2022.01.05
子どももおっさんもyoutubeにはまる(2)メタバースの世界
さて,前回に引き続きyoutubeの動画が子どもたちに持つ意味についての話です。
youtubeの動画を私自身最近よく見るんですが,そこで印象に残っていることを思いつくままにまずは書いてみます。そのあたりから子どもたちにとってのyoutubeの意味も一部は見えてくるかもしれません。
youtubeには毎日「数えきれない」くらいの新しい動画がアップされていて,時間では短ければ1分程度で,だいたい10分前後のものが多いように思えますが,中には10時間以上とか,そんなものもあります。あらかじめ作られた動画が中心ですけど,実況中継のような動画も結構あります。
個人名や会社名などを出してののものもありますし,中にははっきり顔を自分の映して投稿されているものもありますが,youtube用の名前で出しているものが多く,自分の代わりにアバター(アニメ的な人物がほとんど)が登場して話をするVtuberと呼ばれる人たちもたくさんいます。その場合,声も地声ではなく,加工された人工的な声になっています。
年齢も若い人が多いと思っていましたが,最近は意外と中年以上のおじさんのつぶやき動画も多くあります。性別については地声で出ていればだいたい男女が区別できますが,アバターを使って人工音声ならもうわかりません。ただ,男性が若い女の子のキャラクターのアバターを使って話しているものが多そうです。
内容も本当に様々。企業の製品紹介みたいなものもありますけど,メダカの飼い方とか,いろんな分野のオタク的な人がひたすらうんちくを傾けるもの,商品を買って使ってみた感想,トップアーティストの最新の曲を含めていろんな音楽の配信,睡眠のための音楽や雨音をずっと何時間も流し続けるもの,朗読,料理の仕方の説明,ヨガのやり方の指南などなど,挙げればきりがありません。
よほど危険性のある内容でなければチェックも入らないので,情報の質も玉石混交。単なる誤情報を垂れ流しているものもあれば,ほとんど妄想の世界を展開しているもの,子どもの夏休みの自由研究レベルの内容の動画,もう少し学術的に専門的な情報を提供しているもの,さらに「定説」に対してあきらかにそれを超えるような野心的で刺激的な見方を展開している若手研究者の議論,さらに最近は「碩学」の人のセミナー的な内容……
この年末から正月にかけては高校で古文を教えられていたらしい方が,退職後にと思いますが源氏物語のセミナーを開いて,ひとつひとつの話を解説していくシリーズ物の動画をずっと見ていました。これなどはとても静かな語り口の中で講師の源氏物語の世界への熱い思いが静かに深く伝わってくるもので,当時の時代背景のついてのさまざまな説明なども織り交ぜて紫式部が生きていた世界をまざまざと再現してくれるようで,ほんとにおもしろかったです。
ネットの世界の基本的な性格として,「権威者」がその内容を社会的にコントロールする,ということができにくい世界なので,これまで表に出されることのなかった人の個人的な世界がそのまま「世界に向けて」つぶやかれる,という感じがあって,逆に「権威者」の発信する情報も,そういう多様な個人的なつぶやきの一つに過ぎない,という感じも出てきます。
つぶやきという点でとても驚いたのが,大人が子ども時代のDV体験を語ったり,あるいは高校生が家庭の中で激しく傷つく中で必死で生きている様子をつぶやいたり,そういう動画もあることです。
かつてはネットの世界と言うと,現実とかけ離れたある種仮想的な世界で,嘘もつき放題,人を無責任に攻撃し放題の無法地帯という印象もある程度あったかと思いますし,それはそれで全く間違いではないのですが,けれども今の展開はもっと人の内面の「真実」迫るようなつぶやきや,コメントを通したコミュニケーションなど,この場以外では成り立ちにくくなっている「リアル」な世界がどんどん展開しているのを感じます。
こういう世界が魅力的でないはずがありません。そこには親や学校は勿論,会社でもテレビでも全く教えてくれない「魅力」あふれる情報の海なのですから。
発達障がいの特性で生きづらさを感じている子どもたちも,この場では自分が本当に魅力を感じる情報がたくさん得られる。それは単に「興味本位」という否定的な見方で収まるものではありません。それを見ることで,家や学校では与えられにくい「自分が自分らしく生きる場」を感じ取っているのだと思えます。だからそこにどんどんはまっていく。
Youtubeにアップされる動画の多くに言えることのように思えるのですが,今まで自分を語ることがしにくかった,人に認めてもらいにくかった人たちが,「オルタナティヴ」な世界をそこに生み出して,人と共有しようとしている。一人一人の持つ物語世界が,人の数だけあるたくさんの小宇宙が,そこで浮かんでは消え,浮かんでは消え,時につながり,時に切り離され,まさに「メタバース※」がすでに展開しているように思えます。
これからメタバースの世界が本格的に世界に広がり,いまネットなしには暮らせないのと同じでメタバース抜きで生きられないようになっていくでしょうが,Youtubeの世界は,そういう世界の在り方の基本的な性格をすでにたくさん示しているように思えます。発達障がいの特性を持つ子どもたちも,その世界を前提にこれから生きていくことになります。
※ FacebookがVRの本格展開を行うにあたって,社名をメタに変えましたが,このメタはメタバースからのもので,メタバースはユニバース(宇宙・世界)から作られた造語だそうです。ユニバースのユニは一つということですから,ユニバースなら一つの世界のことになるのでしょう。そしてメタバースのメタはそれを超えたもの,といった意味になるでしょうから,私たちが生きている(と思っている)単一の世界ではなく,それを超えた多次元的な世界,多様な世界というイメージかもしれません。
- 自分を「客観的に見られない」理由
- 「なんでこんなことで切れるの?」
- 当事者視点を踏まえた関係調整としての支援
- 「定型文化」と「自閉文化」
- 傷つける悲しみ
- 自閉と定型の「傷つけあい」
- 「社会モデル」から「対話モデル」へ
- 障がいと物語: 意味の世界を重ね合う試み
- 誰もが当事者:わたしごととしての障がい
- 規範意識のズレとこだわり
- 「コミュ力低い」で解雇は無効という判決
- 「カサンドラ現象」論
- 「嘘をつく」理由:それ本当に「嘘」なの?
- 自閉の子の絵に感じるもうひとつの世界
- 発達心理学会で感じた変化
- 落語の「間」と関係調整
- 支援のミソは「葛藤の調整」。向かう先は「幸福」。
- 定型は共感性に乏しいという話が共感される話
- 大事なのは「そうなる過程」
- 今年もよろしくお願いします
投稿はありません