2023.12.24
この一年で作られた新しい足場について
今年も残るところわずかとなりました。
振り返ってみると、「当事者視点を踏まえた対話的支援」を模索する私たちにとって、研究上もことしは割合に重要な展開が重なった年でもあります。学会のシンポや各所での講演活動などは別として、論文や出版でも以下のような成果がありました。
まず出版からいうと、「自閉症を語りなおす:当事者・支援者・研究者の対話」(新曜社)があります。その中では自閉症の診断を受けている大内さんの体験談や支援、定型とのコミュニケーションにズレを生む自閉的な発想について大内さんが考えられていることを書いていただき、それをそれぞれ独自の観点で創造的な素晴らしい研究をされてきた5人の研究者の皆さんに読んでいただいて議論をしました。
そのポイントは、ごく短く言えばこんなことです。よく意味が分からないので「自閉の特性」としてくくられてしまう自閉当事者の振る舞いには、その人なりの思いがあります。みなさんとその思いを大事にしつつ大内さんの話を読みながら、相互理解のための対話的な試みについて一緒に考え直してみようというものです。
そういう試みを忘れてしまうと、結局定型発達者的な常識で勝手に外側から自閉当事者を決めつけてしまいがちになります。そしてその「支援」は「誤ったふるまいの矯正を強制する」ものになってしまう危険性を常に含んでしまいます。実際支援の現場に事例検討などでかかわっていると、周囲がそういう決めつけた理解とかかわりになってしまうことで、お互いの関係がますます悪くなり、つらい思いをして二次障がいになっている子どもたちにたくさん出会います。
この本の趣旨に賛同して参加してくださった5人の研究者の皆さんはこんな方たちです。
まず浜田寿美男さんですが、ピアジェの主要著作など心理学の古典的な本の翻訳でも有名な方です。自閉症についてその心理学的意味の理解がまだまだむつかしかった昔から、自他の「意図」理解の違い方を描き出してこられて自閉理解に大きな足跡を残されています。知的障がい児の目撃証言にからんで生み出され、25年かかって完全に無罪となった冤罪事件、甲山事件で園児証言を徹底して分析して特別弁護人として活躍されたことを契機にほぼ独力で日本の供述分析心理学を切り開き、法と心理学会を立ち上げて初代理事長としてその基礎を作られました。
次に言語発達理解では欠かすことのできない現象である三項関係の発見者でもあり、日本の質的心理学を切り開き、同学会の立ち上げメンバーとして活躍しつつ、人の語りの世界を研究してこられ、今はビジュアルナラティヴといって、絵画や映像による語りの共有についてその分析領域を拡大してこられているやまだようこさんがいらっしゃいます。語りの世界の文化性も重視され、お互いに異質な視点を持って語りを理解しあうことについても深い関心を持たれています。
また日本の精神障がい者支援の領域で生まれた「当事者研究」を、熊谷晋一朗さんと共に自閉症者の領域で新しい形で「発達障害当事者研究」として理論的にも実践的にも切り開いてこられ、今は逆に当事者の視点からも定型発達者を研究するソーシャル・マジョリティ研究を展開されている綾屋紗月さんも参加してくださいました。定型発達者の外部的な理解の仕方で自分たちを決めつけるような理解の仕方を乗り越えて、自分たち自身が納得できる自閉理解を作り、それを逆に定型発達者にも理解してもらおうと努力されています。
高田明さんはもとは発達心理学から出発されたのですが、狭い日本を飛び出してアフリカに行き、アフリカの狩猟採集民社会に入り込んでそこをフィールドとしつつ、文化の中での発達をそこでの子育てを分析することから考え続け、どうやって人が他者と意味を共有していくのか、ということを相互行為論というコミュニケーション理解の最先端の考え方の一つをもとに分析し、「相互行為の人類学」を切り開こうとされています。
そしてもうひとり、高木光太郎さんはヴィゴツキー研究でも重要な議論を出され、発達とは何か、教育とは何か、ということに刺激的な視点を提供されていますが、「異質なもの同士がどのようにコミュニケーションを成り立たせるのか」ということ、その中である個人の個人らしさはどんなふうに現れるのか、その個人らしさが他者とどのようなズレを含むのか、といった問題に強い関心を持ち、その視点からこれも冤罪事件として確定している足利事件の元被告人の方の法廷供述を分析して、その供述が事実を語っているとは思われない理由を明らかにされていて、そこで高木さんたちが開発したスキーマ・アプローチによる分析は有名な再審事件(大崎事件)その他でも少しずつ判決の根拠として採用されるようになり始めるなど、やはり法と心理学の領域でも大活躍されている方です。
私たちの議論に各領域で熱い思いを持って最先端の議論を切り開いてこられたこれだけの錚々たる方たちに参加していただけたのはとても大きなことでした。それだけ私たちが訴える自閉理解やコミュニケーション理解の新しい見方を切り開いていく必要性に共感してくださり、重要な問題がここにあると思われているわけです。大内さんの書かれたことは、そういう皆さんにとっても本気で向き合うべきものとして、強いインパクトを持ってみなさんに受け止められる内容でもありました。
