2022.08.10
当事者の思いを大事にした就労支援
8日に就労支援事業のアクセスジョブとの共催合同のオンラインセミナーで,「当事者の思いを大事にした就労支援を考える:対話的共生関係を求めて」というはなしをしました。
内容は大体以下のようなことです。
支援もコミュニケーションの一つの形。だから支援がうまくいくかどうかはお互いの理解がかみ合うかどうかが大事なポイントになる。そのためには支援者の側からは「当事者の視点」への理解を深めていくことが不可欠。
現在,障がい者の支援については,国連の『障害者の権利に関する宣言』を背景にした「障がい者差別解消法」にうたわれる,「障がい者が個人としてその尊厳を重んぜられ、その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有する」という考え方を足場に,共生の社会を作ることが理念としてうたわれるようになっている。
そこに含まれるノーマライゼーションや合理的配慮の考え方はそれまでの 「障害がある人を変える」という発想から,「周りが変わる」ことの重要性を社会に認識させる働きをしてきた。
けれども支援の現場で常に「障がい者が周囲に合わせる」ための訓練を重視する見方(支援法としてはABAに典型的)と,逆に「周囲が障がい者に配慮する」合理的配慮的な見方(支援法としては自閉症者の視点に合わせた環境づくりを強調するTEACCHに見られる)といった対立の形でずっと残り続けている。
そういう状況の中で,次に何が必要なのかを考えた時,それは「障害がある人を変える」VS「周りが変わる」という形でそれを二者択一的な発想でとらえるのではなく,「同じ人と人として,自分を足場にしながらお互いに変わる」ことになるだろう。
その視点から考えて,障がい者が置かれた現在の状況を考えると,やはり少数派であるために抱えている多くの不利益があり,なぜそれが解消されないかというと,「障がい」を多数派である「健常者」の基準で見て,障がい者が持つ当事者の視点から障害を理解することができていないためということがとても大きいことが分かる。
具体的には「コミュニケーションがうまくいかない」ディスコミュニケーション状態が顕在化する原因として,お互いに持っている「普通」がずれてしまっているのに,そのズレを調整しようとせずに多数派が自分の「普通」を相手に無自覚に押し付けてしまうという問題があり,その結果二次障がいが生まれ,少数派の障がい者が苦しい状態に追い込まれる例が多い。
では実際には障がい者と健常者の「普通」の間にどういうズレが存在するのかというと………
という感じである精神障がい者の方が子ども時代に厳しいDV状況の中で必死に生きてこられた話や,発達障がいの方の発想の違いの具体例,自閉系と定型系の夫婦の間に起こる深刻なすれ違いの例などを紹介しました。
ところが多数派である健常者がそういった問題になかなか気づかないままに自分の「普通」を相手に無自覚に押し付けてしまっていることや,逆に障がい当事者もそういう健常者的な「普通」こそが当然だと教え込まれる環境の中で,自分自身にとって生きやすい「普通」をなかなか自覚できない状態になってしまうことがよくあること,そうやってお互いに自分のことも相手のこともちゃんと理解する姿勢を持てないことで無自覚なズレが深刻化していくことを,EMSの概念などを使って説明しました。
こういう話がセミナー参加者の皆さんにどう受け止められたかが気になるところですが,こんな感想が寄せられました。
(医療関係者)
・ディスコミュニケーション、逆SSTが強く印象に残りました。今回のセミナーで初めて伺ったということと、私の両親がASD寄りなので、普段から思い当たる出来事が多くあり、それも理由の一つです。当事者を理解するためのヒントに溢れていて、実務に活用できると考えた。
(就労支援スタッフ)
・支援=コミュニケーションであること、支援者(健常者)目線ではなく当事者目線で進めていく大切さ、当事者の感覚や言葉に対する衝撃・重みが大きいこと。日頃支援していく中でのヒントがたくさんありました。
・当事者さんの幼少期の家庭環境の話は胸がキューっとなりました。また別の方の夫婦での会話の件は少し共感できるところがあり、お互いに歩み寄る大事さと難しさを感じました。実際の事例も踏まえてお話ししてくださり、非常に理解が深まりました。
(当事者)
・健常者と障がい者の理解のズレをどうすればいいのかを考えさせられた。健常者の考え方で押し付けると障がい者は2次障害を発症してしまい、自分自身を否定してしまうことがある。私自身は広汎性発達障害だけど相手の気持ちが分からないことが多く、常にKYだといわれる。そんな人の考え方を見直すきっかけになると思う。
・私が知らなった概念や仕組み、それが出来た理由などを当事者の立場からも深く考えることができた。本日のテーマにより、支援する側は何を目指すのか、私自身当事者としての意識、心持ちといった抽象的だったことが具体化され、無理をしない範囲での努力を当事者として意識していきたいと前向きに考えることが出来る機会となりました。
もちろん私が当事者の思いをちゃんと代弁できることなどあるはずもありませんが,こういう感想を拝見して,当事者の方の具体的な思いを自分に可能な限り伝えながら行った私の話が,単なる理想や理念の話ではなく,医療関係者の視点からも支援者の視点からも当事者の視点からもそれぞれにしっかり受け止めてもらえたように感じます。
やはり当事者の思いをしっかり受け止める努力を踏まえて,そこからさらに「同じ人と人として,自分を足場にしながらお互いに変わる」道を開いていくことが本当に大事になるし,その可能性が実際にあるのだと思えました。
こういった当事者の視点を足場にした対話的な支援を考えていくための理論的な問題の整理について,研究所の渡辺忠温さんや大内雅登さんと一緒に「説明・解釈から調整・共生へ――対話的相互理解実践にむけた自閉症をめぐる現象学・当事者視点の理論的検討」という論文を書いたのですが,これが今回審査を通って正式に採択され,来年の「質的心理学研究」に掲載されます。こちらもいずれまた紹介したいと思います。
- 支援者こそが障がい者との対話に学ぶ
- 「笑顔が出てくること」がなぜ支援で大事なのか?
- ディスコミュニケーション論と逆SSTで変わる自閉理解
- 冤罪と当事者視点とディスコミュニケーション
- 当事者視点からの理解の波:質的心理学会
- 自閉的生き方と「ことば」2
- 自閉的生き方と「ことば」1
- 自分を「客観的に見られない」理由
- 「なんでこんなことで切れるの?」
- 当事者視点を踏まえた関係調整としての支援
- 「定型文化」と「自閉文化」
- 傷つける悲しみ
- 自閉と定型の「傷つけあい」
- 「社会モデル」から「対話モデル」へ
- 障がいと物語: 意味の世界を重ね合う試み
- 誰もが当事者:わたしごととしての障がい
- 規範意識のズレとこだわり
- 「コミュ力低い」で解雇は無効という判決
- 「カサンドラ現象」論
- 「嘘をつく」理由:それ本当に「嘘」なの?
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