はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

2021.01.26

この困難は誰のせい?

 発達障がいにはいろんな困難が伴います。発達障がい児の支援の事業所には、そういう困難を抱えて辛い思いをされている方がやってきます。ただ、制度上の性質もあり、子ども自身が事業所に援助を求めてくるケースは今のところ私は聞いたことがありませんし、あったとしても極めて例外的なケースでしょう。ほとんどは保護者の方が「なんとかなってほしい」という切実な思いを抱えて子どもを連れてこられるわけです。

 ではなんでそんな困難が生まれるのでしょうか?

 あることが起こったとき、その原因をどこに求めるか(帰属させるか)ということを、心理学では「原因帰属」と言います。簡単な物理的な現象であれば、月が地球の周りをまわっているのは、リンゴが重力のせいで地面に落ちるように「月が前に進みながら落ち続けているからだ」というふうにその原因を「重力」といったものに求めることで落ち着き、大体の人がそれで納得します(※)。

 でも人間の心理が絡む現象はそう簡単にいきません。AさんとBさんが喧嘩した時、周りの人が「誰が悪いんだ?」と聞けば、大体そのどちらの人も「あいつが悪いんだ」と答えるでしょう。少し大人の人は「私もわるいんだけど」という言葉を添えながらも、究極的には「あいつが悪い」と思っているのが普通です。お互いそう思っているから喧嘩になる訳ですね。

 そういうときにはできごとの原因は簡単には決まりません。それぞれの人がその出来事をどういう視点から理解し、どういう方向で解決しようとしているかによって、「人によって原因の理解が違う」ことが起こるわけです。当事者たちは冷静に判断できないからそんな変なことが起こるのかというと、関係ない第三者であるCさんとDさんがみても、Cさんが考える原因とDさんが考える原因が同じとは限りません。

 でも人が生きるうえで、なにか問題が起こったときに「原因」をどう理解するかは、「どうとでもいえる」という話にはなかなかなりません。やっぱりAさんが悪いのか、Bさんば悪いのか、原因をはっきりさせようとします。裁判等でもそれによって「責任」のありかを決めて(あるいは責任の割合を決めて)、問題を解決しようとするわけです。人間の社会では物理学のように「客観的」には原因を決められなくても、問題が起こったときにだれかに「責任を取ってもらう」ことでそれを解決しようとするわけで、そういうふうに必ずしも客観的に確かめられるわけではない心理的な原因の求め方を「原因帰属」と言うわけです。

 ということで、発達障がいに関して生じる困難についても、「責任者探し」が始まります。保護者、特にお母さんはそこで責任者にされやすい立場にあります。「あんたの育て方が悪いからだ」と周りから責められることは珍しくありません。そういう決めつけは「素人」の偏見、というふうに簡単に片づけられるものではなく、たとえば自閉症の原因は母親の育て方の問題、という理解は以前は研究者からも言われ、療育の現場でも普通に見られましたし、今でもあります。原因が母親(の育て方)に帰属されているわけです。またお母さん自身も、頭では自分の責任ではないと思っていても、「自分が何か悪くてこうなってしまったのではないか」と悩み続けることもよくあることです。

 でもその子を育てている親の立場からすれば、そんなに自分がひどい育て方をしたとは思えなければ、やっぱり子どもに原因があると考えざるを得ません。そして発達障がいについての理解も、「親の子育てが原因なのではない」というふうに理解が変化していきました。ということは「子どもに原因がある」というわけです。そしてそれが「子どもの障がい」に帰属されることになっています。

 じゃあその「障がい」の原因は何かが問題になります。それで主流派の医学では「身体のつくり」に障がいの原因を求めることになるので、今はそれが「脳の機能」という話になっています。法律的にもそう書いてあります。

 つまり、親の育て方が悪いのではなく、子どもの側に原因があるのだけれど、それは子どもの性格が悪いからだ、とかいう話でもなくて、子ども自身には責任がない、「脳の働き方」に原因があるんだ、と言う形で原因帰属が進むわけです。

 そういうふうに脳に原因帰属をするようになると、「じゃあ解決法は脳の機能の改善だ」ということになるので、そのひとつの方法として「薬物療法で脳の働きを調整する」という手法が追及されることになって、広く行われています。

 実際人間のふるまいに脳が重要な働きをしていることは明らかで、脳の働き方が変わればふるまいにも変化が起こりますから、たとえば集中力の調整とか、気分の落ち込みや興奮の改善、睡眠パターンの調整などには薬物(脳の働きに関係する化学物質)が一定の効果があるわけです。それが上手に使われれば、バランスの崩れたふるまいが軽減されたりして、本人も周囲も対応しやすくなるので、実際に困難が軽減することも起こります。

 ところが実際にこの問題にかかわる人はほとんどが実感しているように、それで問題が本当に解決するわけでもありません。比喩的に言えば風邪薬を飲んでも風邪がなくなるわけではなく、風邪に体が対抗しやすい状態を作ってくれるだけ、と言うことに似ています。身体を風邪によって崩れたバランスから回復させるのは、最終的には身体が持つ回復力によってということになります。そのことを無視したでたらめな投薬はかえって体を悪くします。向精神薬の乱用で子どもの状態が悪くなっていると推定される例も事例検討などで時々聞くところです。

 ということで、「親の責任」でもないし、「子ども自身の責任」でもなく、「脳の機能の責任」ということになっているけれど、だからといって「脳を変えればいい」と単純な言う話でもない、ということになり、あらためて「じゃあなんなのよ?」ということになります。

 さて、ここで「原因」ということについて、今までの話しとは違う理解の仕方を取り上げてみましょう。(ちょっと長くなるので、回を改めます

 

※ もちろんこれはニュートンを代表とする一昔前の物理学的な説明で、相対性理論からの現代的な説明になると空間の曲がりといったことから説明されるのでしょう。空間自体が曲がっているって直観的には理解しにくいと思いますが、太陽の真裏にあるはずの星が見えることがあるのも、大きな質量をもつ太陽によって空間が曲げられているからと説明されます。光が曲がっているのではなくて、光は曲がった空間を直進しているのだと説明されるわけです。直進なのか、曲がっているのか、ということは私たちが平らな平面を真っすぐ進んでいても、地球の外から眺めれば地球の球面に沿って曲がって歩いているように、2次元的に見たときと3次元的に見たときで見え方が変わるのと似ています。空間を3次元的に見れば真っすぐに見えていても、4次元的に見れば曲がっているということになります(多分)。また物理学的な理解とは違って、北欧の神話では太陽が地球の周りをまわっている(天動説)のは「太陽は常にスコルという狼に追いかけられている」からと考えたりもしていておもしろいです。

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