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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

    ブログ総目次(リンク)はこちらからご覧いただけます。

2025.01.18

「マイルール」と「自己物語」④対話モデルでお互いの物語をつなぐ

前回まで,「マイルール」の問題を考えるときに,「常識」とか「規範」などのコミュニケーションを成り立たせる要素,固く言うと「規範的媒介項」というポイントを考えることが大事になるということ,そして特に自閉=定型間に生じる葛藤は,その規範的媒介項にズレがあるんだ,という視点から考えていくことで,「障がい」について単に「本人の問題」でも「環境の問題」でもない,お互いの「関係」の問題という視点から考えられるようになる,ということを説明してきたつもりです。 

障がい理解や対処についての医学モデルから社会モデルへの世界的な転換はこの方向で生じていることです。簡単に言えば「この子(人)」をどうしよう,という発想はもう昔のものになり始めているわけです。

このような転換は「多様性」を重視し,「違いを持つ者同士がどうやって共生できるのか」が改めて世界で重要な課題になっているときに,ものすごく重要な意味を持ってきます。そんな風に「関係」の問題として「障がい」をとらえ,お互いの違いからコミュニケーションにズレが生み出され,その葛藤がさまざまな困難を生むと理解することが大事だということになると,「支援」の中にはその葛藤を「調整」する働きがますます大事になっていくと考えられることになります。

「調整」は一方をどうにかする,という話ではなくて,「困っているのはお互い様」の視点から考えていかないとうまくいきません。だから自分とは違う相手を,しかも外側からの決めつけではなくて,その人の思いから理解しようとする姿勢が欠かせないことになり,そしてそのためにはどうしても「対話」が必要になって行くのだと考えられるわけです。これが研究所が今模索している「社会モデル」の次の「対話モデル」の考え方になります(※)。

※「対話」という言葉は「喧嘩せずにお話し合いをしましょう」みたいなわりと軽い感じで理解され,「話せばわかる」程度の感覚がベースになっていることが多いような気がしますが,ここでの「対話」はむしろ「いくら話しても,わかろうとしてもわかりきらない」ことを前提に,それでもなんとかつながろうとする努力の中で生まれてくるものといったイメージでとらえます。もちろんだからそれは「ことば」のやりとりのレベルだけではなく,物のやりとりや,体の表現,リズムの共有など,人と人とのあらゆる種類のコミュニケーションを含むものです。だからたとえばことばが話せず,一人で遊んでいるだけのように見える子どもとの間にも,十分に対話は成り立つのです。

さて,今回は「規範的媒介項」みたいな固い言葉ではなく,もうちょっと柔らかく,そして問題を「人が生きること」という広がりの中でとらえなおしてみたいと思います。その時のキーワードが「物語」で,心理学の中では自然科学にモデルを求めたような,よく「客観的」で「実証的」と言われたりする心理学に対して,もっと人の生きている現場から人間を理解することを目指して展開してきた「質的心理学」の中でもとても重要な概念になっています。そこで大事になるのはその人が生きている「意味」の世界です。

 

こんな言い方を聞いたことはありますでしょうか。「誰でも人は自分の物語の主人公」

人は自分では選べない自分の体を持って生まれ,与えられた環境の中で人生を始めます。生きているといやなこともうれしいこともありますし,できればいやなことはさけてうれしいことをふやしたいといろいろ努力もしますが,なんでも実現できるわけではありません。失敗して落ち込むこともありますし,成功して舞い上がることもある。そうやって喜びや悲しみや怒りと共に生きています。

では,そんな感じで喜んだり悲しんだり怒ったりし続けているのは誰でしょう?もちろん「私自身」です。人の思いに共感して自分も同じような思いになることはありますが,でも「同じような思い」になるのもやはり「私自身」です。「私」はこの「私の体」から逃れられませんから,そのことは「私が生きる」ということの絶対的な条件だとも言えます。死ぬまで「私」はこの「私の体」とつきあって,「私の思い」の中で生きていくしかありません。

でも,そんな私は決して独りぼっちではありません。「私の思い」の中には,かならず「他のだれか」が現れます。自分にとってうれしい人も,いやな人もいるでしょう。近づきたい人も避けたい人もいます。場合によって助けたいと思ったり,逆にやっつけたい人もあるかもしれません。でも,自分がいくら避けようとしても,知らんぷりしても,相手がそうしてくれるとは限りません。自分がいくら求めても,相手が答えてくれるとも限りません。そんな「私の世界」の中で,「私の思い」はまた揺れ動き,私の喜びや悲しみ,怒りを生んでいきます。

