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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

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2025.01.10

間違いではなく,視点が違うだけ

今年度後期に担当していた駒澤大学での「異文化コミュニケーション論」の授業が今週で終了し,授業への感想がぼちぼち寄せられているところです。

この授業では日本文化と韓国文化,みたいな,割と普通にいう「文化」という枠組みを超えて,人が他の人と一緒に生きていくために共有しようとしている工夫,みたいな感じで文化をとらえて行ってきました。ですから「常識」と言ってもいいですし,ディスコミュニケーション論の中ではそれは「規範的媒介項」みたいなちょっと固い言葉でも表現しています。

ですから,その工夫とか常識の在り方が違うと,お互いにうまくコミュニケーションできなくって,葛藤が生じるわけです。その時人はそのコミュニケーションの相手の人を「理解できない変な人」とか「常識のない間違った人」と感じることが良くあります。

いわゆる異文化間でも,相手の文化を「おかしい」と見る見方は世界中あちこちにありますし,そういう点からいうと,たとえば自閉系の人の振舞方も定型的な常識の見方からすると「おかしい」とか「正しいことが理解できない」とか,あるいは「自己コントロールができていない」みたいにマイナスに捉えられることが良くあります。そんな風に見られる理由も私の言う意味では「文化差」の一種なんですね。

 

そんな「常識」のずれは世の中のいろんなところで様々な葛藤や悲劇を生んでいます。この授業では主に三つをテーマとして取り上げました。ひとつは日中とか日韓とか,普通によく言う「異文化」の問題で,お互いに見方や考え方にびっくりするようなズレがある,ということを具体的な例で話をしていきます。これについては韓国人で奥さんが日本人の言語教育研究者&youtuberのシム・ヒョンボさんにzoomで登場していただいて学生とやりとりしてもらい,対話的な理解のための授業をやりました。

 

二つ目に取り上げたのは冤罪の問題で,これは私も携わっている供述分析でよく問題になるのですが,同じ資料を見ても裁判官がそこから読み取ることと,心理学者が読み取ることがびっくりするくらいズレたりするのです。そのズレは場合によって深刻な冤罪を生み出します。

たとえば先日再審無罪になった元死刑囚の袴田さんの「自白」については,心理学的にあり得ないということを浜田寿美男さん(研究所の客員研究員)が鑑定で明らかにしていますけれど,ずっと裁判官には理解されませんでした。実は大変残念なことに,再審無罪判決の中でも理解されないままに「五点の衣類」が捏造ということで無罪になって終わっています。

またディスコミュニケーション研究や異文化相互理解研究などで私の共同研究者の一人でもある高木光太郎さんたちが,足利事件ではやはり殺人犯とされた冤罪被害者の方の自白供述がおかしい,ということを心理学的に鑑定して裁判所に提出していたのですが,完全に無視されたまま有罪になり,刑務所に17年間入れられた後,改めて行われたDNA鑑定で無罪であったことが明らかになって釈放されるという悲劇がありました。これも高木さんたちの鑑定がちゃんと理解されていたらその方の悲劇はなかったはずですし,そしてすでに釈放時には時効が成立してしまっていた真犯人も捕まった可能性があるわけです。

逆に事件から紆余曲折のある25年をかけてようやく無罪が確定した甲山事件の方は,若いころの浜田さんが特別弁護人として大活躍されて,こちらは検察が有罪の証拠とした子どもの証言が心理学的には本当のことを語れていない,ということを徹底して明らかにして,裁判所はほぼその判断をそのまま使って無罪を確定させました。

この事件では私たちも弁護団からシミュレーション実験を頼まれて,「誰も嘘をつこうとしておらず,誰も嘘をつかそうとしていないのに,子どもに繰り返し出来事の記憶を聞き続けたら,ひとりひとり別々に聞いているのに答えが揃ってきて,みんな同じことを言うようになり,聞き取りの学生はそれが本当のことだと思った。ところがそれは事実ではなかった」というような,甲山事件で起こったことと同じような出来事を再現して本にしたりもしました。

