2024.10.24
冤罪と当事者視点とディスコミュニケーション
自閉と定型の間では,言葉の意味,表情の意味,ふるまいの意味など,お互いのそこに込められた意味が理解できなくて,自分の理解の仕方で受け止めてしまうこと,理解の仕方にズレがあることでコミュニケーションがうまくいかなくなる,ということが頻繁に起こります。
ただ,自閉の人は少数派で,定型は多数派ですし,定型同士はお互いに比較的わかりやすいので,定型の方が正しくて,自閉が「間違っている」となりやすいですし,さらに自閉の人同士でもそれぞれの意味の受け止め方が違ったりするので,定型との間では一層理解がむつかしくなって孤立することが多く,その結果誤解も積み重なってつらくなり,二次障がいになったりもしやすくなります。
こんなふうにズレを含んだコミュニケーションのあり方をディスコミュニケーションと私たちは呼んでいて,そのズレが大きくなると深刻な問題にも発展しますが,もちろんこういうことは自閉=定型間だけでなく,あらゆるコミュニケーションで問題になることです。
私自身はそういうディスコミュニケーションの問題を,自閉=定型間の葛藤のほか,文化間の葛藤についても長く研究を続けてきました(今やっている科研共同研究としては「日中韓の大学授業を結ぶ対話的異文化交流授業の開発―共在的実践の生成に向けて」)。
さらに現在は裁判での供述証拠の信用性評価を巡る裁判官・検察官・心理学者・供述者の間の葛藤の問題を,ディスコミュニケーションの問題として考えて解決を図ろうとする共同研究(供述の信用性評価に関する公共的基準の構築)も元裁判官,心理学者,法学者のみなさんと始めているところです。
この共同研究のメンバーにはこれまでさまざまな冤罪事件についての分析や,冤罪を明らかにするための研究・鑑定,冤罪を防ぐための研究を行ってきた方たちが多く集まっており,最近再審無罪が確定した袴田巌さんの袴田事件や,つい昨日再審決定が出た福井女子中学生殺害事件についても心理学鑑定を行っている心理学者のみなさんも参加されています。
私もこれまでいくつかの心理学的な鑑定などを弁護士さんに頼まれてやってきたのですが,しばらく前になりますが戦後最大の冤罪(が争われている)事件と言える,帝銀事件について,その20回目の再審請求に関し,東京高裁に意見書を出しました。
戦後すぐの混乱期に白昼,青酸系の毒物を使って銀行員とその家族12人の方を殺害し(そのほか4人はかろうじて生存),金銭を強奪したという大変な事件ですが,迷走する操作の後で,毒物に対する何の知識もない当時有名だった画家の平沢さんが犯人として捕まえられ,繰り返し抗議の自殺を繰り返しながら否認を貫いていたところ,最後に力尽きて自白に追い込まれたケースです。裁判では無実を主張し続けましたが,結局死刑が確定しました。
取調べ時の調書などを分析すれば,現在の目で見れば虚偽自白で,無理やり犯行を語らせられたことは間違いないと多くの人が確信しているのですが,事件から76年を経て,死刑確定からでもいまだに再審が認められていません。
なんでそんなおかしな決定が行われ,それが修正できないで今まで来ているのかについて,供述の解釈が当事者視点を無視していることや,ディスコミュニケーション論の視点から説明して書いたのが私の意見書なのですが,それについて明治大学登戸平和教育研究所資料館から講演を依頼されてお話をさせていただきました。その動画が明治大のアーカイブとして紹介されたというご連絡をいただきましたので,こちらにもご紹介します。
平沢さんは狂犬病の予防注射のせいでり患したコルサコフ症候群で虚言癖がひどくなったり,取調官の強引な取り調べによるディスコミュニケーションの顕在化が生じ,虚偽自白に追い込まれて行ったと考えられるのですが,当事者視点を無視した取調官や当時の裁判官の勝手な解釈によって,虚構の犯罪が生み出されてしまいます。(浜田寿美男さんの「もう一つの帝銀事件」もご覧ください)
https://www.meiji.ac.jp/noborito/info/mkmht000001v9cia.html
講演会「帝銀事件第二十次再審請求の現状について」一部動画配信開始のお知らせ | 明治大学 明治大学のオフィシャルサイトです。大学案内、受験生向けの入学案内、在学生向けコンテンツ、また一般の方向けの公開講座情報など、明治大学に関する情報をご覧頂けます。 www.meiji.ac.jp |
同じようなディスコミュニケーションの問題は,必ずしも冤罪ではなくても,その行為の意味を巡って自閉系の人が起こした事件でも起こりやすいと考えられ,最近ある事件について,その「犯人」の行動の意味の分析を弁護団から依頼されているところでもあります。別の事件でもおそらく自閉的なコミュニケーションが原因になった冤罪ではないかと思える事件について,話を聞いたこともあり,決してまれなことではないのではないかと思っています。
- 冤罪と当事者視点とディスコミュニケーション
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