2025.04.25
支援を当事者視点から行うって何のこと?
研究所では当事者視点を大事にした対話的支援を模索し続けています。
理念的にはどういうことなのか,理論的にはどう説明できるのか,ということについてはだいぶ整理されてきて,論文その他でもある程度表現可能になってきていると思うのですが,一番重要な現場の具体的な支援の中で,それが何を意味するのか,どうすることが当事者視点を大事にすることになるのか,といったことについてどう分かりやすく説明できるのかはまだまだ手探りでした。
けれども,このところの事例研修の中で,それがちょっと見えてきた感覚があって,それについて書いてみます。
しばらく前でしたが,ある地域の事例研修をやった時,相談内容として「○○君には××という<こだわり>の行動が強い」ということがあげられ,それをどうやって直したらいいのか,という問題提起でした。特に自閉的な子どもなどの場合,よくある話かと思います。
それで,私はふと考えて,こんな質問をしてみました。「今の話を<こだわり>という言葉を使わずに表現するとどうなるでしょう?」
その支援スタッフの方は,しばらく考え込んでいたのですが,さっと笑顔になり,明るくこんな風に答えてくれました。「興味・関心!」
<こだわり>と見るのは外からの目です。そしてその言葉で暗黙の裡に表されている意味は,「わけのわからないことを繰り返している」とか「困ったことだ」といった否定的な感じです。ところがそれを「興味・関心」と言い換えると,途端にその子自身の視点からの話に切り替わります。つまり「当事者視点」に焦点を合わせた見方に変わったことになります。
また今日の初任者研修では,発達障がい児支援で一番大事な事の一つとして,子どもの自己肯定感を大事にするという話をいろいろしたのですが,その話について,一人の方が最後にこんな感想を書いてくださいました(部分)。
できること、できたことを褒めることは自己肯定感につながることはわかっていたが それらが認められているという実感につながるということを理解できた
自己肯定感が大事であるということは,私が改めて言わなくても,多くの方がそう感じられています。ですから,この初任者の方もまずは「わかっていた」と書かれています。大事なのはその次です。「それら(褒められること)が認められているという実感につながる」ことに気付かれたというわけです。
ここに一見些細に見えるかもしれませんが,とても大事な視点の転換が生じています。つまり,「褒めて自己肯定感を高める」というのは,支援者の視点です。どうやったら子どもの自己肯定感を高められるか,そのテクニックの話ともいえ,ある意味ではその「自己肯定感」を外側からコントロールするという発想にもなります。
ところが「認められているという実感」という言葉は違います。その実感を持つのはあくまで子どものほうです。つまりそこでは「子ども自身がどんな思いになるか」という視点から問題がとらえ返されているわけです。そこには大事な視点の違いがあるからこそ「わかっていた」ことを超えて新たな「理解」が成立したことになります。
この視点の転換が支援にとってどんな意味を持つのか,というと,支援の場の主体は支援者ではなく,それはあくまでも子ども自身にあるのだという姿勢に切り替わるということです。支援者はそこでいろいろな条件や環境の結果,自分の思いを大事に主体的に生きることがとてもむつかしくなっている子どもが,自分の意思と自分の工夫で状況を切り開いていけるように側面から支える,という姿勢になることです。
障がいは往々にして「できないこと」「たりないこと」という側面で見られます。それは何らかの基準を外から当てはめて,そこから外れているという形でその人を評価する仕方です。だからその視点からの支援は「基準に合うように,せめて近づくように外から働きかける」といった形になりやすくなります。
そのことを子ども自身の視点から見れば,事態の意味はこういうことになっています。「自分は基準に合わせることができない。だから言われたように,求められるようにその基準に併せられるよう努力しなければならないのだ」ということです。そこには「合わせなければならない」という義務感が中心となり,「ありのままの自分」は肯定されないことになります。
そういう支援が続くと,障がい者の人生は「周囲に無理やり合わせる人生」になってしまいます。なぜなら外から与えられるその基準はもともと自分には合っていないものだからです。だから無理が積み重なる。そして自分が主人公となる人生の物語の中に生きることがむつかしくなる。そこから生まれる悲劇も少なくありません。
大事なのは,いろんな限界も持っている自分と上手く付き合いながら,何とか周囲と折り合って,自分らしく主体的に生きていく道を探していくこと。そして支援とはそのようなその子なりの主体的な生き方を一緒に模索していくことなんだと思うんですね。
だから,一見小さいことに見えるかもしれないこの視点の転換は,実はものすごく大きな意味を持つのだと思えるわけです。「その子はどう感じているのだろうか」「その子自身の思いにとってそれがどんな意味を持つのだろうか」という,その子自身の世界の見え方,主体性の在り方を探り,その場を共有してその次の展開を一緒に模索していく,その出発点となるからです。
これまでいろいろ模索してきましたが,ようやく「当事者視点の大切さ」について,ややこしい理屈ではなく,素朴に語っていけるようになって気がしています。
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