2023.11.08
障がいの問題は実はとってもシンプル?
12月7日に新潟県長岡市での講演を頼まれました。
その案内広告の内容紹介のために,以下の文章を送りました。
「発達障がいの特性を持つお子さんは,周囲からなかなか理解されずにつらい思いを重ね,その結果自己評価の低下,不登校や自傷・他害などの二次障がいも生まれます。どうやったらその子の気持ちを理解しながら支援できるのか。研究所が模索する「当事者視点を踏まえた支援」についてお話しします。」
事例検討や個別相談などを積み重ねていくと,発達障がい児にしても,あるいは就労移行支援に来られる障がい者にしても,あるいは障がい当事者を支えようとしている支援者や家族にしても,一番悩んでいるのはそういう問題なんだよな,とつくづく感じています。
相談を受けるときに,最初に出てくるのはやはり「○○ができない」とか「○○をしてしまう」,「○○がわからない」といった「問題」です。だから「○○ができるように(しないように)するにはどうしたらいいのか?」「○○を理解させるにはどうしたらいいのか?」みたいな「支援テクニック」がまずは求められます。
そういうテクニックもいろいろ模索されてきていますから,それで「問題」が実際に解決するならそれでもいいのですが,でも多くの場合,それは表面的な対症療法にとどまります。障がいをめぐる当事者(障がい当事者や支援者,家族など,その問題に現実に向き合っている人すべて)の本当の悩みはそういうレベルの問題ではないのだということは,少し話をじっくり聞けばすぐにわかります。
支援者でもまだ経験の浅い人,若い人はそういう対症療法(対応マニュアルみたいなもの)を求める人が比較的多いですが,経験を積めば積むほど,そんな単純な問題じゃないんだよね,ということが実感としてわかってこられるので,ベテランになるほどその悩みをもっと深いところで受け止めて,いろんな可能性を考えながら柔軟に対処しようとされる,というのも普通のことです。
なにしろある意味その人の「人生」に関わる悩みなんですから,ものすごく複雑な問題がいろいろあって,そんな安直な答えなどある訳もなく,ひとりひとりみんな違うし,その時々でも変わっていきます。ある意味でどこまで考えても正解になどたどり着けません。実際にはただその時点で「とりあえずこうすることがベターかな」という模索の連続です。
ところが,そういうことをいろいろ考えていくと,結局は上に書いたような単純な問題になるんだなとも思えてくるんですね。もちろん上に書いたのは「具体的な対処法」ではありません。そうではなくて,「具体的な対処法」をその都度模索していく時に必要になる「一般的な視点」,目の付け所のようなものです。その点は実はすごくシンプルなんだと思えます。
私自身がそこにたどり着くまでにはいろいろな実践上の模索もありました。理論的な面では「説明・解釈から調整・共生へ――対話的相互理解実践にむけた自閉症をめぐる現象学・当事者視点の理論的検討」(質的心理学研究 No.22)など,かなり原理的な問題について本格的に突っ込んだ研究も行い,「自閉症を語りなおす:当事者・支援者・研究者の対話」(新曜社)では発達心理学・認知科学・人類学・当事者研究などの領域で魅力的な活躍をされているみなさんと対話的に障がい理解を問い直す議論を行ったり,当事者の方たちとの対話をじっくり積み重ねたり,ほんとにいろいろありました。
その模索にとっては「ディスコミュニケーションの心理学:ズレを生きる私たち」(東大出版)や「文化とは何か,どこにあるのか:対立と共生をめぐる心理学」(新曜社)で考えてきたこと,「子どもとお金:お小遣いの文化発達心理学」(東大出版)の国際共同研究で異質なものの相互理解について考えてきたこと,さらには博士論文で基本を作ったコミュニケーションと社会性の基本的な発達に関する理論などが土台になっています。
そういう様々な模索を通して,でも結局私がたどり着いたのはほんとにシンプルな話だったのです。
別に難しい専門用語を使って説明しなければならないこともない。特別な「技法」を身につけなければならないようなことでもない。脳の仕組みを分析しなければならないような話でも,薬の使い方を考えなければならないようなことありません。別に「専門家」でなければ理解できないことではなく,だれでも素朴に自分の感覚で理解し,自分なりの模索をしていくための視点,という意味ですごく素朴でシンプルなことなんですね。
なんというか,比喩的に言えば天動説から地動説に切り替えることで,今まで理解するのがむつかしかった星の運行がすごくシンプルに説明できるようになった,みたいな単純なことでもあります。天動説にあたるのは「定型(健常者)の視点から問題を考えること」で,地動説にあたるのは「障がい当事者の視点から問題を考えること」になります。
その両方の視点を組み合わせることで,結局障がいをめぐる様々な具体的悩みが理解しやすくなり,それへの対処法の模索への足場が見えてくる感じがするのです。
それらは単なる私の思い過ごしの可能性もあるのですけれど,ただ最近そういう視点に足場を置いて事例検討したり,相談に乗ったり,研修や講演を行うと,支援者の側からも障がい当事者の側からも,かなり共感的に聞いてもらえることが多くなったような印象を持っています。そのことに勇気づけられながら,さらに模索を続けたく思っている今日この頃でした。
- 自閉的生き方と「ことば」2
- 自閉的生き方と「ことば」1
- 自分を「客観的に見られない」理由
- 「なんでこんなことで切れるの?」
- 当事者視点を踏まえた関係調整としての支援
- 「定型文化」と「自閉文化」
- 傷つける悲しみ
- 自閉と定型の「傷つけあい」
- 「社会モデル」から「対話モデル」へ
- 障がいと物語: 意味の世界を重ね合う試み
- 誰もが当事者:わたしごととしての障がい
- 規範意識のズレとこだわり
- 「コミュ力低い」で解雇は無効という判決
- 「カサンドラ現象」論
- 「嘘をつく」理由:それ本当に「嘘」なの?
- 自閉の子の絵に感じるもうひとつの世界
- 発達心理学会で感じた変化
- 落語の「間」と関係調整
- 支援のミソは「葛藤の調整」。向かう先は「幸福」。
- 定型は共感性に乏しいという話が共感される話
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