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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

    ブログ総目次(リンク)はこちらからご覧いただけます。

2024.12.23

母子分離と依存 ①

事例研修をしていて,母子分離が課題として挙げられることがしばしばあります。

では母子分離が課題になるのはどういう状況なのでしょう?

発達心理学的に考えれば,一般的には子どもは最初,自分では泣いたり笑ったりといった形で周囲の大人の注意をひきつけ,必要な世話をしてもらうといったほぼ全面的な依存の状態から始まって,だんだんと自分でできることが増えてきます。

そうすると,たとえばそれまでスプーンでご飯を食べさせてもらっていた子が,自分でスプーンを持って食べるようになり,まだ自分では十分うまくいかないので親が手伝おうとすると怒ったりといったことも生じていきます。

自分でできることは自分の意志で自由にしたい,というのは,どうやら人間にとって基本的な欲求の一つであるようです。

あかちゃんがつかまり立ちをするようになると,寝っ転がっているときに比べて,大げさに言えば世の中の見え方が全然変わってきます。寝っ転がっているときよりあきらかに遠くも見えますし,見え方も変わる。それまではそういう見え方は大人に抱っこしてもらったりすれば得られたのですが,自分の思い通りにならなかったところ,つかまり立ちによってそれが自分の思い通りになり始めます。

大人も同じです。ある新しい力が獲得されることによって,できることが増え,それによって自分の世界が広がるというのはやはり魅力的なことと思えます。「お金が欲しい」と人が思うのも,その基本は「お金があればできることが増える」からでしょう。

成長への欲望を持つのも,やはりそれまで可能ではなかったことが可能になるからだと思います。そういう力やそれを獲得しようとする欲望を人間はもともと持っていると考えていいのだと思うのですが,「母子分離」が課題だと周囲が理解するケースでは,なんだかまるで成長を拒んでいるような,「不自然」な方向に子どもが進んでいるようにも感じられると思います。

では,本来は成長への力を持ち,親に依存せずに自分の力で歩もうとするはずの子どもが,どうして「母子分離」ができなくなるのでしょう?

ひとつの可能性は「依存している方が楽だから」ということが考えられます。ほんとうは自分でできるのに,自分でやるのは大変だから人に任せてやらせた方が楽ちんということで,これも人間誰でもそういうところがありますよね。そういうときは「人を使う」ことになるわけです。

ここで,依存の意味をもう少し広く考えてみましょう。たとえば庭の草むしりが大変だから,お金で人にやってもらうというのも依存の一種と見ることができます。

自分でおいしい食事を作るのは大変だから,レストランでお金を払ってシェフに作ってもらう,というのも「楽」というだけではなくて「もっとそのほうが良くできるから」人に依存するのだと言えます。

 

「依存」ということの意味をそこまで広げて考えてみると,そもそも人は「依存」抜きには生きられないし,上手に依存することは人生を豊かにすることだともいえます。もっと言えば,人の社会はお互いに依存し合って成り立っているわけです。当事者研究で活躍されている熊谷晋一郎さんの名言に「自立とは依存先を増やすこと」という言葉がありますが,「依存」を否定することは,ある意味で人間の一番大事な部分を捨ててしまうこととさえいえる部分があります。

 

ではなぜ「依存」が問題とされるのでしょう?たぶん答えは簡単で,「いい依存」と「悪い依存」があるからでしょう。では「悪い依存」とは何かというと,「一方的な依存」になってしまい,結果としてそれが「依存する側が依存される側を支配する」という「支配=従属」の関係になっていると感じられる場合なのだろうと思います。

逆に「いい依存」とは何でしょう?それは「お互いに依存し合う」関係がうまく成立している状態だと考えられます。相手に依存して何かをやってもらったとき,感謝の気持ちをもって何らかの形でお返しをする。それはお互いがお互いを必要としている関係になり,どちらかが一方的に損をしている形ではありません。

実は人間社会の経済も,その仕組みで成り立っています。お買い物をして商品を得る。それは自分では作れないものを誰かに作ってもらってそれをもらう,という依存の一つの形です。だからそのお返しにお金を渡すわけです。盗みがいけないのは,そういう「お互い様」の関係を破壊して,相手を一方的に傷つけてしまうからです。

相手に何かをしてもらったときに,まずは「ありがとう」というのもそうですね。感謝の気持ちを伝えることで,相手はうれしくなります。赤ちゃんを育てるのはいろいろ大変ですが,その赤ちゃんから笑顔をもらえると,子育てで疲れた心が癒されたりします。

発達障がい児支援の現場で頑張られているスタッフの皆さんにとって,子どもの笑顔や成長は,なによりの「ご褒美」となって頑張ろうとする気持ちを支える力を与えてくれます。またそうやって子どもの笑顔をたくさん作れるようになった自分に「成長の喜び」も与えてもらえます。

支援の場面では必ずしも子どもの側が意識的にお返しをしてくれるというわけではありませんが,でもそんな形で支援スタッフの方はちゃんとこどもから「ご褒美」をもらえるような心理的な仕組みがあるんですね。これも人間という動物がそもそもそういう心理的な仕組みを持つように進化してきたからです。その力が子育てや,福祉という,あらゆる人間社会にとって欠かせない大事な働きを支えています。

 

そんな風に考えてみると,「母子分離が問題」とされる場合,なぜそうなるのかが見えてくる感じがしないでしょうか?

そういう事例でよくみられるのは,「子どもが離れてくれないので,お母さんが疲れ果ててしまっている」状態です。なぜそんな風になってしまうのか。次回そのことについてちょっと考えてみたいと思います。

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