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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

    ブログ総目次(リンク)はこちらからご覧いただけます。

2024.11.16

「笑顔が出てくること」がなぜ支援で大事なのか?

私は発達障がい児支援のこどもサポート教室に就職される方たちの心理学初任者研修も担当していますが,その中で一貫して強調していることは,「障がい」によって子どもを見るのではなく,「その子の生きている環境」と「その子の生き方」が生み出す「困難」に焦点を当てるという視点です。そしてその子が今の自分を足場にして,その子なりに困難を解決していく手伝いをすることが支援だと考えることになります。

その対極にある考えは,「周囲の要求に合うように子どもの<困った行動>を矯正する」という考え方です。これは障がい当事者からも時々伺うことですが,そういう支援ではその人が「自分の思いを大事にして主体的に生きること」の大切さが背後に退いてしまうため,「支援」を受ける人は自分が納得しようがしまいが「なんとか周囲に合わせさせられる」という形の生き方を要求され続けることになり,「自分自身として生きる」ことがむつかしくなってしまうことになります。

さて,初任者研修では最初に自己紹介をしてもらうのですが,その時に「支援で大事にしたいこと」をお話しいただきます。そうするとやはり「子どもに笑顔になってもらう」とか「子どもが楽しめるように」といった,子どものポジティヴな状態を生み出していくことを重視する方が多いように思います。私もそれはとても大事なこと,ある意味では一番大事なことだと感じています。

逆に言うとなぜそういうことを改めて強調せざるを得ないのでしょうか?それはもちろん発達障がい児がその困難な状況の中で「笑顔が消えてしまいがち」で,「楽しくない」生活をすごしている場合が多いからでしょう。万事順調で,笑顔いっぱいで生きられているのなら,そもそも支援は必要ないともいえるのですから,それもまた当然です。

ではなぜ「笑顔」が出にくくなってしまうのでしょうか?

「障がいだから」というのは答えになりません。もちろん顔の筋肉に障がいがあって,笑顔は作れないというのなら話は全く別ですけれど,発達障がいだから笑顔が出ない,なんていうことはあり得ません。問題はその子が持っている特性が,周囲の人が求めるものにうまく対応できなくなって,お互いに葛藤が積み重なっていくからにほかなりません。

発達障がいがあろうがなかろうが,全ての人がそれぞれにその人なりの特性を持っていますが,それが周囲とかみ合いやすい場合は葛藤が少なく,元気に生きるやすくなり,かみ合わなさが大きいほど摩擦が大きくなり,葛藤にエネルギーを奪われて元気がなくなり,笑顔も消えていくことになります。

逆に障がい特性がかなり強い場合でも,周囲との関係がよければ,葛藤は少なくなり,生き生きと笑顔で過ごせるようになります。以前障がい者の芸術活動を描いた動画の作品をいくつか見たことがありますが,みなさんとてもいい表情で生き生きと制作され,また作品を人に見せて嬉しそうでした。シンプルに「幸せそう」と感じられました。

「発達障がい」という特性は,周囲の理解が得られにくいために,そういう葛藤を抱え込みやすいというに過ぎません。ということは,支援の一番のキモはこの「葛藤」を減らしていくことになります。そしてそこで生み出されるエネルギーで前向きに幸せに生きていける状況を模索していくことが支援でしょう。

支援に関する仕事に初めてつかれる方から,どうしていいかわからない不安の結果と思いますが,「どうしたらいいのですか」と「具体的なテクニック」を求められることがしばしばあります。確かに一定程度「テクニック」が開発されてきていることは事実です。たとえば視線のコントロールがうまくいかずに,文章を読もうとしても行を飛ばしたりしてちゃんと読めない,といった学習症のお子さんに,物差しを使って「読む行」をわかりやすくする,というのも簡単なテクニックの一つですし,座位が保ちにくいお子さんの場合で,それが身体発達に原因がある場合などは,必要な筋肉を鍛える遊びを行うなど,生理学的知識に基づく専門的なテクニックもあります。

ではそういうテクニックを駆使することで,それ自体で葛藤が解決していくのかというと,それは違いますよね。確かにそのことにすごく本人が困っている場合には,それに対して一つの解決法を提示することで,改善への希望が生まれてきますから,それは前向きには作用しますが,発達障がいの特性から生まれる葛藤の問題は,たとえば視力が低下したら眼鏡をかければ問題解決,みたいな単純な「原因=結果」の関係にはないので,「これをやったらそれでハッピー」などということはあり得ません。

実際,PT(理学療法士)の方に,初任者研修で「支援では何を大事にされているか」を訪ねてみたところ,そういうテクニックの話は全く出てきませんでした。それより子どもの気持ちを受け止めて楽しめる活動を工夫したり,お母さんの気持ちを受け止めたり,そういうことを言われるわけです。PTのテクニックを用いれば,たとえば姿勢がよくなるとか,鉛筆の握り方の調整ができるとか,個別の具体的な「課題」を解決する道がいくつか工夫されて見えてくるのですが,それは言ってみれば困難を減らすための手段の一つであって,支援の目的ではないわけですね。

そのことをそのPTの方は今までの支援の経験の中から当然のこととして実感されているのだと思いました。そこを足場にテクニックが発揮されれば,鬼に金棒ということになります。もちろん鬼は子どもの笑顔を生み出せる関係づくりです。

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