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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

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2020.02.28

テクニックが有効なとき

先日、40人ほどの療育支援スタッフと事例研修をしてきたのですが、取り上げられた事例は、数の理解、計算が難しい子の話でした。

事例を発表した方が最初に求めたのは「どうやったらできるようになるか、アイディアがほしい」というものでした。

ある意味良くある事例相談のパターンです。最初は椅子に座っていることもできず、当然課題にも取り組めない状態から、スタッフの皆さんはいろんな工夫をして何とか少しは課題に応じてくれるところも出てきたのだけれど、そこでまた頭打ちになってどうしたらいいか悩んでいるという展開です。

具体的に何をやったのか、どんな変化が見られたのか、どこでつまずいているのか、少し詳しく検討(アセスメント)していくと、まず課題の設定自体が子どもの発達レベルにうまくあっていないことが見えてきました。

他のスタッフからもその点を指摘する質問が相次いだのですが、実は担当者自身が「この子にはまだ無理じゃないか」と感じつつ、やっていたようです。にもかかわらず何故そうなったかというと、学校の要求やそれに基づく保護者の要求が強かったということのようです。

つまり、たとえて言えば、ようやくつかまり立ちができるようになった子どもに、「走る練習」をさせようとしていたようなものなのですね。

そういう例え方をすればだれでも分かるでしょうし、ある程度子どもの経験を積んだ人ならこのスタッフの方たちのように、直感的にはそれを理解する人が多いのですが、でも「こうしてほしい」と強く言われると、「なぜその子にそれがまだ早いのか」をちゃんと説明できる人はぐっと少なくなります。

そんな風に「なんとなく違う」と思っても、「でもこれはできないと困る」という焦りがあると、どうしても自分の主観的な要求や期待、場合によって「少しでも伸ばさなければ」といった義務感が先に立つので、その自分の思いで走ってしまって、実際の子どもの姿が見えなくなってしまい勝ちです。

子どもに豊富な経験のあるはずの学校の先生でもそこを見そこなって、漫然と無理な課題を要求する例をしばしば見聞きします。当然子どもはできないわけですが、そうやって無理な要求をして出来なければ「まあ障がいだからしょうがない」と、それ以上の工夫ができなくなってしまう展開もあります。

そんな状態に陥ったとき、それでも何とかしないといけないと思うと、便利な「魔法」が欲しくなります。このテクニックを使えばすべて解決、といったものです。でも、基本的にはそんな魔法はありません。

確かにある条件があれば有効なテクニックはあります。それはある意味簡単なことで、その子の状態に課題がマッチしているときです。言ってみればその子に延びる力が育ってきたうまいタイミングで、それにあった課題を設定し、それに上手に載せるテクニックを使うと、それこそ「魔法」のように子どもの力が伸びることがあるわけです。

でも、「うまくいくやり方(テクニック)が欲しい」ということを思われるときは、だいたいは子どものアセスメントがちゃんとできていないのですね。そんな時はいくらいろんなことをやっても、まずうまくはいきません。一瞬うまくいったと思っても、すぐにまたダメになったり、全然応用が利かなかったりという展開になります。

うまくいかないときには、「魔法」を探すより、子どもをしっかり見ること、理解すること、アセスメントをしっかりすることが大事ですね。そうすれば魔法はいらなくなります。

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