2022.01.06
メタバースと発達障がい(1)創造主と超人の世界
インターネットは世界を大きく変えてしまいましたが,次のステップは世界のメタバース化ということになります。今はすでにお買い物からお仕事まで,インターネット無しの生活が考えられなくなってしまったように,これからはメタバース(あるいはいろんなVR・AR・MRによってつくられる世界)なしには生活でできることがかなり制限されてしまう状況が生まれてきます。
一体メタバースが何をどう変えていくのか,について私の視点からポイントを少し整理しておきたいと思います。その世界で発達障がいの意味も相当変わっていくと考えてまず間違いないとも思っています。
前提として「人間にとってのヴァーチャルの意味」については以前「公開講座:これからの遠隔支援」で少し説明を試みました。動画で公開していますので,よろしければご覧ください。ごく簡単に言うと,人間にとってヴァーチャルの世界は決して目新しいものではなく,そもそも人間が社会を作って生きていくうえで欠かすことのできない「ことば」はそれ自体がヴァーチャルな世界を作るツールだということ,また現在の経済にとって不可欠な「お金」もまた心理学的には同じ仕組みによって成り立つヴァーチャルなツールだということ,今のXR(VRなどの総称。ここではメタバースを可能にする技術,ということで同じようなニュアンスでも使います)の発達はその基本的な人間のしくみの新しいヴァージョンにすぎないのだということです。
ですから,このXR技術によってつくられるメタバースの世界が急速に展開するのは良し悪しの問題を超えてしまって,ほとんど数十万年(またはそれ以上)にわたる人類の言語的コミュニケーションと思考の進化の必然ともいえるもので,ことばやお金なしには今は生きていけないように,避けることも止めることもできず,それをうまく使いこなす工夫をするしか方法がないのだと思います。
とはいえ,メタバースの世界がこれまでのヴァーチャルな世界とは異なる質を持っていることも明らかで,その質が世界を大きく変えていくことになります。それはたぶん数千年前の文字の出現と同じレベルのインパクトを持っているのではないか,という気がしています。(ちなみに文字の使用と古代国家の形成・発展にはかなり深い関係があるとも考えられています。そのくらい社会の構造を劇的に変えてしまう力をこのツールは持ちました)
では何が変化するのか,というと,たとえば文字はそれを読むことで人の「頭の中」にイメージの世界を立ち上げます。なぜ「頭の中」というかというと,その人の中にどんなイメージの世界が立ち上がっているかは,ほかの人からは直接は見えないからです。そのイメージの世界を人と共有できるのは,言葉を手掛かりに,それぞれの人がそれぞれの「頭の中」に似たようなイメージを立ち上げるからです。あるいは「絵」や「彫刻」などによって,その人がイメージを形にして,ほかの人と一緒に見られる形にするからです。
動画はそういうイメージの世界を「動くイメージ」の形でほかの人と共有する仕組みを提供しました。(なお,これらのヴァーチャルなツールの性格について,より具体的な説明は以前こちらで少し丁寧に行ったことがありますので,よろしければ参考にしてください。)
けれどもこの段階までは,そういう「言葉」や「動画」などを「一緒に見る」のは,あくまでイメージの外の(いわゆる)現実の世界に生きている(いわゆる)生身の身体を持った人々でした。そしてその「言葉」が話され「動画」が映し出されるのも,イメージの外の(いわゆる)現実の世界でした。簡単に言えば,(いわゆる)現実のリアルな世界の中にリアルな自分がいて,言葉や動画などのリアルなツールを利用してヴァーチャルなイメージの世界を「頭の中」に立ち上げ,人と共有するような世界ということになります。
この基本的な形がメタバースの出現によって根本的に変化することになります。VR(仮想現実)について言えば,それによってつくられる世界はもはや(いわゆる)現実の世界ではなく,それ自体が作られた世界です。言い換えればイメージの世界をリアルに再現してしまうような世界です。
そして人はそのイメージ世界のこちら側にいるのではなく,その内側に体ごと入り込んでしまうことになります。もちろんその身体というのはアバターと言ったそれ自体が作られたイメージの身体です。
そしてその世界の中には自分だけではなく,やはり同じようにイメージの身体としてのアバターによって同じ場所に現れる他者もそこにいて,自分と様々にコミュニケートします。自分も他者も,同じイメージ世界の中に入り込んで関係を作るわけです。
その二人(あるいはそれ以上)の人たちはその世界の中で様々な「物」を共有したりやり取りしたりするわけですが,もちろんその「物」もイメージとして作り出されたものです。
つまりこれまでは言葉や動画などのイメージのツールを利用しながらも,(いわゆる)リアルな世界の中で他者とやり取りしながら生きてきた世界から,ヴァーチャルに作られたイメージの世界の中でヴァーチャルな自分と他者がやり取りをして生きていく世界に変化することになるわけです。
ではそういう風にコミュニケーションの仕組みが変わることによって,どんな変化が起こるでしょうか?
