はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

2021.04.06

愛することと傷つけること:Henryの物語

VR用のヘッドセット(HMD:ゴーグル)の一つであるOculus Questで使える無料コンテンツに「Henry」というVRアニメがあります。アニメといってもVRですから、その世界の中に入り込んで時には主人公と見つめ合ったりしながら(※)ストーリーを楽しむ形になります。

このHenryというアニメは、ヤマアラシが主人公で友達が欲しいんだけどみんな友達になってくれない。誕生日もひとりでケーキを食べながらため息をつくような状態です。(あ、以下、ネタバレですので、ご自分で見たい方はここでストップしてください)

 

なぜできないかというと、理由はシンプルで、ちくちくして痛いからなんですね。

この誕生日にちょっとした出来事があります。風船でできた馬たちが命をもって動き出し、Henryと遊び始めます。友達がいないHenryは大喜びです。そしてそのうちの一頭と抱き合った瞬間、おなかの針が刺さってその風船馬は割れてしまいます。

それをみてHenryもショックを受けますが、ほかの風船馬たちも恐怖を感じて逃げ出してしまいます。

また孤独に戻り、悲しみに沈むHenryのところに、しばらくして馬たちがまた訪ねてきて、Henryにプレゼントを渡しました。それはかめでした。かめは固い甲羅に守られて、Henryと抱き合っても平気です。そうやってHenryはついに友達を得てうれしそうでした。

 

こういう話を聞くと、私はすぐに自閉系の人たちのことを思い出します。自閉系の人は本人には全くその意図がないのに、定型の心を突き刺すような言葉を使うことがあります。そのことで周りから「人の気持ちを考えない」などと強く批判され、敬遠され、排除されることもあります。実際には定型が気づかないだけで、その逆のケースもいろいろあるようですから、実はお互い様なのですが、定型からいうとそういう状態になります。

この突き刺さるショックは、親しくなるほどにきつくなることがあります。なぜなら親しくなるほど、定型も「心を開く」というところが当然あるわけで、自分の柔らかい部分も相手にさらすことになります。そこに(定型の感覚では)きつい言葉がいきなりすっと入ってくることで傷が深くなるわけです。(あくまでもお互い様の話です)

このHenryの話はちょうどそんな関係を表しているように感じるんですね。だから柔らかい風船がはじけてしまいます。

「愛する人をその意図がないのに傷つけてしまう」というストーリーは、ジョニーデップの「シザーハンズ」などにもみられるモチーフですが、定型発達者と自閉系の人の間にはお互いに意図することなく起こりやすい悲劇なのかなと思い、結果として自閉系の人が定型中心の社会でとても生きづらく、困難な状態に陥る重要な原因にもなるように思うので、この問題をどう緩和できるのか(解決は困難だとしても)というのはここでも考え続けたい重要な課題です。

 

Henryのストーリーの中での「解決」もその答えの一つではあります。つまり「刺されても平気な体(甲羅)を持つ」という対処法です。ところがそういう甲羅をつけてしまうと、今度は定型同士の関係がうまくいかなくなります。関係が遠ければ、自閉系の人と付き合う時にだけ鎧を着る、みたいなことも可能でしょうが、そうすると今度は親しい関係がむつかしくなります。あちらを取ればこちらが立たず、というとてもむつかしい状態です。

自閉系の人が他者と心理的な距離を取り、自分の中に閉じこもるように見えるのは、ベースにはそもそも「人との積極的な交わりにそれほど強い欲求を持たない」という傾向が強い場合もありますが(特に「受動型」といわれるようなタイプの方(※※))、実際には「定型とのかかわりで傷つき続けるから、あまりかかわらないようになる」ということもあるのだろうと思います。

こういう「特性」については、単に生まれながらの特性として固定的に考えてしまうのではなく、その人がその人の環境の中で生きてきた道筋から「どうしてそういう形になったのか」を考える、という視点が、その「特性」から生まれる困難の問題に取り組むには大事になると思います。先日も浜田寿美男さんとやり取りをする中で、「その人の今の在り方を、そのあり方が作られていく過程から理解する」という「形成論的な理解(↔症状論的な分類)」が重要である、という話が出てきたのですが、これからの療育支援を考えるうえでも大事な視点ではないでしょうか。

少し話があちこちに行きましたが、「お互いに自然なかかわりかたをすると、相手が傷ついてしまうことがある」というむつかしい問題が、定型発達者と発達障がい者、特に自閉系の発達障がい者の間に起こりやすい問題で、それにどう対処するべきなのか、ということが、「傷つけあうことによる困難の発生」を低減するうえでの中心的なポイントだよなあ、ということをHenryのアニメを見て(体験して?参加して?)改めて感じさせられました。

 

※ VRの世界では、映画などとは全く違って、コンテンツの登場人物が自分の隣に座ったり、目の前に立って自分を見つめたり、といったことがあります。この状態が、「外から登場人物を見ている」のではなく、「自分がこの登場人物とコミュニケーションしている」感覚を生み出すんですね。Quill Theaterの作品の場合は、設定された場面について、いろんな視点からそれを見るような視点の切り替えができるものが多く、そうすると登場人物が自分と同じくらいのサイズで向かあってみたり、巨人になって見上げる状態になったり、逆にミニサイズになって「箱庭の中の人形」のように見えたりと、いろんな見え方があって、登場人物や作品自体との心理的な距離感も変化し、これがとても面白いんです。作品自体もとても魅力的なものが多いです。

※※ 人と自分から積極的にはかかわろうとしない受け身のタイプを受動型、自分から積極的に人にかかわろうとするタイプを積極奇異型(なんでこんなネーミングになったのか、それ自体がとても「奇異」だと思いますが)などに分けて自閉系の人の特徴を理解する人もあります。実際にはたとえばユングの性格分類では一般に外向性VS内向性ということが問題になったりしていますが、そういう形で理解することも可能でしょう。ただその外向性や内向性がどういう形で現れるのか、という点で、自閉的な特徴が表れる、と考えることもできそうに思います。

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