2022.08.20
支援者と当事者の語り合いの場:「障がい者支援論」講義完結
みんなの大学校で前期に担当していた「障がい者支援論」の講義15回が17日に無事終了しました。
この講義では,まず「障がい」というものがどういう目で見られてきたのか,ということの変化について,自閉症を例に説明をしていきました(※)。
※ ある程度本格的な理論的説明は,以下の論文で行っています。学術誌「質的心理学研究」に掲載予定の論文ですが,この学術誌は市販もされますので,ご興味のある方はご覧ください。
山本登志哉・渡辺忠温・大内雅登 2023(公刊予定)「説明・解釈から調整・共生へ――対話的相互理解実践にむけた自閉症をめぐる現象学・当事者視点の理論的検討」 日本質的心理学会「質的心理学研究」22号所収 新曜社刊
ひとつめは「外から見た障がい」で,「外から」というのは当事者の感じていること,考えていることを「内から」としたときの「外から」,つまり定型発達者の視点から見た障がいという意味です。よく「客観的な見方」といわれるものもこれにあたります。その場合,「定型発達者」が基準となり,そこから外れる部分が「障がい」とみなされ,どの部分がどの程度外れるかによって障がいの有無や種類が決まります。
二つ目はそういう「外から見た障がい」ではなく,当事者の内側に迫ろうとする「内から見た障がい」です。自閉症者の振る舞いが定型発達者と違いを持つことは良く知られていますが,さらに言えば主観的な感じ方や考え方にも違いがあります。同じ言葉を違っても意味が共有されにくかったりもします。そんなふうに「自分に見えている主観的な世界の特徴」について考えようとするのが「内から見た障がい」です。
哲学で現象学というのがありますが,これは私たちの体験を,客観的に(自然科学的に,など)分析するのではなくて,体験そのものの性質や仕組みを体験から離れずに,その意味で「内」から見ていくことで,主観の世界を明らかにしていこうとするものです。そういう発想をもとに,自閉症者の「体験の世界の特徴」を明らかにしようとした野心的な研究が村上靖彦さんの「自閉症の現象学」(2008)でした。
ただ,その時に問題になることは,村上さん自身は自閉症ではなく,そこで分析される自閉症者の「主観」の世界は,どうしても「定型発達者の主観」から見たものということにならざるを得ない,という点でした。「主観」という意味では内側なんだけど,でも自閉症者から見れば,そこで語られる主観の世界は自分たちの外側にある「定型発達者の主観」であって,そこから説明をされても自分たちの内側を上手くあらわしてくれないというわけです。
これはやはり定型的な感覚が強い私が,頑張って自閉的な方の考え方やその背後にある感じ方などを理解しようとしても,ほんとに難しくて,誤解や曲解の連続になってしまうという経験からは実感としてよくわかる話です。
綾屋紗月さんや熊谷晋一郎さんたちが中心にやっている「発達障がいの当事者研究」は,そういう問題を乗り越える視点を持っていて,それを「内から語り合う」障がい者理解と考えました。というのは,基本的に当事者研究では当事者が自分たちを語り合い,自分たちの感覚に合う形で自分たちを理解する言葉を作って行こうとするからです。そういう作業によって,定型による理解ではどうもうまく説明された気持ちになりきれない当事者の思いを,自分たちの言葉で表現する可能性が出てきます。
そういう試みによって,言ってみれば定型発達者が自分たちの感覚で話す「定型語」とは少し違う,自閉系の人が自分たちの感覚で話す「自閉語」が発見されてくることになるわけですが,そうすると今度はその二つの言葉の間で「通訳」が必要になってきます。やはり哲学者で中動態論で有名になった國分功一郎さんがこんな面白いことを書いています。
「こうやって話していると何となく分かってくるんだけど,しゃべる言葉が違うのよね。……いろいろがんばって説明しても,ことごとく,そういう意味じゃないって意味で理解されてしまう。」
「ああ,たしかにいまは日本語で話をしているわけだけれど,実はまったく別の意味体系が衝突している」(國分,2017,中動態の世界――意志と責任の考古学. 医学書院. p.5)
それらのことを前提として,次のステップとして「内と外から語り合う」障がいが問題になるというのが研究所の追及しているスタンスになります。逆SSTも「障がい者が定型的世界の基準を理解する」のではなく,「定型発達者が障がい者の世界を理解する」ことに挑戦する仕組みづくりになります。そうやって「お互いに理解し合う」ことを目指すわけです。
