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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

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2020.02.25

活躍後の発達障がい

「中年のひきこもり『1000万』でも危険な理由」という記事がありました。現在深刻な中年のひきこもりは、最初から就職も結婚もせずに家でとじこもる、といったパターンではなく、年収1000万円プレイヤーなどとして社会的にも活躍したのちに、リストラなどの影響で退職して引きこもってしまうパターンだと、二つの事例をあげながら著者の桝田さんという臨床心理士が書いています。

それがどの程度の広がりを持っているのかはわかりませんが、二つ目の、リストラとともに職場環境が変わり、その新しい職場環境がつらくなって周囲の引き留めにも拘わらず退職してひきこもり状態になった事例を見て、その様子から、この人は多分アスペルガー傾向の人だったんだろうなと思いました。

桝田さんはその人のカウンセリングを担当されているとの事ですが、やはりその見立てをされています。

発達障がいの傾向があるからそれで就職ができないということもありませんし、その特性を活かして社会的に活躍している人たちも決して少なくないはずです。もちろんそういう方たちは発達障がいという自覚もないでしょうし、そもそも診断がそれで降りることも稀でしょう。社会で活躍できているのだから、障がいとして認知する必要はないということになります。

この問題は「発達障がいとはなにか」という根本的な問題にもつながっています。自閉症スペクトラム障がいという言い方に象徴的ですが、発達障がいと定型発達の間に明確な線引きは困難である、ということはかなり本質的なことだと思えます。結局のところ、本人や周囲の「困難さのレベル」を診断する人がどう受け止めるか、ということでそれを「障がいのレベルの特性」と判断するかどうかが変わることになります。私自身もおっちょこちょいで凡ミスをくりかえすなど、ADHD的な特性はしっかり持っているなと思っていますが、それで「障がい」が診断されることはたぶんないでしょう。

つまり、いまはまだ十分に論じられず、これから解明していくべき重要なポイントと私は思っていますが、「発達障がい」という考えた方そのものが、単に医学的な概念では切れない、心理的社会的な概念でもあるということが言えます。簡単に言えば「特性」そのものはおそらく生物学的な基盤が大きく、医学的な視点からの解明が必要な問題ですが、その特性を「障がい」と意味づけるかどうかは、心理的社会的な要因で決まっていくと考えられるわけです。

桝田さんがあげている事例もまさにそういうことをよく表しています。その人は「発達障がい者」ではなかったが、アスペルガー的「特性」を持って生きていた。ところが社会(職場)が変化してその特性にあわない状態が生まれた時、彼の特性はひきこもりを生み出すような「障がい」のレベルに「なった」というわけです。

そこからふたつの問題が見えてくるように思います。ひとつは発達障がいの問題を、たんに「いま社会的に活躍しているかどうか」という視点だけから見ることには限界がある、ということです。状況が変われば今は「障がい」でない人も、「障がい」となる可能性はいくらでもある。

そしてもうひとつは今「障がい」と見なされているひとも、状況が変われば逆に「社会的に活躍」できるようになり、「障がい」とはみなされなくなるということです。

社会がいろいろな特性にたいして、どこまで柔軟性をもてるか、多様な個性をどこまで活かせるか、ということが「発達障がい支援」の、いってみれば究極のポイントだということになると思います。

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