もちろん心理学者の判断がいつも必ず正しいとは限らないわけですが,それにしても鑑定を頼まれてやっていて,判決を見て心理学者がびっくりするようなものが決して少なくなくて,不思議で仕方が無かったりします。

なんでそうなるのか,どうしたらそういう悲劇をなくせるかを今,(元)裁判官の方たちと議論したり共同研究もしているのですが,これも「事実」についての見方や考え方に,多くの裁判官と私たちにかなり大きなズレがあるみたいで,そこがある意味で「異文化間の葛藤」を生み,その結果冤罪が生まれてしまうこともあるということのようです。

そしてもうひとつのテーマが自閉と定型の間のディスコミュニケーションの問題でした。大内雅登さんに二回授業に来ていただいて,逆SSTをやりました。

そうやってシムさんや大内さんに授業に登場して直接学生とやり取りをしたもらったのは,それまで知らず知らずのうちに身に着けてしまっていた固定観念(ステレオタイプ・偏見)を崩し,実際の相手とのやりとりの中でもう一度理解を作り直すという経験をしてもらうためです。

こういうのはやはり学生さんにとっても面白いようで,感想にも「ゲストスピーカーの方を招いて質問から相手の答えを探したりするのは頭を働かせていろいろな事を考えられて面白かったです。」と書かれたりしています。

そういう感想の中で,逆SSTをとりあげてこんな意見も寄せられています。

①一番印象に残ったこと
本講義で一番印象に残ったことは、逆SSTです。「異文化」と聞くと、日本と海外の文化の違いをイメージしていましたが、障害のある方と健常者で見ている視点が異なり、これも異文化になるのだということを学びました。そこで行った逆SSTでは、予想していた回答を答えてもらうために質問を考えたり、多角的な視点で自分とは異なる考えを探したりをして、答えが一致することはできませんでしたが、大内さんから回答を聞いたとき、「そこの視点か」とびっくりする視点だったので、印象に残りました。

②理解がむつかしかったり疑問が残ったこと
大内さんと行った2つの逆SSTで、大内さんの視点がわかったものの、どうしてそこに目が行くようになったのか疑問に思いました。

③この授業で自分の見方に生じた変化
今まで障害のある方の考えは、間違っていると認識していました。アルバイトをしているお店で障害のあるお客様が買い物に来ることがあり、以前は健常者と障害のある方で少し異なった接客をしていたと思います。気づかないうちに差別をし、障害のある方は健常者とは違う人間だと思っていました。ですが、両者に違いはあるものの、視点が違うだけで間違った考えを持った人は存在しないのだと思うようになりました。また逆SSTで大内さんの考えを完全に納得することは難しかったのですが、納得する必要はなく、理解することで共生できるのだと考えるようになりました。

④その他ご自由に
本講義でもっと異文化交流をしたいと思うようになりました。日本国内にも東京と関西では考え方が違うこともあると思いますが、私は海外の文化についてと、障害のある方との交流に興味が湧きました。春休みを有効活用し、交流する機会があれば積極的に参加したいと思います。私の価値観(文化)が変わったことで、今までとは違う世界で広い視野を持っていこうと思います。ありがとうございました。

研究所では「外からの勝手な決めつけではなく,当事者の思い,当事者の視点を踏まえた支援

を考える」ことを大事なテーマにしていますが,その一つのポイントは「定型的な目から見ると間違っているように見えても,それはお互いに視点が違うからそう見えるので,そこにはその人の思いが何かある」ということを発見することにあります。

この学生さんは逆SSTを通して,明らかにそこに気付いてくださったんですね。それが大変うれしいことでした。そしてそこに気付くことで,その方は「私の価値観(文化)が変わったことで、今までとは違う世界で広い視野を持っていこうと思います。」と,ご自身の世界が広がっていくことを感じられるようになっています。

寄せられる感想にはこういう感じのものがほとんどで,対話的な交流機会をうまく作れば,なかなかお互いに理解しにくいもの同士の間でもそんな変化が確実に生まれるのだということを確かめられて,この授業をやってよかったなと思いました。

 

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