2021.12.15
障がいがあろうとなかろうと……
しばらく間が空いて,もうあちこちにクリスマスソングが流れる季節になってしまいました。
あいかわらず全国の皆さんと主にzoomを通した事例検討会をやってきましたが,最近はまた現地での顔を合わせながらの検討会も復活し始めています。
いろんな事例を議論していて,やっぱり「本当に支援者が困っていること」に迫ろうとしたときに,それは決して「○○ができない」「○○をさせるにはどうしたらいいのか」といった「技能・能力」の問題じゃないと言う事が良くわかります。
発達障がいの特性を持った子どもたちの多くが本当にしんどい思いをしているのは,「○○ができない」ことではなくて,それが一つのきっかけになって周りとの関係がうまく取れないこと,そしてそのことによって自分を否定的に見られたり,自分の苦しさを理解してもらえなくて怒りや悲しみが蓄積していることですし,そしてそのような状況の中で周囲の保護者の皆さんなども苦しんでいることだからです。
もちろん生きていくうえで必要とされる技能はいろいろありますし,それが身に着くことで自信がついて前向きになれたりと言った変化もあります。それはつらい思いをしている子どもを前向きに支えるうえで必要なことの一つであることは間違いありません。でもあえて言えば,それは手段の一つに過ぎない。
「能力を伸ばす」ということについては終わりというものがありません。1が2になったら,3が欲しくなる。3になったら4に……。という流れはどこまで行っても終わることがありません。それに,どんなひとだって無限に能力を伸ばせることはありえない。ひとつひとつ能力を積み上げていくこと,できることを増やしていくことは,生きていくことのひとつの面に過ぎなくて,それで幸せになれる,と決まったことでもありません。
結局,その子が直面している困難をどう軽減し,プラスに転化していくかと言う事が一番必要なことなのでしょうし,そしてそれは周囲とのいろんな意味での折り合いの悪さを調整して,お互いに無理のない関係を作っていくことでしかないのでしょう。
そしてそれって,別に障がいがあるからとかそういうことに関係ないですよね。人として生きていくうえで誰にとってもの大事な課題なんだと思います。ただ障がいと言われる特性がある場合には,そこで体験する困難深刻さが増したり,その質に定型発達者のそれとはいくぶんか違いがあることがある,というだけのことです。
研修でもそんな視点から,「この子は何ができないのか」ではなく,「この子の抱えている葛藤は何で,それはどんなことが影響しているんだろうか」という点のアセスメントを丁寧にやっていきますし,それを元にその子を支える働きかけ方を模索していきます。
つい先日も渡辺忠温さん,大内雅登さんと一緒にそういう視点に関わる論文を書き上げて投稿したところですが,この間の支援スタッフ向け研修でその話をしたら,感想を読ませていただく限りはかなり熱いものが多くて,ああ,やっぱり現場のスタッフの皆さんも,本当のところではそこにいろいろ悩まれているんだなあと実感しました。
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- 「笑顔が出てくること」がなぜ支援で大事なのか?
- ディスコミュニケーション論と逆SSTで変わる自閉理解
- 冤罪と当事者視点とディスコミュニケーション
- 当事者視点からの理解の波:質的心理学会
- 自閉的生き方と「ことば」2
- 自閉的生き方と「ことば」1
- 自分を「客観的に見られない」理由
- 「なんでこんなことで切れるの?」
- 当事者視点を踏まえた関係調整としての支援
- 「定型文化」と「自閉文化」
- 傷つける悲しみ
- 自閉と定型の「傷つけあい」
- 「社会モデル」から「対話モデル」へ
- 障がいと物語: 意味の世界を重ね合う試み
- 誰もが当事者:わたしごととしての障がい
- 規範意識のズレとこだわり
- 「コミュ力低い」で解雇は無効という判決
- 「カサンドラ現象」論
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