はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

2021.05.12

図で見る自閉=定型間のディスコミュニケーション

前回、定形と自閉系で話がかみ合わない理由https://hatsuken.or.jp/labo/blog/detail/10872/について、社会で主に通用している言葉は定型の感じ方や考え方によりフィットしたもので、逆に言えば発達障がい、とりわけ自閉系の人にとってはことばが自分の自然な感じ方との間にズレを生んでしまうことが多いこと、そのため、自分にとってよくわからない定型的なやり取りの仕方を学び続けなければならない自閉系の人は、「自分の素直な感じ方」を相手に伝えるためではなく、「なんとかしてその場のやりとりをやりすごせるようなやり方」の方に重点を置くことになりやすいこと、その結果それは別に相手をだまそうなどという意味はないにもかかわらず、定型から見て、その言葉が「本心を表さない、いい加減な言葉」に見えてしまう、といったことが起こるのだろう、という話を書きました。

このことをもう少し心理学的に図式化して説明してみたいと思います。

まず私たち人間は、周りから与えられる情報(刺激)を理解して、その理解に合わせて行動(反応)するという心理的な仕組みを持っています。目の前の石(刺激)を「腰掛けられる場所」として理解すると「座る」という行動になりますし、「庭の飾りにちょうどいい」と思うと、それを運んで「庭石にする」という行動をとるでしょう。

では、同じ刺激を見たときに、人によって異なる理解になったときはどうなるでしょうか?もちろんそこから引き起こされる「行動」が異なるということが起こります。そしてもしその理解の仕方に定型的な理解の特徴や自閉的な理解の特徴がある場合には、同じ刺激となる場面に対しても、理解が異なるために異なる行動(反応)が起こります。
つまりこれが同じ刺激(場面)などに対して、定形は定型的にふるまい、自閉は自閉的にふるまうというズレが生まれる理由で。たとえば次の図のように表せます。

この考え方を使って、二人の間のコミュニケーションが比較的スムーズに展開するか、それとも混乱しやすいかという違いを図で示してみましょう。

まずこの理解の仕方がAさんとBさんで共通していたとしたら、それに基づく行動も同じような理解に基づく行動になりますから、お互いに相手の行動も理解しやすく、それに対する対応もやりやすくなります。つまり二人の間には理解の共有に基づく安定したコミュニケーションが生まれやすくなります。次のような図でも表せます。

 

逆に自閉的な人が相手の定型的な言葉を自閉的に理解し、定型が自閉的な言葉を定型的に理解した場合、お互いに相手のことばの意味を理解しそこなっていますから、やりとりがかみ合わなくなります。そこで混乱したやり取りとなり、ディスコミュニケーション状態が顕在化することになります。(※)図では次のように表すこともできます。

この状態をEMS(拡張された媒介構造)という概念で説明してみましょう。このEMSというのは、人と人が社会的なやりとりをするときに普遍的にみられる一般的な構図を表しているものです。図のSub.1と2はやりとりする人を表しています。またOb.1と2は二人の人がそれを使ってやりとりするもの、つまり意味ある「ことば」や価値あるプレゼントなどの「物(資源)」を表しています。


頂上にNormative Mediator(規範的媒介項)と書かれているのはお互いのやりとりの仕方を調整する「ルール」や「意味づけのしくみ」になります。お互いのコミュニケーションが安定して行えるのは、そのやりとりをどういう意味で、どういうルールに従って行うか、という規範的媒介項が共有されていると考えられる場合だということになります。

この構図を用いて先ほどの安定したコミュニケーションと混乱したコミュニケーションを表すと次のようになります。
まず右の図はお互いの規範的媒介項がわりと安定して共有されている場合です。ここではそれを定型的な理解の仕方と考えておきましょう。そうすると「暑くない?」ということばの意味が「暑いから、窓を開けるかクーラーをつけない?」という意味として理解されるので、相手が「窓開けよう」と提案ができる、という形でコミュニケーションがスムーズに進みます。

これに対して左の図の場合は定型の側が「暑くない?=窓を開けない?」といった意味で言った言葉を、自閉の人が「暑くない?=あなたは暑く感じているかどうか」という意味で理解したため、その理解に基づいて「暑いね」と答えて終わりになっています。ですから、定型の側は相手の人の反応が理解しにくく、「KY」と感じたり、「自分をからかっているのか?」と疑ったりすることになりますし、自閉の側は「暑いなんて当たり前のことをなんでわざわざ聞いてくるのか?」とわからなくなって困ったり、といったことが起きることがあるわけです。

ただ、私たちの生活の中ではそのかみ合わない混乱したコミュニケーションの理由について「相手と自分の理解の仕方が違うから」というふうに考えることはあまりなく、むしろ「同じ理解の仕方をしているはず(おなじことばを使っているわけですし)」なのに、相手が「まじめに応答しないからだ」、とか、「言葉の意味が全然分からないからだ」いう理解になりやすいわけです。

そして世の中は定型の人の方が多いので、定型は自分の感じ方や理解の仕方でコミュニケーションするとお互いに通じやすいので、ことばでのやりとりは「自分の気持ちを相手に伝え、相手の気持ちを自分に伝える」ためのツールとして使いやすくなります。これがことばの基本的な使い方として理解され、そのうえで、わざと「気持ちとはずれたことを相手に言う」というテクニック、つまり「本音と建前の使い分け」とか「相手をだます」といったテクニックをあとから獲得することになります。

これに対して自閉の場合はもともと自分の素直な気持ちは定型のことばでは伝えにくく、定形からは自分には理解しにくいぴんと来ないことばでやりとりすることを求められ続ける、といった経験が重なりますから、そもそもコミュニケーションというのは「自分の気持ちに素直にやりとりすること」ではなく、「自分にはしっくりこないんだけど、とりあえず相手が納得するようなことばでその場をやり過ごす」ことが重要なことなんだ、という理解になって行ったりすると考えられるわけです。

こういう形で定型と自閉系の間で、コミュニケーションのルールに当たる「規範的媒介項」が異なる形で、ずれた状態で発達してくことになり、それが両者の間に繰り返し混乱を生んでいくわけですね。

逆SSTは、そういうズレ方を対話的に理解していくための一つの試みだということになります。

 

※ ここで顕在化、という言い方をするのは、そもそもすべてのコミュニケーションはお互いの見方、感じ方のズレを含んでいる、という考え方、言い換えるとすべてのコミュニケーションはディスコミュニケーションであるという考え方に基づくものです。ただそのズレが比較的小さい場合には、お互いのやりとりに混乱はあまり起こらない(潜在している)のですが、それが大きくずれたときに、わけのわからない混乱が生じます。これが「潜在していたディスコミュニケーション状態が顕在化した状態」と表現されるわけです。

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