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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

    ブログ総目次(リンク)はこちらからご覧いただけます。

2025.01.15

「マイルール」と「自己物語」①ルールを身に着けるということ

自閉的な子に多いように思いますが,ゲームなどを覚えて遊び始めたとき,「負ける」ということがどうしても許せなくなってしまう子がいます。

そしてどうしてもそれが嫌で,途中で投げ出してしまったり,もう少し「賢く」なると,自分が勝てるようなルールに勝手に変えてしまったりもします。

なぜそうなるのでしょう?そのことについてちょっと考え始めたことがあるので,あくまでも「こういうことかもしれない」という話ですが,書いてみます。

今回はその第一回で,そのことを考えるための基本的な部分について少し説明をしてみます。

 

ルールというのは人が他の人と一緒に何かをやるときに必要になる約束事です。ルールを守らないとゲームも成り立ちません。

これは遊びだけではなく,世の中そういう形で作られています。きまり,法律などから,もう少し柔らかいものでは「常識」といわれるものもそうですね。「常識」を無視すれば関係がうまく作れなくなります。

さらに言うと,言葉にもルールがあって,たとえば「ねこ」という単語は何を意味するのかについては決まりがあって,「ねこ」という単語で「ごはん」をイメージしたらコミュニケーションは成り立ちません。

また言葉の並びにもルールがあって,「ねこがごはんをたべる」と言えば意味は通じやすいですが「ごはんがねこをたべる」というと大変ですし,「がたべるをごはんねこ」だと言われた方もわけが分からなくなります。

こんなふうに人が人とやりとりして一緒に暮らし,何かを一緒に実現しようとすると,かならずそこには「こういうときにはこうしないといけないよね」というルールが作られていくんですね。人と人との関係はこの「ルール」によって調整され,トラブルが起こったときにはそういう「ルール」に添って解決が図られます。

この人間関係の基本的な仕組みを私たちは「拡張された媒介構造(EMS)」という,ちょっといかつい言葉で説明し,子どもの社会性発達の分析や,ディスコミュニケーションの分析,異文化理解の実践などいろんな領域で使います。その中の「ルール」とか「常識」に当たる部分を「規範的媒介項(NM)」という言葉で表しています。(※)

Yamamoto, T & Takahashi, N. (2007) . Money as a cultural tool mediating personal relationships: Child development of exchange and possession. in Valsiner, J. & Rosa, A.(ed.)The Cambridge Handbook of Sociocultural Psychology,pp.508-523. Cambridge: Cambridge University Press.

山本登志哉(2015) 文化とは何か,どこにあるのか:対立と共生をめぐる心理学 新曜社

たとえば子どもは1歳くらいになると,おもちゃの取り合いなどで盛んに喧嘩を始めます。この時はルールも何もあったものではありません。自分が欲しいから取るのです。そうするとそこに大人が介入し,喧嘩をなんとか収め,「じゅんばん」ということを教えようとしたりしていきます。つまりそこでは大人が「常識」の役割を果たして子どもたちの関係を成り立たせるのですね。

やがて2歳から3歳にかけて,簡単なことなら子ども自身が大人に教わったルールを使って関係を調整するようになります。つまりEMSの形を自分たちで作って一緒に遊べるようになるんですね。そうやってルールによってふるまえるようになり始めるので,お当番など,集団的な約束事もこなせるようになり,園の先生も手がかからなくなるので,このころ子ども集団や集団生活が重要になる「幼稚園」も始まるわけです。(※)

※ 山本登志哉2000「群れはじめる子どもたち:自律的集団と三極構造」ミネルヴァ書房「年齢の心理学」所収

この話でもわかるように,子どもたちがルールを学ぶのは,自分自身で発明するというより,大人のやっていること(仲介の仕方など)をまねして身に着けていくことが中心です。そしてそのまねというのは,自分で理解できた形でまねをしますから,たとえば他の子の物を奪ってしまう子に大人が「お友達のものがほしいときは貸してって言うんだよ」と教えると,2歳ぐらいの子ではそれを「理解」して「貸して!」と叫びながら力づくで奪おうとしたりすることもあります。大人の言うことの意味がよくわからなくて,形だけまねたわけです。

よくプリントで「SST」をやっても,紙の上ではこたえられるのに,実際の場面では応用できない,という話を聞きますが,当たり前でしょう。そんなふうに形だけ「正解」を教えられて覚えても,実際にどういう場面でどんなふうに応用できるかは,その意味が分からないと使えないからです。数学の公式を丸暗記しても文章題で応用できないのと同じです。

さて,この視点から,「障がい」をEMSで表現すると,とりあえずこんな形で理解されるのが普通だと思います。ようするに「普通」が理解できないから,やりとりがうまくできないんだという理解の仕方です。それこそ「普通」にみられる理解ではないでしょうか。医学的な発達障がいの定義も,基本的にそのような視点から「定型」から外れた人,という形で行われ,その外れ方の大きさで診断が決まるようになっています。そうすると「支援」の目的は「普通」を「理解させること」になります。だから「ルール」を教え込もうとするような形にもなりやすくなるのですが,実際はそこがなかなかうまくいかなくてみなさん苦労するのですね。

ただ,現在その見方は大きく変わりつつあります。そこで「障がい」の見方について,もう一つの可能性を探る必要が出てきます。「当事者視点を踏まえた支援」はそういう発想で成り立つのですが,次回はそのことをEMSを使って説明するところから始めましょう。

 

 

 

 

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