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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

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2019.10.07

自閉の子が言語的コミュニケーションを獲得する瞬間(1)

  
  
当事者のお一人として「お気楽と迷惑の間」という連載エッセーを書いてくださっている大内雅登さんが自閉のお子さんについて行っている支援について教えてくださいました。大変に興味深く、重要な展開がみられるので、ご両親のご許可をいただいてここでもご紹介したいと思います。まずは事例の展開をご説明し、次回、その意味について、そして次々回は当事者が支援を行う意義を考えてみたいと思います。
 
4歳の男の子A君は、大内さんの所に支援を受けに来始めた時、担当された方が提示した教具や働きかけには応じてくれず、ただ紐を口に入れたり振り回したりするばかりの状態だったそうです。そしてほしいものをすぐに渡してもらえなかったり、入りたい部屋に入らせてもらえないということがあると、ひっくり返ったり、頭を打ちつけたりする自傷行為が見られていました。またスタッフを噛んだりひっかいたりする他傷的な振る舞いもありました。
 
最初はある程度経験のある女性スタッフが担当していたということですが、噛んだり引っかいたりするため、大内さんが担当を交代したそうです。けれどもやはりどう対応したらよいのかに迷われ、A君を椅子に押さえつけて座らせるような訓練で良いのか、悩んだとの事でした。
 
大内さんが研究所の初級レベルの研修を受けたのはちょうどその悩みを抱えたころの事でした。研修ではその子の発達の状態や特性、環境などを見てその子に適したかかわりをしていくことの重要性をちょっとした課題を使いながら話すのですが、それを聞いて大内さんは「う~ん、無理強いはやめよう」と思われたとの事でした。そしてA君へのかかわりを変え、支援ではA君に好きなだけ走り、好きなだけ紐をふることを認めてあげることにしたそうです。
 
そうしていると、A君に関わり方の差による変化がはっきりと見られるようになり、他の施設に通った日は夜泣きがひどく、円形脱毛も見られるようになったとのことです。その結果、保護者の方もそちらの利用はやめることになりました。
 
大内さんの方は、本当に遊んだり散歩したりと言った自分のやり方でいいのかと迷いを持ちながらもA君に付き合う支援を続けたところ、自傷も他傷もなくなっていったのです。つまり、自傷や他傷は「自閉症だから」ではなく、子どもへのかかわり方が子どもの状態にあっていなかったために起こる二次障がいだったわけです。
 
そういう模索をされているころ、大内さんはまた研究所の中級レベルの研修で言語発達の基本について学ぶ機会がありました。その研修では言語発達を記号的な機能の獲得(※)と、意図の読み取りと交換システムの形成(※※)の両者によってコミュニケーションが展開する過程として説明していきます。さらにそこで「意図の読み取りと交換のシステム」が、大人が準備する枠組み(※※※)によって身についていく仕組み(スキャフォールディング)が重要になる、という考え方を理解されるようになりました。
 
つまり、言葉が成立するには、お互いの意図を伝えあう仕組みが作られていくことが必要になります。そこで大内さんはまだ言葉は話せないA君と、お互いの間に「合図(信号)」を送りあう方法を模索されました。
 
その場となったのは、「手をつないでの散歩」でした。自閉の子の場合、手をつなぐこと自体嫌がる場合もしばしばありますが、A君はそうではなかったようです。大内さんはそこに意思疎通の鍵がないかを探していかれました。それまでは入ってはならないところに入ろうとすると「ごめんね」と言いつつ物理的に入ることを止めなければならず、帰りたくないときにもなだめすかしてなんとか帰るしかなかった状態だったのを、「合図」によって伝えあう関係づくりを試みたのです。
 
そこで試されたのは、歩いている途中、「手に力を入れる」ということでした。すると大内さんが握ったことに対して、A君が握り返すのがはっきり分かったそうです。そうやって「握る=握り返される」という形での「通じ合い」を確認した後、次の瞬間歩く速度を上げるとその子も走り出したのです。
 
同じように道を曲がりたいときも、曲がるべきところを曲がらずに通り過ぎたいときも、まずは手の合図をし、それに対してA君から握り返しの「返事」があり、そうするとスムーズに事が進むようになったというのですね。そしてほとんどもめることなく、順調な散歩が実現したということでした。さらに3週間経った今では、手と目で意思疎通ができるようになったと感じられるそうです。
 
この驚きの変化は偶然の事ではなく、さらにその先へと次々に進みます。A君はこのあと部屋の中でも手をつないでイスへ誘導することが可能となりました。お母さんは今まで見たことのない姿に驚かれています。なんどかその練習をした後、大内さんはA君が「どうも座ってほしいらしいぞ」と感じ取ってくれたような気がしたそうです。そこで「す~わって」と声をかけるとA君は自分から着席しました。これが先々週のことだそうです。さらにこの週末は「紐を切るからもっといで」というと紐を持ってくる。「水で遊ぶから洗面所行こう」でついてくる。そんな変化がみられてます。
 
ほんとに劇的な変化と言ってもいいと思いますが、一体この展開は何だったのでしょうか?次回それについての私の解釈を書きたいと思います。
 
 
※ 記号的な機能とは「あるもの(言語学的には能記)」によって「別の意味(言語学的には所期)」を表すような心理的な働きを言います。たとえば「カー」という音(能記)が英語では「車」という意味(所期)を意味するといった働きです。しかもこの音と意味の結びつきは固定的ではなく、日本語なら「カー」は「カラスの鳴き声」を意味するでしょう。その意味で言語の音(や文字)と意味の結びつきは人為的(恣意的)な約束事で、その点でほかの動物の鳴き声とは根本的に質が違います。ほかの動物の鳴き声は基本的には「信号」のレベルで働くものです。
 
※※ 記号的な機能を身に着けるだけでは言葉にはなりません。なぜなら言葉には「ほかの人と意味を共有する(言葉で理解しあう)」という働きが不可欠だからです。この「意味を共有する」にはお互いが何に注意を向けようとしているのか、何を相手に伝えようとしてるのか、その「意図」をくみ取り、それに反応することが必要です。現象学の用語を使えばお互いの「志向性(intentionality)」を調整し、重ね合わせる力が必要になります(浜田寿美男さんの動画講義もご覧ください)。会話はそのようにお互いの志向性を調整しあい、相互の意図を相手に伝えあう事(交換)によってはじめて可能になります。そこに記号的な機能が使われるのです。自閉の子どもの場合、この意図の交換過程が定型と異なり、記号的な機能の利用に独特の特徴があらわれ、それが大人になっても「不思議な言葉の使い方」をすることにつながっていくのだと考えられます。
 
※※※ たとえば赤ちゃんが「あー、あー」と声を上げた時、大人は「ああ、そうなのね。うんうん」「あら、おなかすいたの。もうご飯ね」など、ついついそれに会話的に応答したりします。その応答がまた赤ちゃんの発声を促したりもします。そうやっておとなは子どもの声掛けや働きかけの意味を勝手に(過剰に)解釈して、ある意味無理やりコミュニケーションの形に持って行ったりします。それが赤ちゃんにとっては結果としてコミュニケーションの練習にもなりますし、声を言葉として意味付けて使う可能性に気づくきっかけを提供したりするわけです。人間の発達はそのように大人の持っている意味の形、枠の作り方に子どもも巻き込まれてそれを知らず知らずに習得する形で展開すると考えることが出来ます。これが人間の発達が文化的なものである、ということの根拠のひとつでもあります。

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