「障がい者支援論」ではそんなふうに「内と外から語り合う」障がい理解と,それに基づく支援がこれから大事になるよね,ということを前半でお話をした後,後半では実際に障がい当事者と定型発達者で就労支援に携わっているスタッフの間の対話の場づくりに進みました。
果たしてどこまでうまくいくものか,全く分からない状態で,支援者からは「支援していて当事者の振る舞いが分からずに困惑するエピソード」を語ってもらって障がい当事者の皆さんの意見を聞いたり,逆に当事者の皆さんからは自分がどんな思いで支援を受けているのか,などについて語ってもらったりしました。
たとえば次は当事者の方の感想です。ほんの一部です。
「14回の授業の全体を通して当事者の立場から書きます。支援のプロである方々が言葉にできずもどかしくしている場面が何度かありました。そこには真剣に考えてくれる姿や仕事の枠を超えた人の優しさを見て嬉しく感じました。また、他の当事者の方々も長い間、孤独を抱えていて、どうして自分は駄目なのか?をかなり深く追求した上で言葉にしているようでした。両者共に切磋琢磨できる良い機会だと思いました。より多くの支援する方々に、こういう真剣勝負の機会を何度か繰り返して頂ければ、更に自信を持って当事者と接して行けると思いました。………支援が必要な人の多くは失望も経験しています。枯れそうな花です。この先、いつ咲くのもかわかりませんが、きれいに咲きたかった気持ちを内在しています。これらが望ましい支援のヒントに成れば幸いです。」
「これから先、自分の障がいと向き合っていくうえでの良いヒントになりそうなことが知れてよかったです。………うまくは言い表せませんが、毎回の講義で、自分の意見を発したり、色々な意見を聴いて考えたりすることは、とても貴重な体験・練習となっています。」
また支援者の側からはこんな感想がありました。こちらもほんの一部ですが。
「みんなの大学校の当事者の皆さまとお知り合いになれたことは嬉しい出来事でした。毎回、多くのページ数の感想をお書きになるのに驚いています。想いがたくさん詰まっていることでしょう。もっともっと、当事者のみなさまが「本当の私たちはこうなんだよね」と言えること、言える場所がたくさんあればよいです。」
「(当事者が語った)家庭環境の事についての話で思わず泣いてしまいました。なぜここまでつらいのに言わないのか、と今までは思っていましたが親御さんとの関係を崩したくなくて言えないという理由であると理解しました。………」
「その人にとっての幸せと親などの周りの考える幸せが違って本人を苦しめる事例が実際にあることを知り、本人の世界観を大事にする並走した接し方を考えなくてはならないと感じました。また、「泳げない人を泳げるようにする」例えや、企業と就活している当事者さんを「結婚相談所」に例えた表現がすごく納得できました。泳げない人はなぜ泳げないのか。技術的なものなのか、それとも溺れた経験からなのかなど、深堀して考える大切さを感じました。」
「講義が終わったあと、私たちは自然に再度職員間で振り返りを行っています。当事者の皆さんの想い、あの時の利用者さんの雰囲気、言葉の裏に隠された想いを再度確認しあっています。きっとこの繰り返しが、支援員としての「心構えや役割」を育むのかもしれません。………」
今回の試みで私にとって特に大きかったことは,複数の当事者の方たちと支援者の方たちが話し合うことを通して,お互いを「障がい者」や「健常者」として見る前に,まずは「人と人として」理解することの大切さ,「障がいという欠点」ではなく,「周囲とずれてしまうために生まれるさまざまな苦しみ」としてその困難を理解し,お互いの関係の調整を通して解決を模索していくことの必要性を双方が強く実感されたことだと思います。
そして,支援者の方たちがこの対話から支援へのいろんなヒントを得られていたこともうれしいことでした。
そういう真剣な対話の中ではお互いの考え方の違いも,当事者と支援者の間だけでなく,当事者同士,支援者同士の間にも見えてくるのですが,その理解と調整のためには,まさにお互いを知り合うための対話が重要になるということもみなさんで確認できたように感じています。
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