「私の思い」が「他のだれか」に共有されたと感じれば,うれしかったり,場合によっては救われる気持ちにもなるでしょう。人が幸せを感じるのはそんなときだったりします。逆に共有されなければかなしくなったり,共有してほしいという思いが強ければ怒りになるかもしれません。人が不幸を感じるのもそんなときでしょう。

人はできれば幸福になりたいと思い,不幸は避けたいと思うのが普通です。そのために日々いろいろと工夫しながら生きています。そんなふうに思うのも,工夫するのも,他の誰でもない「この私」です。どうやったら自分は幸福になれるだろう,どうやったら不幸を避けられるだろう,そのためには人とどんなふうにつきあったらいいだろう,と,いろいろ考えます。

そのいろいろな努力の中で,だんだんと「自分ってこんな人間なんだな」とか「あの人はこういう人なんだ」「世の中ってこういうものなんだな」といった理解が生まれてきます。すこし大げさに言えば,そんな理解の積み重ねは,「人生の地図」を生み出していきます。「この道を行けばこんないいことがあるはずだ」「この道はその先に大変なことが起こる」「この道はいいことがあるけど,険しいので無理かも」「この道は楽ちんだけど,あまりいいことはなさそう」などなど。そんな「地図」を片手に人は生きていきます。

もちろんその地図は日々に書き換えられていきます。「この道はいい道だと思っていたんだけど,どうも違うみたいだ」みたいな新しい理解が経験を通して生まれたりするからです。「自分はこんな険しい道は無理だ」と思っていたのに,ちょっとやってみたら「意外と私でも行ける道かも」と思えるようになるかもしれません。

そんな「地図」を片手に,私たちは人生の旅を続けます。少しでも幸せを増やし,不幸を減らすことを考えながら。もちろん場合によってはとにかくなんとか一日を生き延びるためという状態になることもあります。それも含めて旅をする。そしてその旅の主人公はやはり「この私」でしかないわけです。

同じ場所で生きていても,他の人が自分と全く同じ「地図」を持っているということはありません。みんなそれぞれに自分が持って生まれた体やそれまでの経験を通してそれを作っていくからで,体や経験が違えば完全に同じ「地図」はできるはずがないからです。だから「旅」の考え方にも違いが生まれます。そんな「違うもの同士」がお互いに相手には直接見えない自分の地図を何とか擦り合わせながら,一緒に旅をしようとする。いい人と旅ができれば幸せになるし,あわない人とはそれがむつかしくなる。「旅の仲間」との関係が「私」にとってはとても大きな問題になります。だからその関係についてはとても悩むことも大きくなります。

人が生きていくときには,そんないろんな思いが作られて行きます。そうやって人はその人なりの人生の物語を紡いでいきます。そしてその中心にいるのはいつでも「私」でしかありません。だから「誰でも人は自分の物語の主人公」なのです。

 

さて,そんな風に考えてみると,人の幸せはその人の生み出す「物語」の中に感じ取られるものだという見方ができないでしょうか。そして,「支援」とは,いろんな条件の中で幸せに生きることに何かとても大きな難しさを抱えている人をなんとか支えようとする働きなのだとすれば,そこでまず大事にしなければならないのは他の誰でもない,「その人の物語」だということにならないでしょうか。「普通」「常識」「規範」といったものも,「その人の物語」の中に成立してくるものだと考えれば,それら規範的媒介項のズレの問題は,言い換えると「相手の物語」と「私の物語」がズレてつながれない状態と理解することができるはずです。

そういう視点から「その人が少しでも幸せになること」を大事にする「支援」の課題は,お互いの異なる「物語」に生きているもの同士,その物語をどうやって調整し,つないでいけるかなのだということになります。

ということで,予定よりだいぶ長くなってしまっていますが,ようやくここで「マイルール」と「自己物語」について考える準備がだいたい整ったことになります。これをお読みになったある方から「次回に続くという紙芝居スタイル」と言われましたが,では次回また紙芝居の続きをご覧ください(笑)

 

 

 

 

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