論文では質的心理学研究に私と渡辺忠温主席研究員、そして大内雅登さんの共著で執筆した「説明・解釈から調整・共生へ――対話的相互理解実践にむけた自閉症をめぐる現象学・当事者視点の理論的検討」が出ました。
自閉症者と定型発達者の間のコミュニケーションで葛藤が起こりやすいのは、お互いの感じ方や考え方、コミュニケーションの組み立て方にズレがあるから、というのが私たちの理解です。従って「支援」は自閉症者の特性の矯正ではなく、そういうズレの調整でなければならないと考えるわけですが、そのためにはお互いに理解し合うための模索の仕組みを作らなければなりません。
でも理解と口では簡単に言えますが,そもそもそれがむつかしいから問題がこじれるわけです。そして自閉的なふるまいについては、理解(了解)することをあきらめて、その人がどういう思いでそうふるまっているかを考えることなく、「症状」として外側から記述する形の理解になってしまいます。
実際「あの人はこだわりが強いから言っても無駄だよね」など、しばしば聞くあきらめの言葉ではないでしょうか。そしてそのあきらめの結果、その人自身の思いは置いておいて、行動を矯正するための訓練が重視されることにもなっていきます。
もちろんそこでは自閉当事者にも「わかりやすい」形で訓練を作ることが重要視され、それが「専門家の仕事」とか「テクニック」と考えられているところもありますし、そのことを「特性に寄り添う」と表現されることもありますが、その場合でもやはり「本人は何を思ってそうしているのか」という部分は取り残されたままであることが多いのです。
事例検討をすればそのことがすぐにわかってきます。ですから私が「この子はどんな思いでそういうふるまいをするのか」という部分にこだわって事例を分析してお話をすると、現場のスタッフの皆さんも自分たちが見過ごしてきた点として納得され、支援を改めて見直されることがよくあります。
もちろんその時にも私がその子の思いをちゃんと正確にくみ取れているとは限りません。あくまでその理解は私の想像の域を出ないのですが、しかしそう考えるとコミュニケーションがお互いにうまくいく場合が結構あることも体験上の事実です。自閉的なお子さんを抱えて苦しむ保護者の方にもその視点から理解に基づく調整的なかかわりを模索する立場でお話をすると、いわゆる「訓練」的なかかわりや「診断」的な理解ではなかなか切り開けないような変化が生じるという経験も積み重なってきています。
そんなふうにこちらの理解で勝手に決めつけるのではなく、その子とのやりとり・対話の中で自分の理解を組み立てなおし、コミュニケーションを調整するという支援にとっては何が重要なのか、ということ、「相手を理解する」とはどういうことなのかということを、理論的な面から整理しなおしてみたのがこの論文です。
相手の主観的な世界(思い)を理解するうえで重要な理論的足場の一つとされてきた現象学の立場で自閉を理解しようとした村上靖彦さんの「自閉症の現象学」や、あくまで当事者の視点にこだわって、当事者同士の語り合いの中から自閉を理解しなおそうとする熊谷さん綾屋さんの「発達障害当事者研究」、そして「意図」や「自他理解」のあり方から自閉を読み解く視点を展開してこられた浜田さんの議論を踏まえ、さらに私がコミュニケーションの問題で高木光太郎さんたち、あるいは文化的な発達の問題で高橋登さんほかのみなさんと展開してきた共同研究でも基盤にしてきた,ディスコミュニケーション論の視角を据えて、「理解しきれない相手との対話的相互理解」とは何かを整理することで、これからの支援実践にひとつの新しい理論的な足場を提供しようとしたわけです。
理論にとどまらず,実際にその対話的相互理解への姿勢を実現するための、定型発達者に対する訓練の機会として渡辺さんや大内さんが開発してきた「逆SST」も、試行錯誤の積み重ねの中でだんだんと興味を持ってくださる方が広がってきて、発達障がい児関係にとどまらず、就労支援に関するイベントでも取り上げられ始めたりしています。逆SSTでは、これまでの自閉理解とはある意味で正反対の視点から改めて自閉を理解するきっかけが提供されることになるため、支援を考えるうえでも新しい可能性を感じ取ってもらえるからだろうと想像します。
そんなこんなで、理論的な研究や研究者間の対話の面でも、実践的な面でも今後の新しい展開にわりと安定した足場ができつつあるように感じられた今年一年でした。
来年は研究上ではさらに自閉的コミュニケーションと定型的コミュニケーションの違いを会話分析や相互行為論的な視点から分析する実証的な研究も展開していくことになりそうですし、現状の診断基準のように自閉症の特性を固定的に考えず、周りとのコミュニケーションの積み重ねの中で作られていくものとして、形成論的に考える議論も模索していく予定です。支援の実践上も新しい視点の有効性がいろんな形で具体的に確認されるような展開が起こりそうです。そんなこんなでこれからさらに面白いことがいろいろ起こりそうな気がしています。ぜひご注目ください。
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- 「笑顔が出てくること」がなぜ支援で大事なのか?
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