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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

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2020.11.08

ネットの怖さについて

これまでネットを使ったさまざまなコミュニケーションや遠隔支援について、ポジティヴな可能性を考えてきましたが、当然ものごとには裏表があり、危険な面もいろいろあります。

私がその危険な面で最も衝撃を受けた出来事は、やはり2001年の同時多発テロでした。それまでも世界はポスト近代に向けて深く大きく変化をしていましたが、「国境を超えたネットワーク」があんな形で世界最強のアメリカの政治・経済・軍事の中枢部に大規模なテロを仕掛けるまでになったことで、その変化は決定的な転換点を迎えたように思えました。

夜中に偶然テレビで二機目の突入シーンを(おそらくリアルタイムに近い形で)目撃して、いったいこれは何なのかと考え込んで、二日目に出した結論は、「これは国境を持つ領域型の権力と国境が関係なく展開するネットワーク型の権力の全面戦争だ」という理解で、したがってアメリカは中東に武力で入るだろうが、ネットワーク側の権力には一つの中心と言うものがなく、自律的に動く大小のネットが地球上でつながっているだけなので、どこをたたいても問題は決して解決せず、恨みの拡散をもたらすばかりで、「勝利」という明確な区切りのない戦いがずっと続くだろうと思いました。

それから20年が経ちましたが、世界が改めて複数の領域化を進めていくだろうという予想(※)も含めて、その後の展開は、だいたい当時想像したようになっているようです。

この世界のシステムの転換とその性格については書き出すときりがないので、これ以上書きませんが、そういう危険な展開があったとしても、しかしもう世界はネットをベースにした展開を止めることができません。経済活動も、政治活動も、学習活動も、研究活動も、福祉も、日常的なコミュニケーションも、人と人とがかかわって展開するものすべてにネットが浸透していっています。というより、世界全体がネットを足場に展開していると言ってもいいのでしょう。

後戻りは、それこそ小惑星が地球にぶつかるなどの大惨事が起こらない限りないでしょう。新型コロナのパンデミックも大変なことですが、あえていえば「その程度」のインパクトではむしろネット社会化を強力に推し進める方向にしか進みません。だから、これからを生きていく子どもたちには、そのネットを足場にした社会で生きていく力がどうしても必要です。もちろん発達障がいの子どもも同じです。

そういう状況の中で、私たちにできることはマイナスの面の存在をしっかりと認識しながら、プラスの面をどうやって伸ばしていけるか、という工夫しかないと思います。このはつけんラボももちろんそこでプラスの面でのネットワークの活用を目指したものです。

さてそのマイナスの面ですが、今とても気になっていることの一つがフェイクニュースの問題です。アメリカでそのことが極端な形で展開していますが、別にアメリカに限らず、世界的にどこでも進行していることでしょう。

「嘘も100回つけば本当になる」という言い方がありますが、本当はそういうことより「嘘も百人がつけば本当になる」と言うことの方がより重要なことだろうと思います。ネットではある情報が本当のことかどうかのチェック無しに一瞬で拡散していきます。そして事実かどうかに関係なく、同じような情報を人々の間でぐるぐる回していくことで、それがあたかも確固とした「事実」であるかのように人々を動かしていきます。

最近「インチキ陰謀論「Qアノン」がばらまく偽情報を科学は止められるか」という記事が興味深かったのですが、このような形での危険な情報拡散について、ある物理学者もそれへの対処を考えるために分析を行おうとしたりしていて、そこで言われていることが、「完全な解決はありえない」ということでした。

言ってみればそのような情報拡散は疫病の蔓延のようなものと考えられるというわけです。天然痘を唯一の例外として、ウィルスは人間が完全に撲滅することは不可能で、パンデミックになってしまうことを回避する対策が必要なのだ、という考え方になっているようです。

そういう視点から見ると、子どもたちのネット利用の際も、youtubeその他にあふれる様々な情報を、子どもたちはその真偽をチェックすることなくそのままリアルな事実として受け入れてしまうでしょう。その危険性は大人をはるかに上回っているはずです。

ですから、ネットの利用の力の中に、情報の確からしさをチェックする目を育てることが絶対に必要だと思えます。でもそれは本当にむつかしいことで、そもそも何が確かな情報なのかを判定すること自体が大変なことです。(※※)

また株価の変動要因を考えてもわかりますが、ちょっとした出来事が極端な値の変動を生みます。そのときその出来事の真偽やその意味の解釈の正しさなどを検証している時間もないままに一瞬の判断で売り買いをしなければならないという状況も時折起こるわけです。すでに経済活動自体が「何が確かな情報、本当に価値ある情報か」を十分に吟味できない状態で、人々のその都度の「思い込み」によって進むようなシステムとして展開しているとも言えます(バブルもそういう現象の典型例ですね)。

そんな現在の経済活動の状態まで考えると、フェイクニュースの問題は大変に根深いことが改めて感じられます。フェイクニュースなら「ファクトチェック」である程度補正が効くとも言えますが、そういう経済活動はそもそも「ファクト」があるというより、人々の主観的な「状況判断」の流れが経済の流れを作り、それが「事実」になっていくわけですから、その意味では「ファクト」は人々の情報流通の中で「作られたもの」だと言える部分も出てきてしまいます。フェイクがファクトになる、と言えなくもありません。

そういう状況の中で、ネット社会に生きるこれからの子どもたちにどういう形で適切な情報取得の方法を伝えていけるのか、これは本格的にむつかしい問題だと、これを書いていてしみじみ思いました。むつかしいと言って放置することもできない重大な問題なので、ぼちぼち考えていこうとは思いますが、その山は極端に高そうです。

※ この複数の領域化については、中国で10か月暮らした経験から、その社会の作られ方が、いわゆる「近代西洋」のシステムとあまりに違うことを体全体に衝撃を受けるように理解させられたことから思ったことでした。欧米近代とはあまりに異なる人間関係の論理によって社会秩序が成り立っており、しかもそれがある意味でネット型の構造を持っているため、ポスト近代で決して欧米とは相いれない形で持続し、展開してくだろうと思えましたし、当然様々な摩擦が生じていくだろうとも予想できました。実際現在そういう状況になっていて、そういう新しい局面でアメリカも大混乱になっています。

※※ 私の専門の一つである法心理学の供述分析も、人々が様々な矛盾した話をする中で、「事実」を探っていくことの困難さとの格闘です。

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