども話してくれました。なんとなく理解するなんてことが難しい私にとって、基礎理論を用いた説明は非常に有効でした。

    学問的な話だけではなく、ときには宗教の話をしてくれました。お墓参りに意味を感じなかった私が、手を合わせたいような心持ちになりました。ひとりっ子で親戚も少ない私には、先輩の兄弟の話やうじゃうじゃといる親戚との付き合いの話などは新鮮でした。弟さんが色覚異常を持っていた話に驚き、何らかの訓練で色弱にまで改善した話に感動しました。

    どんどん世界が広がる感じがしました。話を聞くのも楽しくて、またこちらが話したことにも求めていた水準の答えが返ってきます。深夜のNHKで相対性理論の特集をやっていて、ちょっと腑(ふ)に落ちないことを質問すると「学生が知りたいことなんか、図書館で調べたら答えがあるから。」なんていなされました。それもそうか。と納得します。考えるだけ無駄ということではなくて、学ぶ姿勢や順序を示してくれた気がしました。

    大学の図書館や県立図書館をそれまで以上に使うようになった私は、多くの文学作品を読みました。教えてくれた心理学が、小説の登場人物の分析にどう活かせるか考えるのが楽しくなりました。近松門左衛門の『鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)』なんて作品は心に消えることのない衝撃を与えました。無実の罪だが、武士らしく生きるために罪を着て死ぬ姿は、「義理と人情」の近松物の真骨頂ですが、武士という文化が事実をねじ曲げることに感銘を受けたのです。

    悪い奴がいるからやっつけに行こう。そんなドラゴンクエストワールドとは違う世界に魅せられていきます。

    生まれ変わりやら、出自やらのどこまでがその人の責任か分からない生い立ちと、そこからどう人と接してこられたのかという成育歴と、そのすべての背景にある文化土壌。単純に人を断ずることの難しさを学んでいった気がします。

    ひとり暮らしを始めて両親のコントロールがなくなり、生活が乱れていく。自治的な色合いの強い部活動では、顧問という重石(おもし)が効かず我(が)を通して人間関係が壊れていく。ともすれば生きにくさで窒息しそうな状況を、三つの支えが助けてくれました。

    ひとつは剣道。二刀流というマイノリティを言語的に分析し、剣道文化の中における批判を受けやすい構造を自分の生きかたに重ねることができました。

    ひとつは大学の先生。剣道部の監督である以上に、多くのことを学ばせてくれ、また人としての不足分を補おうと働きかけてくれました。

    ひとつは他大学の先輩。理屈が好きな私に理論で説明をしてくれ、理屈っぽい話で凝り固まっている私に人と人とのつながりを示してくれました。

    話を聞いてくれる人がいる。言ってみれば居場所が私にはありました。その居場所は、自分の意見を否定されないという狭い意味ではなく、かりに足りないところを示してくれたとしても人間的な否定にはならないものでした。

    このころ受けた人としての対応は、今も根強く私の中に生きています。支援の根幹というよりは、生きかたの根幹といった感じでしょうか。

    さて、先輩と出会って数か月のことです。ちょっと衝撃的なことを聞かされました。じつは、「入ったばかりの大内っていうヤツが、よく分からないことを言っているんだけども、1回会ってくれないか」と主将が先輩に頼んでいたのです。偶然隣に座ったのではなく、私の手綱を取るために歓迎会に来ていたというわけです。会って、話して、接しかたを考えて、気がつけば私は計画的な療育を受けさせられていたようです。

    こうして私にこっそり療育的対応をしていた先輩は、今は私の妻となって支援を続けてくれています。

  • (個人ベーシック閲覧期間:2020年4月24日まで)

  • 【執筆者紹介】大内 雅登(おおうち まさと)
    香川県高松市の児童発達支援事業所で働く支援員です。自閉スペクトラム症の当事者でもあります。
    時には支援員のスタンスで、時には当事者のスタンスで皆様にメッセージをお届けしてまいります。趣味は剣道。大きな声が目印です。
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コメント欄

  1. まー まー

     心理学の話を大学生同士でするのが素敵だなと思いました。私は現在大学生なのですが、そこまで深く話す友人はいません。それが羨ましいと同時に、私も学んだ心理学を自分なりに取り入れて、成長していきたいと思いました。今は大学がネット授業で友人には会えませんが、授業や資格勉強で得た内容をLINEなどで共有していきたいです。
     本を通して登場人物を心理学的に知るというのには共感しました。私は本を通して著者の心理的傾向や考えを知ることが好きです。私は瀬尾まいこさんが大好きです。同性愛者や不倫の女性などの登場人物を、偏見や立場から判断せず、その人の心の動きや葛藤を描いて、最終的にハッピーエンドにするところが、瀬尾さんの人の枠にとらわれない性格がにじみ出ているなあと思います。

  2. まー まー

     以前のコメントをつけ加えますと、瀬尾まいこさんの作品は、同性愛者である主人公の過去を周りの人たちが包み込んで新たな一歩を踏み出すきっかけになったり、不倫の女性である主人公は子どもを通して自分の気持ちに向き合うことで、不倫の相手とは別れて1人で新しい人生を歩むという形になっています。
     いずれにしても、何かをきっかけに自分を見つめ直して、自分が何のために生きているのか、幸せとは何かを考えさせられる、温かで奥深い物語になっています。

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