まず基本的に重要なことは,XR技術によってつくられた世界は,(いわゆる)リアルな世界の物理的な制約に縛られず,自由に作れますから,そういうコミュニケーションの「場」は物理的な「土地」に関係なく,自分の好みでいくらでも作り出せることです。実際VR-Chatという無料で利用可能な場では,たくさんの人が思い思いに自分の無料の「土地」を作って建物を建てたり,「ワールド」と呼ばれるいろんな世界を作り上げて,そこに人々がアバターで入り込んで散歩したり交流したり遊んだりしています。
そしてアバターは基本的に自分の好きなように作ったり,「着かえ」たりできますし,相手にはそれが誰なのかは自分で言わない限りわかりません。一人でいくつものキャラクターで活動することも可能です。つまり「この私」という一つの人格ではなく,その場その場でいろんな人格を演じながら生きる形になります。
このような「多重人格」みたいな仕組みも実は人間は古くからずっと使って生きていて,そのヴァーチャル版とも言えます。それは社会学で言う「役割」というものです。一人の人が家ではお父さんという役や夫という役,会社では社員という役,地域では町内会の役員という役,学校ではPTAのメンバーという役などなど,いろんな役を身に背負ってその場その場で役を使い分けて生きていて,それが人間社会をつくるのに不可欠な仕組みになっています。
ただし,この「役割」と「アバター」の違いは,「役割」はそれを演じている人が自分の身体で演じるので,最初から「この人」と特定されているのですが,「アバター」の場合はいくらでも「身体」を切り替えることができるので,誰だかわからないということです。その意味で,その世界で生きる上で人が持つアイデンティティーのしくみが全く変化していきます。
またこのアバターも生身の身体が持ついろんな制約を超えてしまいますので,ある意味「不死身」にもなりますし,物理的制約を超えて空を飛んだり宇宙を漂ったりも可能です。いろんな世界をいくらでもワープしながら動き回ることもできます。
比喩的に言えば,そういう「ワールド」や「VR-Chat」みたいな場所を作れる技術を持った人は,ある意味で「世界の創造主」になり,そこに参加する人は超人(スーパーマン,スーパーパーソン?)として活躍することになるわけです。人が創造主となり,また超人として活動する場,それがメタバースの世界,という見方も一面ではできそうです。
このように,自分が「好き勝手」に振る舞えて,リアルな世界での「制約」を外してしまう,という性格は,ある意味当然のように「社会的な制約」としての「規範」も崩してしまう可能性を持っています。実際インターネットの匿名の掲示板などではそういうことが繰り返されて陰湿ないじめや攻撃,犯罪などの問題も引き起こしてきていますが,それがもっと深刻化しほとんど無法地帯と言ってもいいような状態も,少なくとも部分的に出てくる可能性が高いことになります。
すでにVR-Chatでもそれによって参加者間のトラブルが頻発したようで,それを回避する仕組みづくりでも,困った参加者を通報して参加資格を失わせたり,そういう人に自分を見えなくするような設定を作ったりなどなど,苦労している様子が見えます。けれども別にVR-Chatのような場を作れる人がそういうことに無頓着であれば,いくらでも壮絶な「無法地帯」が出現することになります。
そんな風に今までの世界が作ってきたいろんな「制約」を相当根本的に外して自由にしてしまうところがあるので,いろんな可能性も出てくるし,多様な世界が(メタバースとして)成立していくと共に,場合によって新たな形での弱肉強食の壮絶な世界が生まれるということでもあります。
以上,メタバースの世界の基本的な性格やその危険性について,いくつか思うところを書いてみましたが,それが発達障がいという問題とどういう関係になるのか,その「可能性」の面はどんなところにあるのかについて,今回は長くなったので,続きはまた改めてにしたいと思います。
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